「悲しむ人たちへの良き知らせ」
平安教会の関連の牧師である新島襄は、1890年1月23日に帰天しています。明日が帰天日です。1月25日と、2月1日に同志社香里中学校・高等学校で、礼拝説教をすることになっています。校祖永眠記念日礼拝ということで、新島襄の話をしてほしいということでした。
新島襄で有名な話は、「自責の杖」の話です。自責の杖の事件は、開校五年目に起こった事件です。学力の違いによって分けられていたクラスが、年度途中で一つのクラスになるということが決まります。それに対して、反発をした学生が授業を放棄するという事件が起こります。学校側が決めた事を、すんなりと認めることなく、反発して授業を放棄して抗議するということが起こったので、まあちょっと大変なことになったわけです。新島襄は同志社の校長先生で責任者でした。新島襄は教員会議で校則にしたがって、この学生たちに一週間の謹慎処分を下しました。しかし新島襄は途中でこの処分を解除しました。そのために新島襄は、全校礼拝でこの出来事について、自分はこのように考えているということを話しました。「今回の紛争は学生や教師たちの責任ではない。すべて校長たる自分の責任である。よって校長を罰する」。そう言って、礼拝にもってきた杖で、杖が折れるほど、自分の手のひらをたたきました。「新島先生は何一つ悪くないのに、先生や学生たちの罪を引き受けて、自分の手のひらを杖でたたかれたのだ」。まあそうした事件であったと言われています。
この自責の杖の出来事について、北垣宗治(きたがき・むねはる)、同志社大学名誉教授は、「生徒がカンニング、それで新島は・・・」という奨励のなかで、こんなことを書いています。【さて、一八八〇年四月十三日、火曜日の朝のチャペルの時間に新島校長が劇的な振る舞いに及んだことについては、その場に居合わせた生徒のうち原田助という生徒がそのときの感動を日記に記しています。原田はのちに同志社の総長になった人です。また堀貞一という生徒は、感激のあまりその杖の破片を拾い、自分の宝として持ち続け、後年同志社教会の牧師になったときには、その破片を示しつつ、あのときの新島校長の姿を実演してみせて、聴衆に深い感銘を与えたのでありました。】。
この自責の杖の出来事に感動したという生徒と、そうでもなかったという生徒がいたようです。徳富蘇峰はこの出来事の場にいたようですが、あまり感動していないようです。【法学部の田畑忍教授が蘇峰に向かって、自責の杖の場面に蘇峰先生がおられたかどうかを質問しました。蘇峰は、おりました、と答えました。そこで田畑先生が重ねて、そのときどのように感じましたかと尋ねると、蘇峰は「ああ、新島先生の病気がまた出たわい、と思いました」。続けて「あれは新島先生の芝居だった、などという説もありますが、どうですか」という質問に対して、蘇峰は「ああ、芝居も芝居、大芝居。けれども役者がちがう。先生は役者が四枚も五枚も上でした」】。
同じ出来事を経験しても、その感じ方というのは、やはりいろいろなのだなあと思います。イエスさまについても同じように、イエスさまはすばらしいと思った人と、そうでもなかった人たちもいたということが、今日の聖書の箇所で述べられています。今日の聖書の箇所は「ナザレでは受け入れられない」という表題のついた聖書の箇所です。
ルカによる福音書4章16−19節にはこうあります。【イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」】。
イエスさまはガリラヤで、神さまが人々を愛しておられることを告げ知らせていました。ルカによる福音書4章15節には【イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた】とあります。ユダヤ教の会堂で、ユダヤ教の教師の人たちが教えているわけですが、イエスさまもそのような人たちと同じように、人々からユダヤ教の教師として受け入れられていたということです。
イエスさまはイザヤ書を用いて話をされました。イエスさまが読まれた聖書の箇所は、イザヤ書61章1節です。旧約聖書の1162頁です。イザヤ書61章1節以下は、「貧しい者への福音」という表題がついています。イザヤ書61章1節にはこうあります。【主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために】。
イエスさまはイザヤ書61章1節を読むことによって、自分がどのようなことのために、神さまからこの世に遣わされているのかということを明らかにされました。イエスさまは自分は、貧しい人々に福音を告げ知らせるために、神さまがわたしを遣わされたのだと言われました。捕らわれている人々が解放され、目の見えない人に救いがもたらされ、困っている人々、しんどい思いをしている人々の重荷が取り除かれる。そしてみんなが神さまをほめたたえることになる。そのことのために、神さまがわたしを遣わされたのだと、イエスさまは言われました。
ルカによる福音書4章20−24節にはこうあります。【イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。】。
私たちは聖書と言えば、一冊の本というふうに思いますが、しかしイエスさまの時代は私たちが手にしているような本があるわけではないので、聖書は巻物のであるわけです。イエスさまは預言者イザヤの言葉が書かれた巻物を読み、そしてユダヤの会堂の係の人にそれを返して席に座られます。会堂の人々はこのあと、イエスさまはどのような話をされるのかと、イエスさまに注目します。イエスさまの言葉をどれだけ真剣に人々が聴こうとしていたのかがわかります。
イエスさまは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われました。イエスさまの話を聞いていた人々の多くは貧しい人々でした。神さまは貧しい人々のことをお守りくださる。神さまは貧しい人々を救ってくださる。この世界が神さまの正しさによって作りかえられる。それは空言ではなく、必ず実現することなのだ。今日、あなたがたはこのことを聞いたけれども、それは間違いなく実現する。イエスさまが語られた言葉を聞いた人々は、その真実な語りに心を打たれ、イエスさまのことを誉めました。そしてこの人は私たちが知っているヨセフの子どもだけれど、この人の言葉には力がある。貧しい人々はそのように思いました。
