2024年3月28日木曜日

3月24日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師) 「背筋を伸ばして、胸をはって」

 「背筋を伸ばして、胸をはって」

 

聖書箇所 ヨハネ18:1-40(1801-1811)。307/311。

日時場所 2024年3月24日平安教会朝礼拝式・棕櫚の主日礼拝


今日は棕櫚の主日です。今日から受難週が始まります。イエスさまの受難を覚えつつ過ごします。そして喜びをもって、イースターを迎えたいと思います。

棕櫚の主日の出来事についての聖書の箇所は、ヨハネによる福音書12章12ー19節の「エルサレムに迎えられる」という表題のついた聖書の箇所です。新約聖書の192頁です。ヨハネによる福音書12章12−19節にはこうあります。

【その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」】。

この「エルサレムに迎えられる」という聖書の箇所は、ヨハネによる福音書以外の福音書にも記されています。それぞれまた読んでいただいたら良いかと思いますが、ヨハネによる福音書には「なつめやしの枝」と書かれてあります。「なつめやし」というところから、棕櫚の主日と言われるようになっています。

イエスさまがエルサレムにやっておられるのを、人々がなつめやしの枝をもって歓迎します。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」。しかしこのあと、イエスさまはユダヤ教の指導者たちによって捕らえられ、裁判を受けられ、そして十字架つけられることになります。

今日の聖書の箇所は、その話です。「裏切られ、逮捕される」という表題のついた聖書の箇所です。この日にはこの聖書の箇所を読みますという、「聖書日課」と言われるものがありますが、今日の日本基督教団の聖書日課は、ヨハネによる福音書18章1−40節となっています。とても長いので、今日はヨハネによる福音書18章1−11節についてお話することにいたしました。

ヨハネによる福音書18章1−3節にはこうあります。【こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。】。

ヨハネによる福音書では、イエスさまがいわゆる弟子たちに対してお別れの説教をされて、そして弟子たちのために祈られます。ヨハネによる福音書17章1節以下には「イエスの祈り」という表題のついた聖書の箇所があります。そしてそのあと、今日の聖書の箇所となります。イエスさまは祈りを終えられ、そして弟子たちと一緒にギドロンの谷の向こうに行かれます。マタイによる福音書やマルコによる福音書では、ゲッセマネの園と言われます。イエスさまは弟子たちと一緒によくそこに来ておられました。イエスさまを裏切るイスカリオテのユダも、その場所を知っていました。イスカリオテのユダは、イエスさまがゲッセマネの園におられることを知り、ユダヤの指導者たちの下役や兵士たちと一緒に、イエスさまを捕らえにやってきました。

ヨハネによる福音書18章4−9節にはこうあります。【イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。】。

イエスさまは自分が下役たちに捕らえられ、大祭司たちによって裁判を受け、十字架につけられることになることを知っておられました。そして自分を捕らえにきた人たちに、「だれを探しているのか:と言われます。彼らは「ナザレのイエスだ」と答えます。それに対して、イエスさまは「わたしである」と言われます。イエスさまが「わたしである」と言われると、彼らは後ずさりして倒れます。イエスさまはまた「だれを探しているのか」と言われ、そしてまた彼らは「ナザレのイエスだ」と言い、それに対して、イエスさまは「わたしである」と言います。そしてわたしを捕らえにきたのではあれば、その他の人たちは関係ないだろう。彼らはここから去らせなさいと言われました。

ヨハネによる福音書18章10ー11節にはこうあります。【シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」】。

イエスさまの弟子の使徒ペトロはもっていた剣で、大祭司の下役に切りかかります。そして右の耳を切り落とします。他の福音書では下役の耳を切り落とした人の名前は記されていませんが、ヨハネによる福音書でははっきりと、シモン・ペトロと記されています。耳を切り落とされた相手の名前も、マルコスと記されています。どうして切りかかった人が、ペトロになっているのかというのは、よくわかりません。しかしペトロは弟子たちの代表ですから、「剣をさやに納める」ということは、いかなることであっても大切なことなのだということが記されているのではないかと、わたしには思えます。イエスさまは「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と言われます。イエスさまの十字架は、神さまが用意されたことであり、それは避けることのできないことであるということです。イエスさまは私たちの罪のために、十字架につかれます。それは神さまが用意をされたことであり、神さまが私たち人間を罪から救うための、イエスさまに託された出来事であるということです。

