2022年2月4日金曜日

6月26日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

「やさしさと良識のある社会に」

 病気に対しては冷静な判断ができず、人は病気にかかった人に対して、激しい対応をするというようなことがあります。新型コロナウイルス感染症に対する対応などを振り返ってみた時に、こころない対応であったというようなことを感じさせられます。大学で集団感染が起こったら、その大学にたいしていやがらせをするようなこともありました。よくわからない病気に対する人間の対応というのは、なかなかこわいものがあります。昔から病気にかかるのは、その人に神さまからの罰が降ったからだという考え方があります。イエスさまの時代はそうでしたが、いまもなおそうした感じ方というのは根強く残っています。しかし実際、病気にはだれもがかかるわけです。いま若井克子『東大教授、若年性アルツハイマーになる』という本を読んでいます。若井晋(わかい・すすむ)さんは脳外科医であったわけですが、若年性アルツハイマーになりました。若井晋さんは自分が専門としているところの病気にかかるわけです。わたしの母は若年性アルツハイマーでしたが、だれしも病気になるわけです。

今日の聖書の箇所は「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。マルコによる福音書5章1−5節にはこうあります。【一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた】。

イエスさまは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われ、弟子たちは船を漕ぎ出しました。そのあと湖は嵐になり、イエスさまは風を叱り、湖に「黙れ。静まれ」と言われ、嵐を静められました。そして向こう岸であるゲラサ人の地方に着きました。イエスさまが舟からあがると、汚れた霊に取りつかれた人に出会います。この人は墓場を住まいとしていました。『鎖を用いてつなぎとめておくことはできなかった』ということですから、町でいろいろと暴れたりしたのでしょうか。この人は何度も何度も足枷や鎖で縛られていたようです。とても強い力があったのでしょうか、縛られても縛られても、鎖を引きちぎり、足枷をくだいていたようです。そして彼は暴れ回るということだけでなく、自分で自分を傷つけてもいました。彼は昼も夜も叫び続けずにはいられませんでした。町の人々は彼を恐れ、彼を墓場へと追いやりました。

マルコによる福音書5章6-10節にはこうあります。【イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った】。

汚れた霊に取りつかれた人は、イエスさまを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏します。イエスさまから逃げ出して、遠くの方に逃げていったほうがいいように思うわけですが、しかしイエスさまに引き寄せられるように、汚れた霊に取りつかれた人は、イエスさまの前にやってきてひれ伏しました。この人の中にはたくさんの悪霊が入っていました。「名は何というのか」という質問に、「名はレギオン。大勢だから」と応えるのは、もうイエスさまの前に観念しているということです。この時代、名前を知られるということは支配されるということを意味します。レギオンというのは、古代ローマの一軍団のことです。4200人ないし6000人の歩兵から編成されていたそうです。この汚れた霊に取りつかれた人は、1つや2つの汚れた霊ではなく、4000から6000の汚れた霊に取りつかれているのです。だからとても苦しいのです。昼も夜も叫ばずにはいられないのです。鎖を引きちぎって暴れるしかないのです。

マルコによる福音書5章11-16節にはこうあります。【ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした】。

この人に取りついていた汚れた霊は、イエスさまに豚の中に送り込み、乗り移らせてくれと願います。イエスさまはそのことを汚れた霊にお許しになり、汚れた霊が豚の中に入ると、二千匹ほどの豚が崖を下って湖になだれ込み、そして湖の中でおぼれて死んでしまいます。豚二千匹ですから、豚一匹に2、3の汚れた霊が入ったのでしょうか。2、3の汚れた霊が入っただけで豚は死んでしまうわけですから、4000も6000も汚れた霊を抱え込んでいた人の苦しみはどんなかったのでしょうか。

しかし二千匹の豚がおぼれて死んでしまうという出来事が起ったので、人々は恐ろしくなってしまいます。そしてイエスさまにこの地方から出ていってもらいたいと言い出しました。この村の人々もいままでイエスさまが汚れた霊を追い出され、苦しんでいる人々を救われたということを知っていたことだと思います。この村にもイエスさまにいやしてもらいたいと思っている人々がいたことでしょう。しかしもう恐れのほうが先にたってしまって、イエスさまのことを気味悪がるようになったのでしょう。

