2023年1月30日月曜日

1月29日平安教会礼拝説教要旨(奈良教会の汐碇直美牧師)

 「神の神殿は、生きているか」

 ナチス・ドイツ時代の牧師・神学者、ボンヘッファーは「他者のための教会」という印象的な言葉を残しました。つまり教会は、神さまと人に仕えるために存在しているということです。

 ルカ福音書21章5節以降で主イエスは神殿のあり方を問われ、その建物は神殿の本質ではないと指摘されました。「教会」を意味するギリシア語「エクレシア」の本来の意味は「集会」です。どれだけ立派な建物があっても、そこに神さまを礼拝する人々が集っていない限り「教会」とは呼べません。

 今日のみ言葉の前半部分、「やもめの献金」の物語は、教会、つまり礼拝する人の内実を表しているものです。ある貧しいやもめが、彼女の全財産であったレプトン銅貨2枚をささげました。1レプトンは今の日本円で約78円、2レプトンで約156円です。ユニセフの定める「極度に貧しい暮らし」は1日1.9ドル、約200円以下で生活しなければならない状態ですから、それに近い状況です。

このささやかな献金に目を留めたイエスさまは、「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた」とおっしゃいました。「生活費」に当たるギリシア語「ビオス」は元々は「命」や「生活」「人生」という意味です。イエスさまは金額の大小という「目に見える部分」ではなく、彼女が自分のすべてをささげた、その「心」を見られたのです。

やもめの状況をリアルに想像するほどに、その厳しさの中で2レプトンをささげた彼女のすごさがわかり、「私にはできない」と尻込みしてしまいます。しかしそれでイエスさまの招きを拒んでしまうのは、あまりにももったいない。私たちも実は毎週の礼拝献金で彼女と同じように、お金だけではなく、体、心、たましいも含めた「私」という存在の全てをおささげしているはずなのです。

 最初に、教会とは神さまと人に仕える存在だとお話ししました。それはまるで十字架のように、神さまに向かう垂直方向の献身と、隣人に向かう水平方向の献身の二つがあるということです。関西労働者伝道委員会と専従者の大谷隆夫先生の場合は、釜ヶ崎の労働者という横方向への献身であり、この隣人への奉仕を通して、神さまに仕えておられます。

「教会は生きているか」と、主イエスは問われます。実に厳しい問いです。しかしイエス・キリストは十字架と復活というみ業によって、神さまと隣人に仕え、共に生きる道を切り拓いてくださいました。感謝と祈りをもってこの道を一筋に、共に歩んでまいりましょう。


2023年1月23日月曜日

1月22日平安教会礼拝説教小笠原純牧師)

 「悲しむ人たちへの良き知らせ」


平安教会の関連の牧師である新島襄は、1890年1月23日に帰天しています。明日が帰天日です。1月25日と、2月1日に同志社香里中学校・高等学校で、礼拝説教をすることになっています。校祖永眠記念日礼拝ということで、新島襄の話をしてほしいということでした。

新島襄で有名な話は、「自責の杖」の話です。自責の杖の事件は、開校五年目に起こった事件です。学力の違いによって分けられていたクラスが、年度途中で一つのクラスになるということが決まります。それに対して、反発をした学生が授業を放棄するという事件が起こります。学校側が決めた事を、すんなりと認めることなく、反発して授業を放棄して抗議するということが起こったので、まあちょっと大変なことになったわけです。新島襄は同志社の校長先生で責任者でした。新島襄は教員会議で校則にしたがって、この学生たちに一週間の謹慎処分を下しました。しかし新島襄は途中でこの処分を解除しました。そのために新島襄は、全校礼拝でこの出来事について、自分はこのように考えているということを話しました。「今回の紛争は学生や教師たちの責任ではない。すべて校長たる自分の責任である。よって校長を罰する」。そう言って、礼拝にもってきた杖で、杖が折れるほど、自分の手のひらをたたきました。「新島先生は何一つ悪くないのに、先生や学生たちの罪を引き受けて、自分の手のひらを杖でたたかれたのだ」。まあそうした事件であったと言われています。