イエスさまはこの聖書の箇所で、「わたしである」と二度言われます。「わたしである」という言葉は特別な言葉です。ギリシャ語の「エゴー・エイミー」と言われる言葉です。その言葉自体は、「わたしは存在する」という言葉であるので、まあだれでも使う言葉であるわけです。しかしこの言葉は、聖書の中では特別な言葉とされ、神さまが自分のことを人間に表わすときの言葉とされています。「神顕現」の言葉とされていますです。そうした特別な言葉であるので、イエスさまを捕らえにきた手下たちは、後ずさりして倒れるわけです。イエスさまは自分を捕らえにきた人々に、「わたしである」と言われ、自分が逃げも隠れもしないことを宣言されます。

だれの前にもしっかりと立って、自分が自分であることを宣言するということは、とても大切なことです。だれの前でも「わたしである」と言えると良いと思います。しかし私たちは人間ですから、何か都合の悪いことができると、そこから逃げてしまいたいというような思いにかられるときがあります。人をごまかし、自分をごまかして、逃げてしまおうとするときというのがあります。

最近、わたしの見たテレビドラマに「セクシー田中さん」というドラマがあります。主人公の田中京子さんは昼は地味な経理部の女性で、夜はベリーダンサーであるという設定です。田中さんは周りの人とコミュニケーションをとるのが苦手で、いつのまにか人を避けるようになり、勉強や仕事にだけ打ち込んで生活をしていたわけですが、あるとき自分が年寄りのように猫背になってしまっていることに気がつきます。そしてこんなことではいけないと思い、ベリーダンスを始めます。田中さんはベリーダンスを始めることによって、自分の居場所を見つけ、そして曲がった背筋が伸びてきます。そして周りの人たちに対しても、よい影響を及ぼす人になっていきます。「このドラマの「背筋を伸ばして生きていく」という設定は、とてもすがすがしい気持ちを、わたしに与えてくれました。田中さんだけでなく、周りの人も「背筋を伸ばして生きていく」、そんな生き方をしたいと思うというところが良いなあと思えます。だれもやはり背筋を伸ばして生きていきたいのです。

年をとってきたということもありますが、何となくわたしも猫背になってきて背筋が曲がってきたような気がします。まあ身体のほうがそれはそれで仕方がない気もしますが、こころも曲がってくるというのではいけないなあと思います。しっかりと「背筋を伸ばして、前を向いて」生きていくという気持ちを忘れないようにしたいと思いました。

今日の聖書の箇所で、イエスさまは自分を捕まえにやってきた人々に対して、逃げも隠れもせず、「わたしである」と言われます。そして引け目のあるユダヤの指導者たちの下役たちは、それに対して後ずさりして、地に倒れるのです。イエスさまは「わたしである」と言いつつ、背筋を伸ばして生きています。誰の前にも恐れることなく、神さまの御心に従って歩まれます。

わたしはクリスチャンに大切なことは、「胸をはって生きていく」ということだと思っています。もちろん私たちは人間であり、罪人ですから、こころのなかに邪な思いをもちますし、またじっさいに悪いことをしてしまうということがあります。神さまの前にふさわしくないものであることは、重々承知であるわけです。しかしそんな私たちを愛し、私たちの罪を赦し、私たちを祝福してくださる神さまがおられるのです。「安心していきなさい」と、私たちを励まし導いてくださる方がおられるのです。

ですから、私たちは背筋を伸ばして、胸をはって生きていきたいと思います。自分により頼んで生きるのではなく、神さまに、イエスさまにより頼んで生きていきたいと思います。

棕櫚の主日を迎え、受難週に入りました。イエスさまが私たちの罪のために十字架についてくださいます。私たちの罪を担い、私たちを新しい命へと導いてくださるために、イエスさまは十字架についてくださいます。神さまの、イエスさまの深い愛を信じて、背筋を伸ばして、胸をはって歩みたいと思います。

