「さあ、クリスマスの準備をしよう」
聖書箇所 マタイ24:36-44。231/236。
日時場所 2024年12月1日平安教会朝礼拝式・アドヴェント第1
アドヴェントに入りました。クランツのロウソクも一つ灯りました。イエスさまのご降誕をお祝いする準備をしていきたいと思います。アドヴェントという言葉は、「到来」を意味するラテン語のアドヴェントゥスからきた言葉です。アドヴェントはイエスさまがお生まれになられるのを待ち望む期間です。キリスト教の暦のことを「教会暦」というふうに言いますが、教会暦によると、一年はアドヴェントから始まります。イエス・キリストを待ち望むことから一年が始まるのです。
今日は12月1日です。12月は「師走」と言われます。どうして「シワス」と言われるのかというのは諸説あるようです。もともと12月のことが「シハス」と言われていたようです。万葉集のころですけれども、「一年が終わる」ということで「トシハツ」、「四季が果てる」ということで「シハツ」というような言葉が、いつまにか「シワス」と言われるようになったのではないかと言われています。まあ一年の終わりということでしょう。「師」が「走」り回るほど忙しいということで、「師走」と呼ばれるようになるというのは、鎌倉室町時代のようです。(平成25年12月一般社団法人全国日本語学校連合会日本人の文化と精神の研究 第11回新しい年を迎える準備で先生も走る「師走」の風物詩、を参照)。
師走はあわただしいですから、いろいろな事件も起こりやすいと言われています。【12月から空き巣被害が急増します!お出かけ前に防犯対策を。12月に入ると全国的に空き巣被害が急増します。元々、空き巣が多い時期は12月と1月です。■年末年始で帰省や旅行で自宅を留守にする期間が長い。■日没が早い時期なので、部屋の明かりの有無で留守が分かりやすい。以上2つの理由で、特に年末年始にかけて空き巣被害が増加する傾向にあります】(https://e-asima.com/winter01/。アシマ株式会社)。
空き巣だけでなく、交通事故や、詐欺事件なども多く起こります。テレビなどでも詐欺事件などは頻繁に伝えられています。「ああ、うちにも詐欺のような変な電話があった」と思われるかたもおられることと思います。あわただしく、いろいろな事件が起こりやすいときだということですから、落ち着いて過ごすことが大切なようです。そしてそういうことが起こりやすい時期であるということを、しっかりとこころに留めて過ごしたいと思います。「目を覚ましていなさい」ということなのでしょうか。
今日の聖書の箇所は「目を覚ましていなさい」という表題のついた聖書の箇所です。今日の聖書の箇所より少し前から、世の終わり・終末についてのことが記されてあります。マタイによる福音書24章3節以下は「終末の徴」という表題がついています。マタイによる福音書24章15節以下は「大きな苦難を予告する」という表題がついています。そして「いちじくの木の教え」があり、今日の「目を覚ましていなさい」という箇所になります。
マタイによる福音書24章36−39節にはこうあります。【「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。】。
【その日、その時は、だれも知らない】という「その日」というのは、世の終わり・終末の時のことです。イエスさまの時代、世の終わり・終末がくるということが、とても身近なこととして考えられていました。「明日にも来るかも知れない」というような感じです。突然やってくるというのは、ノアの箱船のときの洪水のようなものだと言われています。いまでも大雨というのは突然やってきて、大きな災害をもたらします。ニュースに出てくる人は、「こんな大雨、経験したことがない」と言います。「避難する時間もなかった」と言います。
ノアの箱船の物語は、創世記6−9章に書けて書かれてあります。旧約聖書の8頁です。創世記6章1節以下には「洪水」という表題がついています。神さまはこの地が堕落したので、滅ぼそうとされます。しかしノアの家族だけを助けることにして、ノアに箱船を造るように伝えます。創世記7章6節には【ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱船に入った】とあります。ノアは大きな箱船を造り、そのときのために準備をしたのでした。そして箱船ができたときに、神さまはノアに、「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」と言われます。七日猶予があったわけですから、突然、明日ということではないわけです。でも洪水は、大洪水ですから、もうどうしようもないわけです。そういう意味では、突然やってくるわけです。