この自責の杖の出来事について、北垣宗治(きたがき・むねはる)、同志社大学名誉教授は、「生徒がカンニング、それで新島は・・・」という奨励のなかで、こんなことを書いています。【さて、一八八〇年四月十三日、火曜日の朝のチャペルの時間に新島校長が劇的な振る舞いに及んだことについては、その場に居合わせた生徒のうち原田助という生徒がそのときの感動を日記に記しています。原田はのちに同志社の総長になった人です。また堀貞一という生徒は、感激のあまりその杖の破片を拾い、自分の宝として持ち続け、後年同志社教会の牧師になったときには、その破片を示しつつ、あのときの新島校長の姿を実演してみせて、聴衆に深い感銘を与えたのでありました。】。

この自責の杖の出来事に感動したという生徒と、そうでもなかったという生徒がいたようです。徳富蘇峰はこの出来事の場にいたようですが、あまり感動していないようです。【法学部の田畑忍教授が蘇峰に向かって、自責の杖の場面に蘇峰先生がおられたかどうかを質問しました。蘇峰は、おりました、と答えました。そこで田畑先生が重ねて、そのときどのように感じましたかと尋ねると、蘇峰は「ああ、新島先生の病気がまた出たわい、と思いました」。続けて「あれは新島先生の芝居だった、などという説もありますが、どうですか」という質問に対して、蘇峰は「ああ、芝居も芝居、大芝居。けれども役者がちがう。先生は役者が四枚も五枚も上でした」】。

同じ出来事を経験しても、その感じ方というのは、やはりいろいろなのだなあと思います。イエスさまについても同じように、イエスさまはすばらしいと思った人と、そうでもなかった人たちもいたということが、今日の聖書の箇所で述べられています。今日の聖書の箇所は「ナザレでは受け入れられない」という表題のついた聖書の箇所です。

ルカによる福音書4章16−19節にはこうあります。【イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」】。

イエスさまはガリラヤで、神さまが人々を愛しておられることを告げ知らせていました。ルカによる福音書4章15節には【イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた】とあります。ユダヤ教の会堂で、ユダヤ教の教師の人たちが教えているわけですが、イエスさまもそのような人たちと同じように、人々からユダヤ教の教師として受け入れられていたということです。

イエスさまはイザヤ書を用いて話をされました。イエスさまが読まれた聖書の箇所は、イザヤ書61章1節です。旧約聖書の1162頁です。イザヤ書61章1節以下は、「貧しい者への福音」という表題がついています。イザヤ書61章1節にはこうあります。【主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために】。

イエスさまはイザヤ書61章1節を読むことによって、自分がどのようなことのために、神さまからこの世に遣わされているのかということを明らかにされました。イエスさまは自分は、貧しい人々に福音を告げ知らせるために、神さまがわたしを遣わされたのだと言われました。捕らわれている人々が解放され、目の見えない人に救いがもたらされ、困っている人々、しんどい思いをしている人々の重荷が取り除かれる。そしてみんなが神さまをほめたたえることになる。そのことのために、神さまがわたしを遣わされたのだと、イエスさまは言われました。

ルカによる福音書4章20−24節にはこうあります。【イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。】。

私たちは聖書と言えば、一冊の本というふうに思いますが、しかしイエスさまの時代は私たちが手にしているような本があるわけではないので、聖書は巻物のであるわけです。イエスさまは預言者イザヤの言葉が書かれた巻物を読み、そしてユダヤの会堂の係の人にそれを返して席に座られます。会堂の人々はこのあと、イエスさまはどのような話をされるのかと、イエスさまに注目します。イエスさまの言葉をどれだけ真剣に人々が聴こうとしていたのかがわかります。

イエスさまは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われました。イエスさまの話を聞いていた人々の多くは貧しい人々でした。神さまは貧しい人々のことをお守りくださる。神さまは貧しい人々を救ってくださる。この世界が神さまの正しさによって作りかえられる。それは空言ではなく、必ず実現することなのだ。今日、あなたがたはこのことを聞いたけれども、それは間違いなく実現する。イエスさまが語られた言葉を聞いた人々は、その真実な語りに心を打たれ、イエスさまのことを誉めました。そしてこの人は私たちが知っているヨセフの子どもだけれど、この人の言葉には力がある。貧しい人々はそのように思いました。