 



(2024年3月24日平安教会朝礼拝式・棕櫚の主日礼拝)

2024年3月20日水曜日

3月17日平安教会礼拝説教要旨(森田喜基牧師)「一粒の麦」

「一粒の麦」 森田喜基牧師

ヨハネによる福音書 12:20-26節節

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。」イエスがなぜこのタイミングでこれを語られたのでしょうか。エルサレム入城で大歓迎を受け、フィリポとアンデレにギリシア人たちがイエスに会いたいので仲介してほしいと頼んできた時、彼はどれほど嬉しく、また誇らしかったでしょうか。ところがイエスは彼らの喜びや大きく膨らんだ期待を一蹴するかの如く、語り始めたのです。それがこの一節です。通常「一粒の麦」が「死んで」芽が出たとは言わず、「芽を出した」と言うでしょう。しかしイエスは、あえて「死」という言葉を用いて、ご自身の十字架の上の死を重ねて語られました。ここで「一粒の麦」が語られた理由は、これから歩まれる十字架への道が、弟子たちの抱く期待、人々の歓声とは全く違う方向に向かうものだったからです。多くの人々がイエスを歓迎し、期待する時、弟子たちはその人々の期待をイエスが裏切らないように望みました。イエスが弟子の足を洗われた際、ペトロは「私の足など決して洗わないでください。」と人々に仕える模範を示されたイエスを拒みました。ヨハネ福音書4章には、イエスとサマリアの女との交流が描かれますが、この女性との関わりは、ユダヤ人からは受け入れがたいものでした。イエスの歩みは、人々の期待に必ずしも沿うものではなく、むしろ受け入れがたい方向へと進み、皆から歓迎され、尊敬される立場に執着し、留まることをされませんでした。それが正に十字架への道であり、そのお苦しみの中で、イエスは皆から拒絶され、その結果、孤独の中に生きる人々と寄り添われたのです。ここに希望があります。25節「自分の命を愛する者は、それを失う」とは、自分の大事にしているものを手放さず、執着する生き方であり、神に支えられて生きよというメッセージに、自分を委ねることのない生き方です。26節「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。」十字架へと歩まれたイエスの生き様に学びつつ、私たちが今、誰と出会い、誰と共に生きることが、真の命、永遠の命に生きることなのか、改めてこの受難節に自らの歩みを見つめたいと思います。そしてまた私たちがどんなに挫折し、苦悩することがあっても、一粒の麦として十字架の道を歩まれ、そして復活されたイエス・キリストが、私たちの前を十字架を背負って歩んでおられ、共にいてくださることに、全てを委ねて歩んでまいりましょう。

2024年3月14日木曜日

3月10日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師) 「わたしもイエスさまに香油を塗りたかった」

 「わたしもイエスさまに香油を塗りたかった」

 

聖書箇所 ヨハネ12:1-8。306/313。

日時場所 2024年3月10日平安教会朝礼拝式・受難節4

  

心の中にある真実な思いが行動に現れるということがあります。いろいろな自然災害が私たちの周りにおこったとき、「なにかしたい」という思いにかられます。そして募金を行なったりします。そうしたときは自分のなかでお金の勘定をしているということではなく、ぱっと募金をしたりするわけです。私たちは普段の生活の中で、お金の使い方について一生懸命に考えるわけですが、しかし金勘定だけで生きているわけではありません。教会建築などについてもやはり同じようなお話をお聞きすることがあります。「よく教会建築できましたね」とお尋ねすると、「はじめはとてもできるとは思えなかったけれど。やっぱり神さまが私たちの祈りを聞いてくださったんだね」というようなお返事をお聞きすることがよくありまます。みんなで祈りつつ、献金をして、教会建築を行なったわけです。