マルコによる福音書5章18-20節にはこうあります。【イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた】。

汚れた霊に取りつかれていた人は、イエスさまと一緒に行きたいと言いました。それはそうでしょう。いままで汚れた霊に取りつかれていて、人々からのけ者にされ、墓場へと追いやられていたわけです。こんなひどい目にあっていたところにはもう住みたくない。また汚れた霊に取りつかれていたとはいえ、この地方の人々を傷つけたり、迷惑をかけてしまったというようなこともあったでしょう。あまりここにいてもいいことがありそうにありません。まあここは心機一転、自分のことをいやしてくださったイエスさまについていって、イエスさまにお仕えするというのは、いい選択のような気がいたします。わたしならこの汚れた霊に取りつかれていた人にそのように勧めます。

しかしイエスさまは意外なことに「自分の家に帰りなさい」と言われました。そしてあなたの家族や親しい人たちに、イエスさまがしてくださったことを伝えなさいと言われました。汚れた霊に取りつかれていた人は、イエスさまの言われたことを忠実に実行しました。【イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた】とありますように、彼は「ことごとく」、イエスさまのことを伝えていったのです。こうしてイエスさまのことがデカポリス地方に述べ伝えられていきました。

イエスさまは人々からの誤解を受けたまま、ゲラサの地方から追い出されます。まあとんでもない出来事が起った時は、いろいろな誤解とか不安とかに人は支配されていますから、なかなか冷静に物事をみるということはむつかしいということがあります。あとから謎がとけるということもあるわけです。ちょっとしたことで感情の行き違いがあったり、誤解してしまったり、人間の世界にはそういうことが往々にしてあるわけです。

汚れた霊に取りつかれていた人も、汚れた霊に取りつかれて、私たちの常識からすれば取り返しのつかないようなこともしたでしょう。また私たちの常識からすれば「許すことができない」と思えることもされたことでしょう。彼は墓場にいたのです。人々から捨てられた者として墓場を住み処としていたのです。そして足枷や鎖につながれていたのです。それでもイエスさまから救われて、この人は身内の人々と和解をして、そしてイエスさまのことを人々に宣べ伝えていったのでした。イエスさまによって救われたことを宣べ伝えるときに、人は「許すことができない」と思えることさえも、互いに許しあい、和解へと導かれていくということです。

私たちは意外に誤解とか思い違いに支配されていることがあります。そして人を墓場に追いやってしまうというようなことがあります。ある意味、自分も含めて「人って、恐ろしいなあ」と思います。汚れた霊に取りつかれていた人が墓場へと追いやられていたのは、イエスさまの時代ですから、紀元30数年とかいう昔々の時代です。ですから「そんなのは昔のことだ」と思いたいところですが、そうでもありません。私たちの社会でもあることです。私たちの時代にあっては、ハンセン病の歴史というのは、ある意味「人を墓場に追いやった」歴史であると思います。そして墓場から解放されたのは、つい最近の出来事であるわけです。ハンセン病が治る病気であることがわかったにもかかわらず、日本はハンセン病患者に対する隔離政策を取り続けました。 

高山文彦さんが書いた『火花 北条民雄の生涯』(角川文庫)という本があります。北条民雄は『いのちの初夜』という小説を書いています。北条民雄はハンセン病を患いながら、小説を書き、そして二三歳の若さで天に召されました。北条民雄は川端康成に師事し、小説家になります。

川端康成と北条民雄が出会った時代というのは、アジア・太平洋戦争前のことですから、ハンセン病は「癩(らい)病」と言われて恐れられていました。だんだんとハンセン病について正しい知識が広まってきている時代でもありましたが、それでも「遺伝する」と言われたり、「ハンセン病の死者の灰からでもうつる」と言われたりしたそうです。