しかし一方でそうでもない人々もいました。イエスさまのことをあまり信じられないと思っていた人たちもいました。イエスさまが育たれたナザレですから、イエスさまが小さい頃のことを知っている人たちが大勢いたのです。またイエスさまのお父さんのヨセフさんのこと、マリアさんのこと、そしてイエスさまの家族のことを知っている人たちが大勢いました。そうした人たちはあまりにイエスさまのことが身近に感じられるので、イエスさまのことを信じることができないわけです。「この人はヨセフの子ではないか。」。そんな大した人間であるわけがないと思えるのです。

イエスさまもそうしたことがわかっているので、ちょっと斜(はす)に構えたような話をしています。あなたたちは「イエス、お前はカファルナウムでいろいろな奇跡を行なったわけだから、地元であるナザレでも同じようにしてくれよ」と言うだろう。「いや、わかっている。預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」。「あなたたちはわたしのことを敬おうというような気持ちはないだろうし、わたしを信じることはないだろう」。イエスさまはそのように言われました。

そして人々にとって、あまり言われたくないようなことを、イエスさまは続けて語られました。ルカによる福音書4章25−30節にはこうあります。【確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。】。

イエスさまは預言者エリヤや預言者エリシャも、ユダヤ人に対してではなく、異邦人に対して奇跡を行われたということがあったと言われます。預言者エリヤが行なったこの奇跡については、列王記上17章に書かれてあります。旧約聖書の561頁です。列王記上17章1節以下には「預言者エリヤ、干ばつを預言する」という表題のついた聖書の箇所があります。列王記上17章8−9節にはこうあります。【また主の言葉がエリヤに臨んだ。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」】。シドンのサレプタというのは、ユダヤ人ではなく異邦人が住んでいる町です。

また預言者エリシャが行なった奇跡については、列王記下5章に書かれてあります。旧約聖書の583頁です。列王記下5章1節にはこうあります。【アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。】。エリシャはこのナアマンの思い皮膚病をいやされるのですが、ナアマンはアラムの王の軍司令官ですから異邦人です。

イエスさまは預言者エリヤや預言者エリシャの奇跡の話をされて、イエスさまを信じない人たちに対して、預言者エリヤや預言者エリシャも、異邦人に対して奇跡を行なっているのだから、わたしもあなたたちに言われたからといって、「はいはい、いやしの奇跡を行ないますよ」というようなことはしないと言われたということです。まあイエスさまも人々がカチンと来るようなことを言わなくても良いと思うのですが、この話を聞いて、ユダヤの人々は怒り出すわけです。【皆憤慨し、総立ちになっ】たというわけですから、そうとう怒っています。人々の怒りはただ事ではなかったわけです。そしてイエスさまを会堂からだけでなく、町の外に追い出します。そして町が建っている山の崖(がけ)まで連れて行き、そしてそこからイエスさまを突き落とそうとしました。人々はイエスさまを殺そうとしているわけですから、それはまあいくら何でもしてはならないことです。イエスさまは人々の間をするっと抜けて、そこを立ち去りました。

まあイエスさまももう少し言葉に気をつけたほうが良かったかなあと思いますが、まあイエスさまも伝道をし始めてまだ間もない時であり、これほど人々が怒り出すとは思わなかったのかも知れません。しかしイエスさまが言いたかったことというのは、やはり神さまを信じるということは、小手先のことではないということなのです。ナザレの会堂にいた人々の中には、神さまのことではなく、イエスさまがどんな奇跡を行なうのだろうかということに気持ちがいっている人々がいました。カファルナウムで奇跡を行われたのだから、故郷のナザレではもっとなにかすごい奇跡をしてくれるのではないだろうか。そうした思いの中では、奇跡はサーカスの一芸のようなものになってしまっているわけです。自分たちが見物をして、「あー、すごい奇跡だ」とびっくりするためのものであるわけです。そこにはイエスさまが示してくださる神さまの愛についての関心はありません。神さまのことなど、どうでも良いわけです。そのような人々に対して、イエスさまは神さまの関心もあなたたちではなく、異邦人に向けられるだろう。預言者エリヤや預言者エリシャが行なった奇跡も、異邦人に対して行われただろうと言われたのでした。