歴史学者である中島岳志(なかじま・たけし)は、『「利他」とは何か』という本のなかでつぎのようなことを言っています。【ヒンディー語では、「私はうれしい」というのは、「私にうれしさがやってきてとどまっている」という言い方をします。「私は」ではなくて、「私に」で始まる構文のことを、ヒンディー語では「与格」といいます。この「与格」が現代語のなかにかなり残っていて、ヒンディー語を勉強する時にこれがものすごく難しい。「私は」で始めるのか、「私に」で始めるのかというので、初学者はすごく戸惑うポイントです。「私は」というのは私が行為を意志によって所有しているという観念だと思いますが、「私に」何々がやってくるというのは、不可抗力によって私に何かが生じているという現象のときに使います。たとえば、「風邪をひいた」「熱が出ている」というのは与格で表現します。つまり、私が風邪をひきたい、熱を出したいと思ってそうなっていうのではなく、私に風邪や高熱がやってきてとどまっている、という言い方をします。「私はあなたを愛している」というのも、「私にあなたへの愛がやってきてとどまっている」。私が合理的にあなたを解析して好きになったのではなく、どうしようもない「愛」というものが私にやってきた】(P.101)。

中島岳志は、近代・現代社会は人間の意志ということに囚われすぎている。人間の意志によってすべての行為が行われているということが強調されすぎていると言います。たしかに私の意志とは思えないような思いに駆られて、このことをしたいと思うということがあるわけです。【「私はあなたを愛している」というのも、「私にあなたへの愛がやってきてとどまっている」。私が合理的にあなたを解析して好きになったのではなく、どうしようもない「愛」というものが私にやってきた】。たしかに好きになることの説明はむつかしいですから、人は「恋に落ちる」というわけです。初めは「いやなやつ」と思っていた人のことが好きになったりするわけです。なにかに突き動かされるような思いによって、そのことを行なうということが、私たちにはあるのです。

今日の聖書の箇所は「ベタニアで香油を注がれる」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書12章1−3節にはこうあります。【過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。】。

ヨハネによる福音書では、イエスさまに香油を注ぐ女性は、ラザロの妹のマリアです。その出来事が行われた場所は、ラザロの家となっています。ヨハネによる福音書では、このラザロという人は特別な人であるわけです。ヨハネによる福音書11章1節以下に「ラザロの死」という表題のついた聖書の箇所があります。新約聖書の188頁です。ラザロは死んだわけですが、イエスさまによってよみがえります。

イエスさまは過越祭のときに、十字架につけられます。ですから「過越祭の六日前」ということは、もう少しするとイエスさまが十字架につけられるということです。イエスさまはベタニアのラザロのところにいきました。イエスさまのために夕食が用意されています。ラザロの妹のマルタが給仕をしています。「マルタ、そんなにがんばらなくてもいいよ」と、私たちは思うわけですが、マルタは給仕をしているわけです。ラザロとイエスさまが食事の席に着いていました。そのときにラザロの妹のマリアが、とても良い高価なナルドの香油をもってやってきます。聖書の後ろのほうに「度量衡および通貨」という便利な表がついていますが、その表によりますと、1リトラというは約326グラムということです。マリアはその高価なナルドの香油を、イエスさまの足に塗りました。そして自分の髪でその足をぬぐいました。髪の毛で足をぬぐうより、今治タオルで拭いてあげたほうが良いような気がするわけです。しかしイエスさまの時代、女性の髪というのは象徴的な意味において価値があったということだと思います。それはまあ尊い行ないであったのです。ラザロの家は高価なナルドの香油の香りで一杯になりました。みんな気持ちの良い香りに包まれました。

ヨハネによる福音書12章4−6節にはこうあります。【弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである】。

マリアが香油をイエスさまの足にぬったをみて、イスカリオテのユダがマリアを叱ります。300デナリオンというのは、1デナリオンが一日の労働者の賃金と言いますから、まあ1デナリオンが1万円とすると、300デナリオンは300万円ということになります。まあたしかに高価なものであるわけです。300万円のナルドの香油を、マリアの一存でなにかできたのかどうかということはよくわかりません。まあ一般的に考えると、兄のラザロも知っていたということではないかと思います。まあ人の家のお金に使い方について、どうこういうというのは、まあ現代であれば控えるべきことであるような気もします。しかしまあイスカリオテのユダの言った「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」という言葉も、まあそんなにおかしなことでもないような気がします。