マタイによる福音書24章40−42節にはこうあります。【そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。】。
津波のような災害が起こると、だれが助かるのかはわかりません。畑に二人の男がいれば、一人は連れていかれ、もう一人は助かるかもしれません。それはまあわからないわけです。そしてできることは、「目を覚ましている」ことです。それはいつ災害が来ても良いように、備えをしておくということです。備えをしていたからといって、助かるかどうかはわからないわけですが、まあとにかく助かる確率は高くなります。世の終わり・終末も、いつ来るかわからないので、やはり心備えをしているということが、大切であるということです。
マタイによる福音書24章43−44節にはこうあります。【このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」】。
さきほどは洪水というような災害のことを、イエスさまは世の終わり・終末について、たとえとして話されたわけですが、今度は、泥棒をたとえてして話されます。泥棒も夜の何時にやってくるのかわかっていたら、家の主人は対策を立てて、泥棒を自分の家に入らせないようにすることができるだろう。まあいつ泥棒が来るのか分かっていたら、警察に連絡してつかまえてもらうこともできます。しかし、世の終わり・終末はいつ来るかわからないので、それはまあずっと用意をして待つしかないのです。
イエスさまの時代は、世の終わり・終末がもうすぐに起こることと信じられていました。まあですから、「あなたがたも用意をしなさい」と言われると、「そうだなあ」と思えたわけです。でもイエスさまの時代から約2000年がたっているわけですが、まだ世の終わり・終末はきていないわけです。ですから私たちはなかなか、イエスさまが言われることを、「そうだね。準備しなければね」というふうに思うことも、なかなかできません。
ただ世の終わり・終末がいつくるかわからないわけですが、私たちはみな神さまの前に立たされているということは、それはいつであろうと変わらないのです。私たちはみな、最後に、神さまの前に立ち、自分の生きてきた歩みを、神さまにお話ししなければなりません。それはイエスさまの時代も、私たちの時代もかわらないのです。
世の終わり・終末は突然やって来るから、ずっとそれに備えて用意をしていなさい。「だから目を覚ましていなさい」「だから、あなたがたも用意しなさい」と言われると、なかなかつらいものがあります。三日くらいであれば、良い子でいることができるような気もしますが、でもやっぱりそれ以上は無理という気がします。神さまの前にずっと良い子でいられるほど、私たちはりっぱな人間ではありません。ただずっと良い子でいられないかも知れないけれども、ほどほど良い子でいる努力はしたいと思います。完璧な人間であることはできないかも知れないけれども、しかし少しは良い人である歩みでありたいと思います。
今日からアドヴェントが始まります。イエスさまのご降誕をお祝いする準備をしたいと思います。クリスマスは人にやさしい気持ちを与えてくれると言われます。どんな人もクリスマスに人にやさしくしたくなると言われます。
多くの人はクリスマスにプレゼントを買って、だれかにプレゼントをするということをします。今日も街に出ていくと、いろいろな人がクリスマスのプレゼントを選んでいます。「このマフラー、娘に似合うかな」「この服、息子に似合うかなあ」「この髪飾り、彼女が喜んでくれるかなあ」「この鎖、彼の時計にぴったりだわ」。そう思いながら、クリスマスのプレゼントを探しています。その時間は自分のことを考えているのではなく、だれかのための時間であり、とても尊い時間なのだと思います。そうした小さな良き人としての歩みを、神さまが喜んでくださるだろうと思います。自分のことばかりを考えるのではなく、他の人のことを思うときがあるというのは、とても大切なことだと思います。そしてその大切な人と一緒に、ぜひクリスマスの礼拝を守ってくださればと思います。
私たちはいつもいつも神さまの御心にしたがって歩むことはできないかも知れません。しかしこのアドヴェントのとき、神さまのことを中心において、イエスさまのご降誕をお祝いする備えをしたいと思います。
神さまは私たちの救いのために、イエスさまを私たちの世に送ってくださいました。神さまは私たちに大切な独り子であるイエスさまを送ってくださいました。神さまの愛に感謝しつつ、喜びをもって、クリスマスを迎えたいと思います。
(2024年12月1日平安教会朝礼拝式・アドヴェント第1)