2024年2月9日金曜日

2月4日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「神さまのお守りの中にある」

「神さまのお守りの中にある」

 

聖書箇所 ヨハネ5:1-18。493/528。

日時場所 2024年2月4日平安教会朝礼拝式

  

岡山教会の方から、沢知恵『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット)というブックレットをいただきました。沢知恵(さわ・ともえ)さんはシンガーソングライターで、ご両親とも牧師です。沢知恵さんは赤ちゃんのときに、お父さんが瀬戸内海にある大島青松園というハンセン病の療養所にある教会につれていってくれたことの関係で、いま、ハンセン病療養所の音楽文化研究をしています。

『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』というブックレットは、ハンセン病療養所の園歌について書かれてかります。ハンセン病は皮膚の感染症です。昔は「らい病」と言って恐れられていました。感染力は極めて低く、日本のハンセン病療養所に勤務した職員のうち、発病した人はだれもいないということです。しかし日本政府による隔離政策がとられ、1931年に「癩予防法」が制定されます。ハンセン病患者はハンセン病療養所での生活を強いられることになります。1940年代にアメリカで特効薬のプロミンが開発されましたが、その後も日本では隔離政策がとられ、1996年まで「癩予防法」が廃止されることはありませんでした。ハンセン病患者は差別され続けました。ハンセン病であることがわかると隔離され、家族から縁を切られるということがありました。家族からハンセン病患者が出たとわかると、家族をも差別されるからです。

全国のハンセン病療養所には、「つれづれの」という歌碑が建てられているそうです。「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という短歌です。「入居者の退屈を慰める話し相手になりなさい。行くことが難しい私に代わって友となって」という短歌です。大正天皇の后(きさき)である貞明皇后(ていめいこうごう)の歌だそうです。この短歌に曲がつけられていて、全国のハンセン病療養所で歌われていました。短歌の内容は、貞明皇后がハンセン病施設で働いている人たちに、「わたしの代わりにハンセン病患者の友だちになってくださいね」ということであるわけです。ですから歌自体は施設で働いている人たちへの歌であるわけですが、それでもこの歌は患者の人たちにも愛された歌であったようです。沢知恵さんはこんなふうに書いています。【私は全国の療養所を旅して園歌を調べていくうちに、園歌はうたえなくても《つれづれの》ならうたえるという人にたくさん出会い、驚きました。うっとした表情を浮かべながらうたうその姿に、ただならぬ雰囲気を感じたものです】(P.20)。

それほどハンセン病患者は孤独であったということです。家族から縁を切られ、頼る人もおらず、友となってくれる人を求めていたということなのでしょう。もちろんハンセン病療養所のなかで結婚をする人もいましたし、生活の中での友だちもいただろうと思います。しかし国家によって隔離政策がとられ、家族から棄てられ、以前の友だちに連絡を取ることもできず、孤独を味わった人たちにとって、「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という歌は、慰めの歌であったのでした。

今日の聖書の箇所にも、病気のために孤独な生活を強いられた人が出てきます。今日の聖書の箇所は「ベトサダの池で病人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書5章1−5節にはこうあります。【その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。】。

エルサレムの羊の門のそばに「ベトザタ」という池がありました。その池にときどき天使がやってきて、池の水が動く時に、一番先に水の中に入ることができると、どんな病気であってもいやされるというふうに言われていました。そのため病気の人たちは、近くの回廊に横たわって、水の動く時を待っていました。病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人、いろいろな人が横になっていました。そのなかに38年もの間、病気で苦しんでいる人がいました。

ヨハネによる福音書5章6−9節にはこうあります。【イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。】。

イエスさまはその38年間病気で苦しんでいる人に、「良くなりたいか」と声をかけられました。まあ病気で38年間苦しんでいるわけですから、良くなりたいと思っていないわけはないのです。病気が良くなりたいからこそ、病気がいやされるかも知れない、「ベトザタ」の池の近くの回廊に横になっているのです。しかしこの38年間病気のために苦しんでいた人は、「良くなりたいか」と問われて、「良くなりたいです」と応えたわけではありませんでした。彼の口から出てきた言葉は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という言葉でした。

彼は孤独でした。だれも彼に寄り添ってくれる人はいませんでした。いろいろな病気の人たちがこの「ベトザタ」の池にやってきているわけです。もちろん病気が軽くて、自分の力で水が動くと、瞬時に反応して、池に駆け込むことのできる人もいたでしょう。自分が動くことができない人であっても、その周りに支える人たちがいて、その人たちが病気の人を池の中に運んでくれるということもあったでしょう。しかしこの38年間病気で苦しんでいた人は、周りで支えてくれる人や気づかってくれる人がいませんでした。