ヨハネによる福音書は、イスカリオテのユダがイエスさまを裏切ったという出来事があったあとに書かれていますから、イスカリオテのユダはとんでもない悪人ということで書かれています。ですから【彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである】というようなことも書かれてあります。しかしまあ実際にイスカリオテのユダが、不正をしていたのかどうかということはわからないわけです。イエスさまのグループの会計をしていたわけですから、まあイスカリオテのユダはある意味、みんなから信頼されていたと思います。ですからまあ私たちの判断からすると、ヨハネによる福音書の著者がこのように、イスカリオテのユダのことをあしざまに後から書くということも、「まあ、どうなんだろうねえ」というような気持ちになるわけです。

ヨハネによる福音書12章7−8節にはこうあります。【イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」】。

イエスさまはイスカリオテのユダがマリアを叱ったことに対して、「この人のするままにさせておきなさい」と言われました。イスカリオテのユダの言ったことが正しいとは言われませんでした。イエスさまは「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」と言われました。マリアがわたしの足に香油を塗ってくれたことには、大切な意味があるのだと言われました。それはわたしの葬りの備えなのだと、イエスさまは言われました。イエスさまは十字架につけられ、そして葬りの備えをすることもできずに、墓に納められることになります。その葬りの備えを、あらかじめいま行なってくれたのがマリアなのだと、イエスさまは言われました。貧しい人々にはあなたたちがこれからも一緒にいることができるから、これからいろいろな機会に、貧しい人たちを大切にしてあげてほしい。それはイスカリオテのユダが言うとおりだ。でもわたしはいつまでもあなたたちと一緒にいるわけではない。わたしはもうすぐ十字架につけられ、あなたたちから離れていくことになるのだから。そのようにイエスさまは言われました。

テレビのワイドショーをみたり、インターネットのニュースなどをみたりしますと、コメンテーターと言われる人たちが、いろいろと「このようにするのが正しいのだ」というようなことを言うのを目にすることがあります。どういう基準でこのコメンテーターって選ばれているのだろうと思うこともあります。「ちょっと、それ、非常識すぎるだろう」というような意見をいう人もいます。またとても合理的な意見をいう人もいます。イスカリオテのユダの意見は、どちらかと言えば合理的な意見です。まあ正しい意見です。この「ベタニアで香油を注がれる」という出来事が行われた後も、「まあイエスさまはああ言われたけど、でもイスカリオテのユダの言ったことも一利あるよね」という人は多かっただろうと思います。たぶん正しい意見なのです。

しかし正しい意見であるからこそ、そこに愛がないことに配慮をしなければならないのだと思います。イスカリオテのユダの言ったことは、正しいけれども、愛がないのです。そしてまた先のことは、私たちにはわからないのです。イエスさまが十字架につけられたあと、みんなあとから思ったのです。「ああ、あのとき、マリアがイエスさまの足に香油を塗ってさしあげて、葬りの備えをしてあげることができて、ほんとによかったよね」。そのようにみんなあとから思ったのです。「わたしもイエスさまに香油をぬってさしあげたかった」とみんな思ったのです。

合理的に考えるとなんかちょっと変だよねと思えることだったし、イスカリオテのユダがそのことをはっきりと口に出して、マリアを叱ったけど、でもなんかマリアは何かに突き動かされるように、イエスさまの足に香油を注いだんだよね。いまから考えると、あのとき、マリアがイエスさまに香油を塗って差し上げて、ほんとによかったよね。神さまの導きとしか思えないね。聖霊の働きだよね。

私たちは普段は合理的な考え方をしていますから、自分がマリアのようにイエスさまの足に香油を注いだりしないような気がします。そのように思いつつ、しかしやはり私たちの心の中には「わたしもイエスさまに香油を塗ってさしあげたかった」という思いがあるのです。私たちもまたイエスさまに仕えるマリアであるのです。イエスさまのために良いものをおささげしたいという思いをもっています。自分の思いとも思えないほど、きれいな思いが私たちのこころのなかにあるのです。神さまが私たちにくださる愛による思いなのです。