【そのむかし癩病と呼ばれたハンセン病は、毛髪や眉毛をことごとく失わせ、嗅覚や痛覚まで奪い、顔や手足を変形させ、ついには盲目とならしめることから、異形(いぎょう)の者となった患者たちは、その不気味さから忌み嫌われた。遺伝病だというあらぬ憶測が蔓延し、ひとたび患者を出した家は一家離散の憂き目にあうこともあった。患者は強制的にハンセン病専門の病院に隔離され、社会から隠された。いまでは遺伝病ではなく、きわめて弱い病原菌による慢性の感染症であることが証明され、乳幼児のときの感染以外は、ほとんど発病の危険性はないとわかっている。そして結核と同じように、治癒する病だということも。北条民雄が生きた昭和初期には、死者の遺骨からも感染するなどと言われたが、実際には生身の病体と接触したところで消毒の必要さえなかった。戦後はアメリカからプロミンという特効薬が輸入され、日本でも製薬が開始されるようになると、ハンセン病はことごとく完治する病となった】(P.8)。

川端康成は北条民雄から送られてくる原稿に目をとおし、心を配りながら励ましていきます。北条民雄の書いた作品に対してだけでなく、その北条民雄の生活などについても、川端康成は心を配ります。北条民雄がハンセン病の施設の中の様子などを小説の中に書きます。川端康成はそのとき北条民雄への手紙の中で、【しかし、こういう小説発表して、あなたが村に具合悪くなるようなことはありませんか。この点お返事下さい。発表して差し支えありませんか】(P.154)。川端康成は北条民雄に対して、細やかな配慮をします。施設に対してどうだろうとか、また北条民雄の家族に対してはどうだろう。悲しいことですが、ハンセン病患者は家族から捨てられている存在であるわけです。小説などが発表されて、家族に迷惑をかけることはないだろうかとか、そうしたことも気になることでした。北条民雄が亡くなった時、川端康成は創元社という出版社の小林茂と一緒に、北条民雄が入園していた東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)を訪ねました。

【四国から実父が訪ねてきたのは、それからまもなくだった。光岡良二に案内されて霊安所に上がった父親は、幼いころから呼びなれた本名で遺骸に呼びかけ、まるで生きている人間に話しかけるように震えを帯びた声で耳元で囁きつづけた。「俺のクロワッセ」「独房」などと民雄が呼んでいたあの小さな書斎に連れて行くと、父親は民雄の重態を知らせる光岡の手紙と息子がくれた手紙をならべて見せながら、息子の字とよく似ているので自分の頼みをどうか聞いてもらえないかと光岡に言った。民雄の名前を使って、一通の手紙を自分宛てに書いてほしいというのである。息子は東京で会社勤めをしていて、平穏に暮らしていることにしてほしい。その手紙を、以前、民雄から届いた古い封筒にいれ、田舎の葬儀に集まった親類縁者に見せて、こうして息子は東京で健やかに暮らしていたが、急病で死んでしまったと言いつくろおうというのだった。光岡は悲しい父の願いを聞きいれてやるしかなく、民雄が使っていた机の上で偽の手紙を書いた】(P.335)。

【川端の手もとには民雄から預かっていた原稿料や印税の残りが、妻名義の郵便貯金で、八、九百円あった。死ぬ間際、民雄がそれらの金は感謝をこめてすべて川端に差し上げたいと何度も言っていた、と癩院の友人たちから聞いていたが、それらの金はすべて父親に渡すと告げた。・・・。川端と同じように友人たちから、金を川端に全額もらってほしいというのが息子の遺言だと聞いていた父親は、その申し出を断った】(P.337)。

川端康成は『寒風』という小説の中で、北条民雄の葬儀について書いています。『寒風』の中では葬儀にやってきたのは、父親ではなく母親として描かれています。【川端は『寒風』のなかで、つぎのように書いている。・・・。このうちから百円ばかりを、息子のいた癩院に寄付し、息子の癩友の見舞いとするが、後は母親に返す、と私は言った。・・・。しかし、いざ送るとなると、私は多少の悲憤(ひふん)を感じて、女房を叱るように、「おい、この金はほんとうにおふくろが受取っていいのかい。癩病人として、追い出した息子じゃないか。棄てたんじゃないか」。肉親に譲らず、他人の私に譲ると遺言した若い作家が、私はあわれであった。私に対する感謝ばかりではない。家族に対する憤怒(ふんぬ)からでもあった】(P.338)。