しかし一方でそうでもない人々もいました。イエスさまのことをあまり信じられないと思っていた人たちもいました。イエスさまが育たれたナザレですから、イエスさまが小さい頃のことを知っている人たちが大勢いたのです。またイエスさまのお父さんのヨセフさんのこと、マリアさんのこと、そしてイエスさまの家族のことを知っている人たちが大勢いました。そうした人たちはあまりにイエスさまのことが身近に感じられるので、イエスさまのことを信じることができないわけです。「この人はヨセフの子ではないか。」。そんな大した人間であるわけがないと思えるのです。
イエスさまもそうしたことがわかっているので、ちょっと斜(はす)に構えたような話をしています。あなたたちは「イエス、お前はカファルナウムでいろいろな奇跡を行なったわけだから、地元であるナザレでも同じようにしてくれよ」と言うだろう。「いや、わかっている。預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」。「あなたたちはわたしのことを敬おうというような気持ちはないだろうし、わたしを信じることはないだろう」。イエスさまはそのように言われました。
そして人々にとって、あまり言われたくないようなことを、イエスさまは続けて語られました。ルカによる福音書4章25−30節にはこうあります。【確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。】。
イエスさまは預言者エリヤや預言者エリシャも、ユダヤ人に対してではなく、異邦人に対して奇跡を行われたということがあったと言われます。預言者エリヤが行なったこの奇跡については、列王記上17章に書かれてあります。旧約聖書の561頁です。列王記上17章1節以下には「預言者エリヤ、干ばつを預言する」という表題のついた聖書の箇所があります。列王記上17章8−9節にはこうあります。【また主の言葉がエリヤに臨んだ。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」】。シドンのサレプタというのは、ユダヤ人ではなく異邦人が住んでいる町です。
また預言者エリシャが行なった奇跡については、列王記下5章に書かれてあります。旧約聖書の583頁です。列王記下5章1節にはこうあります。【アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。】。エリシャはこのナアマンの思い皮膚病をいやされるのですが、ナアマンはアラムの王の軍司令官ですから異邦人です。
イエスさまは預言者エリヤや預言者エリシャの奇跡の話をされて、イエスさまを信じない人たちに対して、預言者エリヤや預言者エリシャも、異邦人に対して奇跡を行なっているのだから、わたしもあなたたちに言われたからといって、「はいはい、いやしの奇跡を行ないますよ」というようなことはしないと言われたということです。まあイエスさまも人々がカチンと来るようなことを言わなくても良いと思うのですが、この話を聞いて、ユダヤの人々は怒り出すわけです。【皆憤慨し、総立ちになっ】たというわけですから、そうとう怒っています。人々の怒りはただ事ではなかったわけです。そしてイエスさまを会堂からだけでなく、町の外に追い出します。そして町が建っている山の崖(がけ)まで連れて行き、そしてそこからイエスさまを突き落とそうとしました。人々はイエスさまを殺そうとしているわけですから、それはまあいくら何でもしてはならないことです。イエスさまは人々の間をするっと抜けて、そこを立ち去りました。
まあイエスさまももう少し言葉に気をつけたほうが良かったかなあと思いますが、まあイエスさまも伝道をし始めてまだ間もない時であり、これほど人々が怒り出すとは思わなかったのかも知れません。しかしイエスさまが言いたかったことというのは、やはり神さまを信じるということは、小手先のことではないということなのです。ナザレの会堂にいた人々の中には、神さまのことではなく、イエスさまがどんな奇跡を行なうのだろうかということに気持ちがいっている人々がいました。カファルナウムで奇跡を行われたのだから、故郷のナザレではもっとなにかすごい奇跡をしてくれるのではないだろうか。そうした思いの中では、奇跡はサーカスの一芸のようなものになってしまっているわけです。自分たちが見物をして、「あー、すごい奇跡だ」とびっくりするためのものであるわけです。そこにはイエスさまが示してくださる神さまの愛についての関心はありません。神さまのことなど、どうでも良いわけです。そのような人々に対して、イエスさまは神さまの関心もあなたたちではなく、異邦人に向けられるだろう。預言者エリヤや預言者エリシャが行なった奇跡も、異邦人に対して行われただろうと言われたのでした。
そしてイエスさまは自分がこの世にきたのは、貧しい人々に福音を告げ知らせるためなのだと言われたのです。あなたたちのような小手先の関心ではなく、心の底から神さまを求めている人たちに対して、神さまの祝福がその人の上にあると告げるのだと、イエスさまは言われました。
【「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」】。
貧しい人々、悲しんでいる人々に、イエスさまは神さまが共にいてくださることを告げました。イエスさまの言葉は、「悲しむ人たちへん良き知らせ」です。ルカによる福音書6章20節以下に、「幸いと不幸」という表題のついた聖書の箇所があります。新約聖書の112頁です。
イエスさまは言われます。【「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。】。
さみしいとき、かなしいとき、イエスさまは私たちにともなってくださり、私たちの涙をぬぐってくださいます。イエスさまと共に安心して歩んでいきましょう。
(2023年1月22日平安教会朝礼拝式)