そしてイエスさまは自分がこの世にきたのは、貧しい人々に福音を告げ知らせるためなのだと言われたのです。あなたたちのような小手先の関心ではなく、心の底から神さまを求めている人たちに対して、神さまの祝福がその人の上にあると告げるのだと、イエスさまは言われました。

【「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」】。

貧しい人々、悲しんでいる人々に、イエスさまは神さまが共にいてくださることを告げました。イエスさまの言葉は、「悲しむ人たちへん良き知らせ」です。ルカによる福音書6章20節以下に、「幸いと不幸」という表題のついた聖書の箇所があります。新約聖書の112頁です。

イエスさまは言われます。【「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。】。

さみしいとき、かなしいとき、イエスさまは私たちにともなってくださり、私たちの涙をぬぐってくださいます。イエスさまと共に安心して歩んでいきましょう。



(2023年1月22日平安教会朝礼拝式)

2023年1月19日木曜日

1月15日平安教会礼拝説教要旨(山本有紀牧師)

「舟を岸へ引き上げて」

  ルカによる福音書5:1−11

私たちは、人生の中で何度も、息をすることさえ忘れるような驚きを体験することがあります。満天の星空、日の出の光景、壮大な地形、或いは奇跡的としか言いようのない「救い」の体験は、私たちを鷲掴みにし、畏怖と驚愕を与えます。その聖なる「驚き」は私たちを打ち砕き、へり下らせ跪かせるでしょう。そうして私たちは、今までとは違う世界観、人生観を得、新しい価値観へと「方向転換=悔い改め」して行くのです。飼い葉桶の幼児を見つけた羊飼いたちも、輝く星に導かれた賢者たちも、イエスの洗礼を目撃した人たちも、そして、ナザレのイエスが福音を語り人々を癒すのを見た人たちも、深い、聖なる驚きにとらえられ、打ち砕かれ謙って跪き、やがて、今までとは違う、新しい人生を歩み始めたのでした。最初の弟子となった4人の漁師たちもまた、この聖なる驚きを体験し、畏れを伴う激しい驚きに鷲掴みにされ揺さぶられて、新しい人生を、イエスと、そして同じ体験を分かち合う仲間と共に歩み始めるのです。

その朝、イエスはガリラヤ湖の岸辺を歩いていました。そこへ多くの人がイエスを求めて押し寄せてきます。そこでイエスは、夜通しの漁の後、疲労困憊するペトロの舟に乗り込み、水上から人々に語りました。ペトロにしてみればいい迷惑だったでしょうが、人々は話に聴き入り、小一時間ほど後、イエスが語り終えるころにはすっかり満たされた様子となります。その頃合いに、イエスがペトロに一対一で語りかけます。「湖の深いところへ漕ぎ出して網を下ろしてご覧」。

イエスの促しに抵抗を示しながらも「しかし、お言葉ですから」と、不信や諦めと、一方で、「ひょっとしたら、昨晩とは別の結果が出るかもしれない」という根拠のない期待が入り混じる曖昧な気分のまま、ペトロはイエスの「馬鹿げた提案」に付き合うくらいのつもりで網を降ろしたに違いないでしょう。すると、そこには今まで経験したどんな大漁とも違う、驚くべき体験が待っていました。

ルカ福音書のギリシャ語の通りに読めば、まさに「驚きが、ペトロを掴んだ」のです。ペトロ自身の能力にも知識にも、もちろん信仰の有無にも全く左右されない、「聖なる驚き」がペトロを鷲掴みにし、彼を圧倒し打ち砕き、へりくだらせ、方向転換=悔い改めを迫りました。

驚きと畏れに打たれて立ちすくむペトロに、イエスは「恐れることはない」と声をかけます。聖なるものとの出会いを恐れるべきではない、その体験によってもたらされる新しい価値観を受け容れること、そしてそこから始まる新しい人生へと歩み出すことを恐れてはならない、あなたはその恵に相応しい、とイエスは語りかけたのでした。その言葉に押し出されて、ペトロたちは、「舟を岸へと引き上げ」新しい人生、新しいし時間へと歩み出すのです。