汚れた霊に取りつかれた人が家族から離れて墓場に住んでいたように、ハンセン病を患った北条民雄は家族から棄てられ、ハンセン病の施設でその生涯を終えました。北条民雄の父や母は、自分の息子がりっぱな小説を書いていることを人に告げることもできません。ふつうであれば自慢することができるわけですが、ハンセン病のゆえに告げることができないのです。北条民雄の家族には家族の悲しみがあるわけです。自分たちの身内を守るために、息子を棄てざるを得なかったのです。社会全体が汚れた霊に取りつかれているような感じがします。

川端康成は「伊豆の踊子」「雪国」を書き、日本で最初にノーベル文学賞をとった小説家です。わたしにとっては「川端康成ねえ。ふーん。雪国か」というような感じの小説家でした。しかし高山文彦『火花 北条民雄の生涯』を読んで、川端康成はとても細やかなやさしさをもった人なのだろうと思いました。川端康成も小さい時に父に死なれ、母に死なれ、祖母に死なれ、そして祖父に死なれて、15歳で孤児になりました。自分には家族がいないという思いが、家族から棄てられた北条民雄へのやさしさへとつながっていったのかも知れません。

北条民雄の生涯や汚れた霊に取りつかれた人のことを思う時に、悪霊にとりつかれたような社会にならないようにしなければと思います。人を墓場に追いやるような社会にならないようにしなければと思います。ときに私たちは「悪霊に取りつかれているのは、だれなのだろう。自分ではないのか」ということを考えてみなければなりません。

やさしいこころをもって、そしてまた冷静に物事を見定める落ち着きをもって、歩んでいきたいと思います。イエスさまに汚れた霊を追い出してもらった人が、落ち着いて、イエスさまの愛を人々に我慢強く宣べ伝えていったように、私たちもまた落ち着いて、あまり浮き足立つことなく歩んでいきましょう。そして良き社会を求めて、やさしいこころをもって歩んでいきましょう。




  


(2022年6月26日平安教会朝礼拝式)

2022年2月3日木曜日

6月12日の平安教会説教(小笠原純牧師)

「わたしはだれ。あなたはわたしの愛する子」

今日は花の日・子どもの日の礼拝です。例年は子どもの教会の子どもたちと一緒に、合同礼拝を守ります。新型感染症のために、ことしも一緒に礼拝を守ることができません。礼拝前に、教会の入口のところで、子どもたちによるクワイアチャイムの演奏がありました。来年はぜひ合同礼拝を行ない、礼拝のなかでクワイアチャイムの演奏を行なっていただきたいなあと思います。まだ新型感染症も収束しませんが、皆様のご健康が支えられますようにとお祈りいたします。

マリリン・モンローという映画俳優が主演の映画に「お熱いのがお好き」という映画があります。ビリー・ワイルダーが監督をしたコメディ映画です。この「お熱いのがお好き」という映画の中に、「ホテル・デル・コロナド」というすてきなホテルが出てきます。アメリカのカリフォルニア州、サンディエゴにあるとても有名なホテルです。私たちの教会の姉妹教会であります、パイオニア・オーシャン・ビュー教会(POV教会)を、二年前にお訪ねしたときに、わたしはこの「ホテル・デル・コロナド」を見に行きました。ホテル・デル・コロナド」の写真をとって、いまわたしのスマホの待ち受けにしています。

「ホテル・デル・コロナド」を見に行ったとき、わたしはまだ「お熱いのがお好き」という映画を見たことがありませんでした。最近見て、「ああ、こういう映画だったのか」と思いました。とても良い映画でした。わたしは、マリリン・モンロー主演で、「お熱いのがお好き」という題名なので、いわゆる「お色気調」で、ちょっとわたしが好きな感じの映画ではないのではないかという偏見をもっていました。ただこの時期の映画にはめずらしく白黒映画でしたので、「ホテル・デル・コロナド」も白黒で出てくるので、「ホテル・デル・コロナド」を見たいと思って映画を見たので、その点はちょっと残念でした。

