2025年10月25日土曜日

10月12日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「あなたはわたしの友だちだ」

「あなたはわたしの友だちだ」

日時場所 2025年10月12日平安教会朝礼拝・きてみて合同礼拝

聖書箇所 ヨハネ15:14-17。544/419。


今日の礼拝は神学校日の礼拝です。週報にも書かれてあります。「神学校日礼拝 ・10月の第二週は、神学校日礼拝です。神学校・神学部の働きを覚えてお祈りいたします。神学校・神学部で学ぶ神学生、事務職の方々、教師の方々の上に、神さまの恵みが豊かにありますように。・私たちの教会には、村上みか牧師(同志社大学神学部教授)が教会員として奏楽のご奉仕をしてくださっています。韮塚俊太兄が派遣神学生としてお働きくださっています」。韮塚俊太さんは同志社大学院神学研究科の試験にも合格されて、2026年の4月からは大学院生として学びのときを過されます。おめでとうございます。礼拝後に、赤松信哉さんが同信伝道会からのお願いとして、神学校日を覚えての献金のお願いをしてくださいます。

また今日は「きてみてれいはい」です。きてみてれいはいを、9月から子どもの教会との合同礼拝としてもつことにいたしました。ですので式次第もすこしひらがなを多くしたり、子どもの教会の式次第に近い形でもっています。少しでもこどもと一緒にご家族で礼拝をまもりやすいようにしようと思いながら行なっています。きてみれれいはいは、なるべるわかりやすい言葉や内容で説教をしようというふうに、こころがけています。きてみてれいはいのとき以外の礼拝も、なるべくわかりやすい話をしようと思って説教をしています。

わたしは同志社女子中高や同志社女子大学、同志社チャペルアワーなどで説教をすることがあります。同志社女子中高は、年間をとおしてお話にいったりしましたので、よく通いました。今週は同志社女子大学の田辺校地で説教をいたします。学校の朝の礼拝ということが多いので、わたしが話すことができる時間は、7分か8分くらいです。10分くらいになると長いですし、あんまり気を使い過ぎて5分くらいになると、ちょっと短過ぎるので、調整がむつかしいです。なるべくわかりやすい話で、「ああ、聞いてよかったなあ」と思えるような話をしてこようと思っています。

「はじめまして。日本基督教団平安教会の牧師をしています、小笠原純と言います。一学期、同志社女子中学校、高等学校の礼拝でお話をすることになっています。わたしが牧師をしています、平安教会は京都市の北の方の、岩倉という地域にあります。地下鉄烏丸線のの国際会館という駅の近くです。みなさんの関連校であります同志社小学校、中学校、高等学校があるところです。平安教会は新島襄の関連の教会です。京都に初めに教会が三つ出来ました。二番目の教会がいまの同志社教会になり、一番目と二番目の教会がが一つになって平安教会になったと言われています。平安教会にも同志社女子中高を卒業されたという方々がたくさんおられます。そしてときどき同志社女子中高で過ごした楽しかった中学校、高校生活について話してくださいます」。「同志社女子中学校にこの春に入学した方は、ちょっと大変な思いをしておられるだろうと思います。でも若いみなさんにはすてきな出会いが備えられていると信じています。良い友だちが備えられて、とてもすてきな学校生活が送られますようにとお祈りしています」。というような感じです。

今日の聖書の箇所は「イエスはまことのぶどうの木」という表題のついた聖書の箇所の一部です。イエスさまは弟子たちに「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と言われました。そしてイエスさまにつながって歩むことの幸いを、弟子たちに話されました。

そして今日の聖書の箇所となります。ヨハネによる福音書15章11ー17節にはこうあります。【これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」】。