この「ベトザタ」の池も、なかなかしんどいところです。病院であれば、「次の方どうぞ」というように順番があるわけですが、この「ベトザタ」の池には順番というものがないのです。池の水が動く時に真っ先に入るものがいやされるのです。いつ水が動くということがわかっていないわけですから、まあそれまでは病人同士で、「ここが痛い」とか「こうしたらちょっと痛みが和らぐよ」というような話がなされ、いたわりあいがあるのではないかと思います。でも水が動いたら、そうしたいたわりあいなどなかったかのように、我先にと水の中に飛び込まなければなりません。そうでなければ、自分の病気は治らないのです。38年間病気であった人は、38年間、自分も含めた病気の人たちの争いを見続けてきたのです。こころもすさんでくることになります。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という彼の言葉は、そうした絶望の叫びの言葉であるのです。

イエスさまはその人を癒やされます。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と声をかけられます。すると、その人やいやされました。そして床を担いで歩き始めました。その日はちょうど安息日でした。ユダヤ教では案宗日は、働いてはいけない日です。ですから病気をいやすということも行なってはならないと考える、ユダヤ教の指導者たちがいました。ユダヤ教では神さまから与えられた法律である律法を守ることが大切であるとされています。とくに律法のおおもとであるモーセの十戒を守ることはとても大切なことであるわけです。モーセの十戒には、【七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる】(申命記0514)とありました。「安息日はいかなる仕事もしてはならない」と考えられていました。

ヨハネによる福音書5章10−13節にはこうあります。【そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。】。

イエスさまから病気をなおしてもらった人は、床を担いで歩いていましたので、そのことをユダヤ人たちから非難されます。安息日はいかなる仕事もしてはならないわけですから、床を担いで歩いてはいけないというわけです。その人はユダヤ人たちに対して、わたしの病気を治してくれた方が、「床を担いで歩きなさい」と言われたのだと応えました。ユダヤ人たちは「そんないい加減なことをいうヤツはだれだ」というわけで、「だれがそんなことを言ったのか」と、彼に尋ねます。しかし彼はイエスさまのことを知りませんでした。

ヨハネによる福音書5章14−18節にはこうあります。【その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。】。

イエスさまは神殿の境内で、この人に出会います。そして「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」と言われます。罪を犯していることが病気の原因のような考え方は、いまの私たちからすると、「どうしてこんなこと、イエスさまが言われるのかなあ」と不思議な気がするわけです。そうした考え方はイエスさまご自身がお嫌いな考え方であると思うわけですが、ヨハネによる福音書の著者の創作によるものなのか、まあ詳細はよくわかりません。まあとにかくイエスさまにこの人は再び、出会ったので、そのことをユダヤ人たちに知らせます。するとユダヤ人たちはイエスさまのことを迫害し始めます。

イエスさまはユダヤ人たちの考えとは違って、安息日にもいやしのわざを行なっておられました。イエスさまは安息日に病気の人をいやしてあげることは、神さまの御こころに叶うことだと言われます。神さまは安息日であったとしても、しんどい思いをしている人や、困っている人に対して、こころを働かせておられる。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」。しかしユダヤ人たちは、そのように言われるイエスさまを殺そうとします。

イエスさまは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われました。神さまは憐れみ深い方で、苦しんでいる人、悲しんでいる人を、見過ごされる方ではないと、イエスさまは言われます。あなたがいくらお祈りしても、今日は安息日なので、あなたのお祈りを聞くことができないのだと、神さまは言われない。神さまは悲しみの中にある人、苦しみの中にある人のために、いつも働いておられる。だからわたしも神さまと同じように、安息日であろうと、病気で苦しんでいる人々を癒やすのだと、イエスさまは言われました。

病気の人にとって、安息日はないのです。「今日は安息日だから、痛みがないわ」ということであれば良いわけですが、痛みは毎日あるのです。「今日は安息日だから、何の悩みもないわ」というのであれば、良いわけですが、しかし私たちの悩みに、安息日はないのです。しかし、神さまは私たちの悩みを聞いてくださり、私たちの悲しみ、苦しみに寄り添ってくださるのです。

私たちは日常生活のなかで、いろいろな不安な出来事に出会います。いろいろなことで悩みます。自分自身のこと、家族のこと、友人のこと。家族の病気が早く良くなってほしいと思います。孫の受験のことで心配になったりします。仕事のことで悩んでいた友人のことも気になります。

自分の力ではどうすることもできないような大きな出来事の前に、こころが痛むということもあります。ウクライナでの戦争、パレスチナでの戦争。いろいろなところで大災害。能登半島地震の被災地のニュースを聞くたびに、私たちのこころは悲しみでいっぱいになります。

いろいろなことがある私たちですけれども、しかし神さまが私たちと共にいてくださいます。イエスさまは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われました。私たちの神さまは、私たちの悩みや苦しみ、またやるせない気持ちをご存知です。そして私たちを愛してくださり、私たちに良き道を備えてくださいます。神さまが私たちのために働いてくださっている。このことを信じて、私たちもまた神さまの御心にそった歩みでありたいと思います。共に祈りつつ、共にこころを通わせ合いつつ歩んでいきましょう。

  

(2024年2月4日平安教会朝礼拝式)

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