聖なる驚きに鷲掴みにされた仲間と共に、イエスと共なる旅を始める、その道を選び続ける者でありたいと願うものです。「恐れることはない」のですから。



2023年1月9日月曜日

1月8日平安教会新年礼拝説教(小笠原純牧師)

「洗礼。新しいいのちへ」

昨日は1月7日でした。1月7日はわたしの母が帰天した日です。2000年1月7日ですから、もう23年も前の話になります。わたしの母は病床洗礼を受けました。今治教会の牧師をしていた美藤章牧師が、父と母の家に来てくださって、洗礼を授けてくださいました。わたしの母はアルツハイマー病でしたので、自分の意志で信仰告白を行うことはできませんでした。父の強い望みで、洗礼を受けることになりました。母が洗礼を受けたとき、父はとっても喜びました。わたしはもっと早く、父に母が病床洗礼を受けることを勧めたら良かったと思いました。牧師として、申し訳ない気がしました。

一般的な印象からすると、わたしの母などは自分で信仰告白をすることができなかったわけですから、「もう洗礼を受けなくてもいいのではないか。神さまは母のことをよくわかってくださっているのだから」とも思えます。わたし自身もそんなふうに考えてしまっていたというような気がします。たしかに神さまはすべてのことをご存じであるわけですけれども、しかしそれでも敢えて洗礼を受けてキリスト者になるということの大切さというのがあるような気がします。その後,わたし自身がある方の病床洗礼式を行うことがありました。病床でありながら、その女性ははっきりとはっきりとした声で、誓約をしてくださいました。【問 あなたは神の前に自らの罪を悔い、主イエス・キリストの十字架のあがないによってその罪をゆるされ、救われたことを確信しますか。 答 確信します】。はっきりと誓約をしてくださったその女性の誓約の言葉を聞きながら、人間が神さまを信じることの尊さというのを思わされました。

今日の聖書の箇所は、「洗礼者ヨハネ、教えを宣べ伝える」という表題のついた聖書の箇所の一部と、「イエス、洗礼を受ける」という聖書の箇所です。ルカによる福音書3章15-17節にはこうあります。【民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」】

ルカによる福音書は、洗礼者ヨハネは「水で」洗礼を授け、イエスさまは「聖霊と火で」洗礼をお授けになると、言っています。イエスさまがこられる準備段階として、洗礼者ヨハネの水による悔い改めのバプテスマが行われる。そしてイエスさまの「聖霊と火の洗礼」というのは、イエスさまの十字架による死と復活、そして帰天されて、聖霊が弟子たちに降るという、イエスさまによる救いの出来事を表しています。洗礼者ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼ですが、イエスさまの洗礼は救いを私たちに救いをもたらす出来事であるということです。

ルカによる福音書3章18-20節にはこうあります。【ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。】

洗礼者ヨハネは領主ヘロデによって捕らえられることになります。洗礼者ヨハネは人々に徹底した悔い改めを迫りました。それは群衆に対してだけではなく、王に対しても、権力を持っている人々に対しても、徹底的に悔い改めを迫りました。そのため洗礼者ヨハネは領主ヘロデによって捕らえられ、そして公の舞台から退くことになります。そしてそれは一つの時代の終わりであり、イエスさまの時代という新しい時代の始まりでもありました。

ルカによる福音書3章21-22節にはこうあります。【民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた】。

民衆が皆洗礼を受け、そしてそれに続いてイエスさまも洗礼を受けられました。イエスさまが祈っていると、聖霊が鳩のようにイエスさまの上に降ってきます。そして「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天の声が聞こえてきました。これはイエスさまが民衆の導き手となって、これから歩まれるということです。イエスさまは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、そして私たちの導き手となって、十字架と復活へと歩まれます。そのことによって、洗礼は単なる悔い改めの出来事ではなく、イエスさまに連なる新しい命の出来事としての意味をもってくることになります。

W.H.ウィリモン『洗礼 新しいいのちへ』(日本キリスト教団出版局)という本は、洗礼について書いてある本です。ウィリモンは「洗礼は、キリスト者に神の民としてのアイデンティティを与える式である」と言います。【キリスト者は、洗礼を通して、しかも最終的に、自分が誰であるのかを学ぶのです。洗礼は、アイデンティティを与える式です。洗礼は、あなたが誰であるのかということについて、論じるのではなく断言し、説明するのではなく宣言し、要求するのではなく断定し、ほのめかすのではなく行為によって明らかにし、描き出すのではなくそのように生きよと働きかけます】(P35)。