今日の礼拝で読みました聖書の箇所は、イエスさまが自分の弟子たちのことを、「友と呼ぶ」と言われたという話です。イエスさまのお弟子さんはイエスさまのことを、「先生」というような感じで考えていました。イエスさまはいろいろなことを知っておられて、お弟子さんたちはイエスさまから神さまのこととかを教えてもらっていたからです。でもイエスさまは自分のお弟子さんたちのことを、「あなたたちはわたしの大切な友だちだ」と言われました。そしてみんなわたしの友だちなんだから、喧嘩したりするのではなく、「互いに愛し合いなさい」と言われました。

わたしの好きな絵本に「くまのコールテンくん」というのがあります。読まれたことがあるでしょうか。くまのコールテンくんは、デパートのおもちゃ売り場で売られていたくまのぬいぐるみでした。でも来ていたオーバーオールのズボンのぼたんがひとつとれていて、新品でないように見えるので、なかなか買ってもらえませんでした。ある日、リサという名前の女の子がくまのコールテンくんのことが気に入って買おうとするのですが、おかあさんから「ボタンの取れかかっているような人形やめなさい」と言われて、買うことができませんでした。くまのコールテンくんは、ボタンが取れていることに気づいて、夜中、デパート中、ボタンを探しに行きます。デパートのエスカレーターに乗って、「これ、やまかなあ」と思ってみたり、家具売り場にいって、「これ、王様の御殿だ」と思ってみたり。ベッドのマットレスについているボタンを、「ぼくのボタン、こんなところにあった!」と取ろうとしたり。そうやってしばらくおバカなことをしているのですが、結局、ガードマンさんに連れられて、またもとの売り場に帰ってきます。そしてあくる日に、リサが自分の貯金箱に入っていたお金をもって、くまのコールテンくんを買って、家に連れて帰ります。

【コールテンくんは めを パチクリしました。そこには、いすと、たんすと、おんなのこようのベッドが、ひとつ ありました。そして、その ベッドの わきに コールテンくんに ぴったりの おおきさの、もうひとつのベッドがありました。へやは ちいさくて、デパートに あった あの ひろい ごてんとは おおちがいです。「これが きっと うちって いうもんだなあ。」と、コールテンくんは おもいました。「ぼく、ずっとまえから うちで、くらしたいなあって、おもってたんだ」。

リサは、いすに すわって、こーるてんくんを ひざにのせると、とれた ボタンを つけてくれました。「あたし、あなたのこと このままでも すきだけど、でも、ひもが ずりおちてくるのは、きもちわるいでしょ」と、リサは いいました。「ともだちって、きっと きみのような ひとのことだね」と、コールテンくんは いいました。「ぼく、ずっとまえから、ともだちが ほしいなあって、おもってたんだ。」

「あたしもよ!」リサは そういって、コールテンくんを ぎゅっと だきしめました」。】

とってもいい話ですよね。くまコールテンくんには、リサという友だちができました。くまのコールテンくんはちょっとおバカなところがあるけれども、でもリサはコールテンくんのことをそのままで大好きと言ってくれます。ちょっと汚れていても、ズボンのぼたんが取れていても、でもくまのコールテンくんの大好き。

イエスさまはこんな感じで、お弟子さんたちのことを、「あなたたちはわたしの友だちだ」と言われたんだろうなあと思います。イエスさまのお弟子さんたちはいろいろな失敗もしますし、まただめなところもありますが、でもイエスさまはお弟子さんたちのことが大好きでした。お弟子さんたちは何かできるから、イエスさまに愛されたのではありませんでした。そのままのお弟子さんをイエスさまは愛されました。そして、お弟子さんのことを愛されたように、イエスさまは私たちのことも愛してくださっています。

暑かった夏も去り、だんだんと秋らしくなってきました。良い季節になります。私たちの教会では、教会の建物改修が始まりました。とても楽しみですね。この秋、そしてクリスマスへ、いろいろな行事や礼拝が守られます。良き出会いがあり、みなさんにもコールテンくんとリサのようないい友だちができたらいいですね。神さまはみなさんに、良きものを備えてくださいます。神さまの平安のうちを歩んでいきましょう。



(2025年10月12日平安教会朝礼拝・きてみて合同礼拝)

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