レント・受難節も第四週になりました。イエスさまがイスカリオテのユダの裏切りにあい、ユダヤの指導者たちによってつかまるときが近づいてきます。イエスさまが十字架への苦しみの道を歩まれます。私たちはイスカリオテのユダのように、イエスさまを裏切るような弱い心をもっています。しかしまた同時に、「わたしもイエスさまに香油を塗ってさしあげたい」とのやさしい心も持っています。神さま、どうか私たちを、あなたの良きことのために用いてくださいと祈りつつ、このレント・受難節のときを過ごしたいと思います。



 

(2024年3月10日平安教会朝礼拝式・受難節4)

2024年3月8日金曜日

3月3日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「人は去っても、われらは信ずる」

「人は去っても、われらは信ずる」


聖書箇所 ヨハネ6:60-71。298/303。

日時場所 2024年3月3日平安教会朝礼拝・受難節第3主日


レント・受難節、イエスさまの御苦しみを覚えながら過ごしています。ウクライナの戦争、パレスチナの戦争と、私たちの世界は重苦しい戦争の影を感じなら、このレント・受難節のときを過ごしています。戦争が起こりますと、自分がどちらの側につくのかということが問われるような気持ちや場面に立たされることがあります。

私たちの教会が属しています日本基督教団は、「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」(日本基督教団教憲)、1941年6月24日に30数教派の教会の合同によってできました。ときはアジア・太平洋戦争の時代です。当時の国家政策は、戦時下において宗教団体を管理しやすいようにしようではないかということでした。ばらばらで自由であったら管理しにくいですから、国は管理しやすいように合同させようとしたわけです。ですから日本基督教団はそうした国家による宗教団体管理の流れのなかで、国家によって合同させられたという面があります。まあそうでなければ、30数教派の教会が簡単に合同することはできなかったでしょう。そして日本基督教団はほかの宗教団体と同じように、戦争に協力をしていきました。戦後、そうした戦争中の歩みが、神さまの前にふさわしくなかったと、日本基督教団は反省をしました。そして鈴木正久教団議長名で、1967年3月26日に、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出しました。

日本基督教団は戦時下で合同しました。ではドイツの教会はどうだったのでしょうか。やはりナチス・ドイツも教会を国家の管理下に置こうとしました。当時、ドイツ国内にあった28の領邦教会を統合し、「帝国教会」を設置することが求められました。「民族は一つ、国家は一つ、教会は一つ」というスローガンのもとに、ナチス政府は各領邦教会に向かって「ドイツ福音主義教会」(DEK)への統合を呼びかけました。そして領邦教会はナチス政府の強制的同質化政策に迎合することになります。ドイツ福音主義教会はしだいにおかしくなっていきます。教会総会でユダヤ人牧師を排除する「アリーア条項」を採択するようになってしまいます。そうしたなかでこうした国家主義的な教会の動きに反対するグループが出てきます。告白教会と言われるグループの人たちでした。告白教会のグループの人々は迫害にさらされながらも、ナチス政府を批判し、神さまの言葉に教会が固く立つことを求め続けました。そしてドイツは敗戦を迎えます。戦後のドイツの教会はこの告白教会を核として再建されることになりました。

とても残念なことですけれど、教会の中が分裂したり対立したりすることが起こるときがあります。戦争中のドイツの教会はそうでした。ナチス政府に付き従っていくグループ、ナチス政府に反対するグループ、教会の中で対立がありました。教会が一致団結してナチス政府に対決していくということであれば良かったわけですが、ドイツの教会はそれほどまでに模範的な教会であったわけではありません。日本の教会とドイツの教会を比べて、ドイツの教会には告白教会のようにナチス政府に反対していく教会があったということが言われます。しかしキリスト者が主流であったドイツの教会と、キリスト者が少数であった日本の教会をそのまま比べても、公平な比較になるとは思えません。ドイツの教会の中にも戦争に協力していく教会がありましたし、日本の教会の中にも戦争に協力していく教会がありました。