そして「まったく疑いようもなく、あなたは神のものである」ということが大切だと言います。【私たちは、「・・・・・べきである」という言葉を連発することによって、福音の輝きを曇らせてきましたーあなたがたは、隣人を愛するべきである。もっと立派に生きるべきである。もっと大人になり、年齢相応にふるまるべきである。自分を神にささげるべきである、というように。しかし、洗礼は、あなたがたが何をなすべきか、どうあるべきか、ということについてはほとんど語りません。そうではなく、もっぱら、あなたが誰であるのかを宣言するのです。あなたがたは、新しい民である。あなたたちは聖なる国民である。あなたたちは王の系統を引く者である】(P38)。【教会が語るのは、洗礼を受けるまでは神の子ではない、ということではありません。洗礼を受けるまでは、自分が神の子であると知ることは難しい、と語るのです】(P41)。

イエスさまが洗礼を受けられたとき、天から声が聞こえました。【「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」】。この天からの祝福は、私たちに与えられた祝福でもあるわけです。私たちがりっぱな神の子になったから、私たちは洗礼を受けるわけではありません。私たちが神さまから愛されるのにふさわしい者になったから、私たちは洗礼を受けるのではありません。そうではなく、私たちはただ「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの祝福を、洗礼を受けることによって、宣言されるのです。そのことによって、私たちは自分が誰であるのかということを知ることができるのです。

人はわたしのことをいろいろと言います。「なまけもの!」「臆病者!」「いいかげんな人間だ!」「いばってばかりでいやなやつ!」「弱虫、毛虫!」「役立たず!」。そうしたことは、たしかにそうであるわけです。わたし自身にも「そうかも知れない」と思い当たることがあるかも知れません。しかし、しかし違うのです。そうではないのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。これがわたしなのです。洗礼とはこのことを受け入れるということです。

洗礼を受けてキリスト者として生きるということは、神の民として背筋をピンと伸ばして、胸をはって生きるということです。もちろん私たちには世の中の人から見れば、そんなに胸をはって生きていくだけのものがあるようには見えないかも知れません。「あなたはそんなにりっぱではないだろう」と言われると、そうかも知れません。しかし私たちキリスト者は、神の民であるということにおいて、胸を張って生きるのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。このことにおいて、私たちは胸を張って生きるのです。

クリスマスから新しい年が始まり、2023年になりました。皆様も「今年こそ、これをしたい」というような希望をもって歩みはじめておられることと思います。「ことしは大学の最終学年なので、しっかりと勉強をして卒業したい」と思っておられる方もおられるかも知れません。「ことしこそ、三日坊主になることなく、体操を続けていきたい」と思っておられる方もおられるかも知れません。「ことしこそ、みんなに愛される人間になりたい」と思っておられる方もおられるかも知れません。わたしも「ことしこそ、健康のため、できるだけ散歩をすることにしたい」と思っています。すてきな自分になれるようにと、いろいろとがんばらないといけないと思います。

しかし、すてきな自分になれるようにと、いろいろとがんばらないといけないと思いますが、たとえなることができなくても、神さまは「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と祝福してくださっています。このことにおいて、わたしは胸を張って生きていきたいと思っています。

世の中の困難な世相や、また自分自身のだらしなさや弱さのゆえに、なんとなく希望がないように思える時もあります。しかし大切なことはそうしたことではないのです。大切なことは、神さまが私たちのことを愛してくださり、私たちを救ってくださったということなのです。大切なことは、神さまが「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と祝福してくださっているということなのです。

神さまは私たちを愛してくださっています。このことをしっかりと心に留めて、新しい年も神さまの愛する子として、胸を張って歩んでいきましょう。


(2023年1月8日平安教会朝礼拝) 

2023年1月3日火曜日

1月1日平安教会新年礼拝説教(小笠原純牧師)

 「新しい年。神の恵みに包まれて」

クリスマスに救い主イエス・キリストをお迎えし、そして2022年を終え、2023年を迎えました。新しい年も皆様のうえに、神さまの恵みと平安とが豊かにありますようにとお祈りしています。