「お熱いのがお好き」という映画の題名は、イギリス童謡の「マザー・グース」に由来します。Some like it hot / Some like it cold / Some like it in the pot / Nine days old「お熱いのが好きな人もいれば 冷たいのが好きな人もいる 中には9日前から鍋に残っているのが好きな人もいる」という意味。わたしに教養がなかったので、「お熱いのがお好き」ということの意味がわかっていなかったということでした。

「お熱いのがお好き」は、「完璧な人間なんていないさ」という言葉で終わります。ハリウッド映画屈指の名言と言われます。なぜ名言と言われるのかというのを説明したいところですが、それは映画を見ていただけたらと思います。ただ「お熱いのが好きな人もいれば 冷たいのが好きな人もいる 中には9日前から鍋に残っているのが好きな人もいる」「完璧な人間なんていないさ」ということですので、この映画はいろいろな人がいるということが良いことなのだということが根底にあるということでしょう。

マリリン・モンローという俳優は、「アメリカのセックスシンボル」というように言われ、いまでも偶像化されています。この5月のオークションでも、アンディ・ウォーホルによるマリリン・モンローの肖像画は、250億円で落札されたと言われています。しかしマリリン・モンロー自身はいつまでも「アメリカのセックスシンボル」と言われることが嫌だったと言われています。

私たちはよく人からどのように見られるのかということに、こころを惑わします。そしてできればよく見られたいと思います。みんなからすばらしい人だと言われるような人でありたいとか、みんなからすてきと言われる人でありたいとか思います。自分を押し殺してでも、人からの評価に自分を近づけたいと思ったりします。

しかし、あまり人の評価ばかりを気にしていると、いったい自分は何者であるのかということがわからなくなります。自分がどのように生きたいのか、自分は何を大切にしていきていきたいのか。そうした人生における大切な問いを見失ってしまい、迷子になってしまうことがあります。

今日の聖書の箇所は「イエス、洗礼を受ける」という表題のついた聖書の箇所です。マルコによる福音書の1章1節以下は「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」という表題のついた聖書の箇所で、そのつぎが今日の聖書の箇所となっています。そしてそのあと「誘惑を受ける」「ガリラヤで伝道を始める」と続きます。マルコによる福音書における位置づけとしては、イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、そして荒れ野で悪魔からの誘惑を受け、そしてガリラヤで宣教活動を行ない始めるという流れになるわけです。先週はペンテコステ、聖霊降臨日で、イエスさまの弟子たちに聖霊が降った話でしたから、今週はイエスさまに「霊が鳩のように」くだる話の聖書の箇所となります。

マルコによる福音書1章9節にはこうあります。【そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた】。イエスさまは「ナザレのイエス」と言われますように、ガリラヤのナザレからやってこられます。そしてイエスさまは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられます。神さまの御子であるイエスさまが、どうして聖霊を受けるのかというような小難しい問いについては、マルコによる福音書ではあまり大切なことと考えられていないようです。マタイによる福音書ではそうしたことが気になることとして記されています。マルコによる福音書はとてもあっさりと、イエスさまがガリラヤのナザレからヨルダン川にやってきて、そして洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたと記しています。

マルコによる福音書1章10節にはこうあります。【水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。】。イエスさまが洗礼を受けられ、ヨルダン川の水の中から上がると、不思議なことが起こります。天が裂けて、霊が鳩のように降ってきました。そして霊がイエスさまの中に入りました。イエスさまは神さまからの聖なる霊によって祝福を受けました。

マルコによる福音書1章11節にはこうあります。【すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた】。神さまからの聖なる霊が降ってくるだけでなく、天から声が聞こえます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。神さまはイエスさまのことを、「あなたはわたしの愛する子」であると言われます。イエスさまは神さまの御子なのです。そしてイエスさまは神さまの御心に適うことを行われます。

神さまの御心に適うということは、それはたんにイエスさまが実力のあるすばらしい方であるということではありません。やはりイエスさまはふつうの人とは違うのです。イエスさまは神さまに託された御業を行われます。そういう意味で、「わたしの心に適う者」なのです。イエスさまは私たち人間の罪のために十字架につかれます。そして私たちの罪を担ってくださり、私たちの罪が神さまの前に赦されることになります。そうしたことを、神さまからイエスさまは託されているのです。それが神さまのご計画であり、そのご計画をイエスさまが神さまの御子として行われるのです。