そしてそうした教会の中で、「わたしはどうしたらいいのだろうか」という思いに立たされたキリスト者がたくさんいたことと思います。「キリスト者であるわたしが戦争に協力していいんだろうか」という問いの前に立たされ、「自分はだれに付き従っていくべきなのだろうか」と考えたキリスト者たちがいただろうと思います。不幸な時代にあって、私たちはそうした問いに立たされるときがあります。

ヨハネによる福音書は、ヨハネの教会がとても大きな危機的状況の中にあるときに書かれてあります。初期のキリスト教はユダヤ教の一派と見なされていました。イエスさまもユダヤ人でしたし、十二弟子と言われる人々もユダヤ人でした。しかしだんだんと異邦人もイエスさまのことを信じるようになってきます。ローマ帝国によってエルサレム神殿が壊されたあと、ユダヤ教は【イエスをメシアであると公に言い表わす者がいれば、会堂から追放すると決め】(JN0922、ヤムニア会議)ました。ユダヤ教から異端として追放され迫害にさらされるという状況の中で、自分たちの信仰を確立するか、あるいは会堂から追放されることを恐れてユダヤ教にとどまるのかということが、ヨハネによる福音書の時代のキリスト者には問われたのでした。そして実際にヨハネの教会に残る者とヨハネの教会から去っていく者が出てきました。

今日の聖書の箇所は「永遠の命の言葉」という表題のついた聖書の箇所です。今日の聖書の箇所は、そうしたヨハネの教会の事情がよく現れている聖書の箇所です。ヨハネによる福音書6章60節にはこうあります。【ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」】。イエスさまの弟子たちの多くの者がイエスさまの話を聞いて、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言ったというのは、なかなかショッキングな話です。弟子たちが「実にひどい話だ」と言っている話というのは、ヨハネによる福音書6章22節以下の「イエスは命のパン」という聖書の箇所で、イエスさまが言われたことです。イエスさまはご自分が神さまのところから来られたこと、そして【「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない】、【わたしが天から降ってきたのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである】と言われました。

イエスさまの言われたことは、自分を神さまと等しい者とするということでありましたから、「神さまを冒涜している」と考える人々もいました。ファリサイ派や律法学者たちはそのように考えたのです。イエスさまの弟子の中にも「イエスさまは神さまを冒涜している」と思った人々が出てきました。

ヨハネによる福音書6章61-62節にはこうあります。【イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。】。【人の子がもといた所に上るのを見るならば……。】というように、まだ人々はイエスさまが十字架につけられ、そして三日目によみがえり、天に帰っていかれるというようなことは知りません。ただイエスさまがご自分のことを「わたしが命のパンである」「わたしをお遣わしになった方の御心を行っている」と言っているくらいのことです。そんなことでつまづいているのであれば、これから先のことを考えるとどうなるだろうということです。

ヨハネによる福音書6章63ー65節にはこうあります。【命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」】。

イエスさまのもとにとどまる者と、イエスさまのもとから去っていく者があります。イエスさまが最初から信じない者がだれであるか知っておられたというと、「救われる者は最初から決まっているのか」というようなことを思ってしまいます。しかしそういうことではなく、イエスさまには神さまのようにすべてを見通す力があられたということです。だれが裏切るのかわかっていたら、イエスさまも十字架も避けられたのではないかとを思う人もいるかも知れません。最初から知っておられたけれども、しかしそれはイエスさまが十字架への道を歩まれるという神さまのみ旨であったということです。

ヨハネによる福音書6章66ー69節にはこうあります。【このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」】。

イエスさまから多くの弟子たちが離れ去っていきました。その様子をみられて、イエスさまは十二人の弟子たちに問われました。「あなたがたも離れていきたいか」。これに対してシモン・ペトロは答えました。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」。使徒ペトロは「私たちは永遠の命の言葉をもっておられるイエスさまから離れない」と言いました。イエスさまが「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と言われました。「だれが永遠の命の言葉をもっておられるのか」。そのことが問われていて、そして「わたしはイエスさまこそが永遠の命の言葉をもっておられる」と、使徒ペトロは答えたのでした。