毎年、わたしは年賀状に、聖書の言葉を書くことにしています。ことしは、イザヤ書51章8節のみ言葉を選びました。「わたしの恵みの業はとこしえに続き、わたしの救いは代々に永らえる。」。旧約聖書 イザヤ書51章8節。「世の出来事に右往左往することなく、神さまの御手を信じて歩みます。平安教会に赴任をして3年半になりました。コロナ禍のなか、あまり悲観せずに、落ち着いた歩みをしたいと思います。皆さまのうえに神さまの恵みが豊かにありますように」。神さまが私たちに救いの御手をのべてくださることを信じて、常に待ち望み、そして神さまを賛美しながら歩みたいと思っています。

小さい頃に、そうなんだろうなと思っていたことと、あとになってちょっと違っているような気がすると思うことがあります。それは小笠原さんがぼんやりとしているからだと言われると、そうかも知れません。

童謡に「クラリネットをこわしちゃった」という歌があります。(訳・石井好子)。小さい頃、へんなことをしていて、物を壊してしまって、お父さんやお母さんに叱られると思って、びくびくするということがあります。

「ぼくの大好きなクラリネット。パパからもらったクラリネット。とっても大事にしてたのに。こわれて出ない音がある。どうしよう。どうしよう。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオ パパパ。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオパ。」。

わたしはずっとこの「オーパキャマラド パッキャマラド パオパオ パパパ。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオパ」というのは、「たいへんだ。たいへんだ。こりゃたいへんだ」というような感じの意味のない音の表現だと思っていました。

「クラリネットをこわしちゃった」は、もともとフランスの童謡で、「オーパキャマラド パッキャマラド パオパオ パパパ。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオパ」というのは、フランス語なのだそうです。オーパキャマラドというのは、Au pas, camaradesで、「Au pas」(オパ)は「歩調を合わせて」とか「リズムに合わせて」という意味の言葉で、「camarades」(キャマハード)は「仲間、同志」といった意味の言葉です。Au pas, camaradesというのは、「一歩、一歩だよ。友よ」というような感じの意味になります。呪文のように歌っていた言葉に意味があるというのは驚きでした。ですから、この「クラリネットをこわしちゃった」という歌は、おとうさんから怒られる歌というよりは、うまくクラリネットの音がでなくて、困っている子どもを、「大丈夫、一歩、一歩、一緒にやっていこうね」とお父さんが励ましているという歌のようです。

よくよく歌詞を見てみると、3番の歌詞は、「ドとレとミとファとソとラとシの音でない。ドとレとミとファとソとラとシの音でない。パパも大事にしてたのに、みつけられたらおこられる。どうしよう。どうしよう。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオ パパパ。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオパ」が、「「ドとレとミとファとソとラとシの音でない」わけですから、すべての音が出ていないわけで、音を鳴らすことができていないわけです。それでお父さんが「大丈夫、一歩、一歩、一緒にやっていこうね」と励ましているわけです。

「クラリネットをこわしちゃった」の子どものように、なにかうまくいかないと、あわてふためいて、「こわしちゃった。どうしよう。どうしよう」と不安になることが、私たちにもあります。神さまからおこられる。イエスさまから怒られると慌てふためくことがあります。イエスさまも私たちを「オーパキャマラド パッキャマラド パオパオ パパパ。オーパキャマラド パッキャマラド パオパオパ」と励ましておられると思います。新しい一年も、一歩一歩、イエスさまと一緒に歩んでいきたいと思います。


【昨日7月1日は #童謡の日 でした🎶日本で有名なフランスの童謡といえば『#クラリネット壊しちゃった』ですよね。でもあの『オ・パッキャマラード』という部分、一体何のことだと思いますか?実は「行進せよ、同志!」(Au pas camarade ) という意味です!🦵🇫🇷】(フランス大使館のTwitterより)


今日の聖書の箇所は、「神殿で献げられる」「ナザレに帰る」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書2章21節は「羊飼いと天使」という表題のついた聖書の箇所の最後の言葉です。ルカによる福音書2章21節にはこうあります。【八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である】。生まれて八日目に割礼を行なって、名前を付けるということが行われていました。12月25日から八日目ということなので、1月1日がその日となるわけです。