マルコによる福音書において、「わたしの愛する子」という言葉は、マルコによる福音書9章7節にまた出てきます。マルコによる福音書9章2節以下は「イエスの姿が変わる」という表題のついた聖書の箇所です。「山上の変容」と言われる聖書の箇所です。イエスさまが天上の人のような姿になり、モーセとエリヤと話をするという有名な出来事です。マルコによる福音書9章7節にはこうあります。【すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」】。この聖書の箇所でも、イエスさまは特別な方として語られています。

イエスさまは特別な方であるわけですが、しかし私たちもまた神さまから愛されている神の子であるのです。使徒パウロは私たちはイエスさまに結ばれているから神の子なのだと行っています。ガラテヤの信徒への手紙3章27節にはこうあります。【あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。】。コリントの信徒への手紙(1)1章9節においても、使徒パウロはこう言っています。【神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです】。イエスさまを信じる私たちもまた神さまの子なのです。そういう意味では、マルコによる福音書1章11節の「あなたはわたしの愛する子」という言葉は、天から私たちに対しても語られている言葉だと思います。私たちもまた、イエスさまと同じように、「あなたはわたしの愛する子」という祝福の中に入れられているのです。

私たちはときに、「わたしはだれ」という思いにかられるときがあります。「わたしはだれなのだろう」。私たちはしばしば人からの評価が気になり、人が望んでいる者でなければならないような気になります。「周りの人たちの期待に応えることができれば良いのに」ということはもちろんあるわけです。もっと勉強ができたらなあとか、もっとスポーツができたらなあとか、もっと歌を歌うのがうまかったなあとか、楽器ができたら、トム・クルーズのように年を取っても格好良かったらいいのになあとかあるわけです。

よく学校などでは小さい頃から言われます。「日吉小学校の生徒にふさわしく」とか「美須賀中学校生としての誇りをもって」というように言われたりします。あるいは「○○家」の者として恥ずかしくないようにとか言われたりします。「日本人としての覚悟をもって」とか言われたりします。でもそんななか、国会議員にふさわしくないような行ないをする人が、国会議員になっていたりするのは、どうしてだろうと思ったりもしますが、それでも私たちは人からの評価が気になり、よく見られたい、こんなことをしたらどう思われるだろうかというような気持ちになることがよくあるわけです。そして周りからの評価が気になり、自分であることを見失ってしまうときがあります。「わたしはだれ」という思いにかられるときがあります。

「わたしはだれなのか」。人からの評価にさらされ、自分はだめな人間ではないかと沈みがちな、私たちに対して、神さまは言われます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。私たちにとって大切なことは、私たちが神さまから愛されているということです。私たちが何かができることが大切なのではありません。私たちが神さまから愛されているということが大切なのです。私たちが神さまからの愛を受けて生きている、神さまの愛する子であることが大切なのです。

使徒パウロは「信仰による義」ということを言いました。ローマの信徒への手紙3章21節以下には「信仰による義」という表題のついた聖書の箇所があります。ローマの信徒への手紙3章21−24節にはこうあります。新約聖書の277頁です。【ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。】

使徒パウロは、救いは私たちが何かをすることによって与えられるものではなく、神さまから無償で、神さまの憐れみによって、神さまの愛によって与えられるものだと言いました。使徒パウロは私たちがなにかできることが大切なのではなく、神さまが私たちを愛して下さっているということが大切なのだと言いました。

「わたしはだれなのか」という問いに対して、私たちは「わたしは神さまの愛する子。神さまの御心に適う者」と答えます。私たちは神さまから愛されている一人一人、かけがえのない神さまの子です。神さまは私たちのことを愛してくださり、「あなたはわたしの愛する子」「あなたはわたしの心に適う者」と、私たちを祝福してくださっています。神さまの愛のうちを、安心して歩んでいきましょう。


  

(2022年6月12日平安教会朝礼拝式・花の日子どもの日)

12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》