イエスさまは十二人の弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」と問われました。そして使徒ペトロは「私たちはみんな離れない。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えました。さすが十二弟子。さすがイエスさまから選ばれた十二弟子。「よっ!、成田屋!」というところであるのですが、しかしそうはならないわけです。イエスさまと十二弟子は手に手をとって固く握りしめました、とはならないのです。

ヨハネによる福音書6章70ー71節にはこうあります。【すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた】。

十二弟子の一人であるユダが裏切るということは、イエスさまに付き従うということが、とても困難なことであるということです。イエスさまを慕い、信じて付き従ってきた十二弟子が、イエスさまを裏切ります。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」というふうに思いますけれども、話はそのあとも続き、イエスさまが十字架につけられた時には、イスカリオテのユダだけでなく、みんなイエスさまから離れ去っていきました。

そのときそこにいなかった者が、あとから「あのときのことは誤りであった」ということについては、いろいろな反発もあります。「戦争中は仕方がなかったんだ」と言われればそうかも知れません。しかしだからといって、「それでよかった」ということにもならないことを、一番知っているのはそこにいた者であると思います。「どうしてあのとき」「どうすればあのとき」という問いが残ります。そして「また同じようなことが起こったとき、こんどわたしはどうだろう」という問いが残ります。

ヨハネによる福音書は、いま現実にイエスさまから離れようとしているという教会の状況の中で、十二弟子たちがイエスさまから離れていく様子を描いています。イエスさまが十字架につけられるとき、十二弟子たちはイエスさまから去っていった。それではいま私たちはどうなのかという問いを抱えつつ、ヨハネによる福音書は書かれているということです。そして十二弟子がそうであったように、人は弱さを抱えて生きていて、人を裏切ったり自分を裏切ったりしながら生きているということを知りつつ、ヨハネによる福音書は書かれているということです。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」という告白がなされる中に、イエスさまを裏切るイスカリオテのユダがいるということを知りつつ、ヨハネによる福音書は書かれています。そしてそのうえで、イエスさまは「あなたがたも離れて行きたいか」と問われるのです。

信仰というものは、とても不安定なものです。イエスさまから離れていかないような強い人には、信仰は必要はないのです。イエスさまから離れていく弱い者に、信仰は必要なのです。でも弱い者が持っている信仰ですから、その信仰は強いものではないでしょう。私たちは使徒ペトロのように信仰を告白しながらも、一方で自分の中にイスカリオテのユダを抱えて生きているわけです。私たちは「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と告白しながら、心の中にイスカリオテのユダを抱えているのです。そういう意味で、今日の聖書の箇所は「信仰」というものをよく表わしている聖書の箇所だと思います。

しかしもう一方で、私たちには「イエスさまから離れたくはない」という思いを持っています。この弱い信仰しかもっていない、弱く惨めなわたしを救ってくださる方は、イエスさましかおられないという思いを持っています。「この方にすがるしか、わたしにはない」という思いをもっています。

【弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった】と記しているヨハネによる福音書は、ヨハネの教会から人々が去っていくという出来事のなかで書かれています。ですからヨハネによる福音書は「人は去っても、われらは信ずる」という信仰に立って書かれています。しかしそれは自分たちがりっぱな信仰をもっているということではありません。「わたしはりっぱな人間だから、たとえ人は去っていっても、わたしはイエスさまを信じます」ということではありません。「自分は弱く惨めな者で、自分の中には確かなものなどない。だからこそ、永遠の命の言葉をもっておられるイエスさまにすがるしかないのだ」ということなのです。

信仰生活の中で私たちは自分たちの信仰の弱さに出会います。ちっぽけな信仰しか持ち合せていない自分に出会います。しかし弱く惨めな私たちだからこそ、イエス・キリストは私たちを憐れみ、御手でもってしっかりと支えてくださっています。イエス・キリストを信じて、この方により頼んで歩んでいきましょう。


(2024年3月3日平安教会朝礼拝・受難節第3主日)

12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》