ルカによる福音書2章22ー24節にはこうあります。【さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。】。

イエスさまの時代の人たちは、律法に定められていることに従って、神殿に行って献げ物をするということをしていました。ヨセフさんもマリアさんも律法に従って、生まれたイエスさまについての約束事を行ないます。【主の律法に言われているとおりに】というように、決められていることを、決められたとおりに、普通に行なったということです。

ルカによる福音書2章25−27節にはこうあります。【そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た】。

シメオンは救い主がきてくださることをずっと待ち望んでいました。シメオンは正しい人で、とても熱心な信仰をもっていました。「聖霊が彼にとどまっていた」とありますように、とても霊的にもすばらしい人でした。そして「メシア・救い主に会うまではあなたは決して死ぬことはない」とのお告げを聖霊によって受けていました。そのシメオンが神殿に入ってきた時に、神殿に献げ物をしにきたマリアさん、ヨセフさん、イエスさまに出会います。

ルカによる福音書2章28−32節にはこうあります。【シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」】。

シメオンはイエスさまを腕に抱いて、神さまを讃えました。ついに自分は救い主・メシアに会うことができたと確信したのでした。いままでずっと待ち望んでいたけれども、ついに救い主に会うことができた。その喜びにあふれて、シメオンは神さまをほめたえたのでした。「救い主・メシアに今日、わたしは会うことができた。だからわたしはもう安らかに天に召されてもよい。救い主がこの世に来てくださり、すべての人々を救ってくださる。その方はそして異邦人にとっても救い主となってくださり、異邦人を照らす啓示の光となってくださる。

ルカによる福音書2章33ー35節にはこうあります。【父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」】。

シメオンの言葉に、ヨセフさんもマリアさんも驚きました。自分たちの赤ちゃんが将来、救い主になると言われたわけですから、まあ驚くだろうと思います。そしてシメオンは二人を祝福し、そしてマリアさんに言いました。この子はイスラエルの人たちの指導者となる。この子はイスラエルの預言者たちのようになる。あるときは、人々に神さまの裁きが降ることを預言し、人々は嘆き悲しみに打ちひしがれることになる。またあるときは、人々に希望を語り、人々を勇気づける。そして人々から反発を受けるときもある。そのとき、母であるあなたは剣で心を刺し貫かれるような経験をするだろう。シメオンはマリアさんにそのように語りました。

ルカによる福音書2章36−40節にはこうあります。【また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。】。

神殿にはシメオンだけでなく、アンナという女預言者もいました。預言者アンナも年をとっていました。84歳でした。若い時に結婚をして、7年間、夫と共に暮らしました。しかし夫は天に召されます。そのあとアンナは神殿で、断食をしたり、祈ったりしながら、夜も昼も神さまに仕えて歩みました。アンナもまたシメオンと同じように、マリアさん、ヨセフさん、イエスさまに出会い、神さまを讃美しました。そして救い主がこの世に来られたことを人々に伝えました。マリアさん、ヨセフさん、イエスさまは献げ物を神殿で献げ、そしてガリラヤのナザレに帰っていきました。イエスさまはたくましく育ち、そして知恵に満ちて、神さまの祝福のもと歩まれました。

シメオンもアンナも長い間、神さまが救い主を送ってくださり、自分たちの国を、そして自分たちを救ってくださることを待ち望んでいました。その間、ほんとうに一生懸命に祈りながら、その日々を過しました。

1月1日は、イエスさまが初めて、エルサレムの神殿に連れてこられた日です。そしてずっと救い主を待ち望んでいたシメオンとアンナが、イエスさまに会うことのできた日です。年をとった二人にとっては、とても幸せな日でした。聖書は、神さまを信じて生きる人たちに、大きな希望が与えられることを、私たちに語っています。

新しい一年も、神さまにお委ねして、一歩一歩、歩んでいきたいと思います。神さまは若い人にも、年を重ねた人にも、豊かな祝福を備えてくださいます。どんなすてきなことを神さまが用意してくださっているのかを楽しみにしながら、神さまをほめたたえつつ歩んでいきましょう。



(2023年1月1日平安教会朝礼拝式・新年礼拝)


12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》