ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
《聖母子(アルベルティーニの聖母)》
日本基督教団平安教会は、京都市の岩倉にあるキリスト教会です。「自由で明るく思いやりのある教会」の歩みでありたいと思っています。教会のwebsiteは、http://heian-church.com/index.html。教会のTwitterは、https://twitter.com/heian2019。教会へのメールは、heiankyoukai@live.jp。郵便振替は、01010-7-22442。
「かけがえのない命」
1コリント12:14~26
東神戸教会 大澤宣牧師
平安教会創立149周年を心よりお慶び申し上げます。歴史を導いてくださった神様の御名を讃美いたします。そして、この歴史は、今日お集まりの皆様、そして、今日はここにおられない皆様が、主の導きに応えて編みだしてこられたものであることをおぼえさせられます。多くの方たちがこの教会に連なられ、歩んでこられたことを思います。そして、多くの先達たちが、今は天に召されて、主の栄光をたたえている群れに加えられていることを思います。私たちは、この先達たちと目には見えないつながりを与えられ、今も共にあることを覚えたいと思います。
灰谷健次郎さんが書かれた『わたしの出会った子どもたち』という本の中に麻理ちゃんという女の子のことが書かれています。麻理ちゃんは、筋肉がマヒしていくという、体の不自由さをもっている女の子でした。笑っているのか、怒っているのか、ふだんから接している人でないと、表情を読み取ることができません。この麻理ちゃんに冷たい言葉を発する人がいました。灰谷健次郎さんは、その言葉をひどい言葉だと思いながらも、堂々と反論することができなかったのでした。
何かが上手に出来ること、速くできること、力が強いこと、そういうことばかりに心が向いていると、見落としてしまうものがあるのではないかと思います。そして、人を切り捨ててしまうことになってしまうことを思わされます。速さや強さや効率の良さだけに目を奪われて、命を慈しむ心、人間としての優しさ、人間らしささえも失ってしまうことを思わされます。
聖書の言葉は「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」と語ります。
わたしたちはそれぞれの課題を抱え、重荷を抱えているものです。心細い思いをし、不安を感じつつ歩むものです。しかし、私たちの主イエス・キリストの言葉を携えて歩むことをゆるされている。その歩みは希望を持って進むことのできる道なのです。
平安教会の皆様が、教会の大きなご計画を持たれ、希望をもって進もうとしておられることと思います。おひとりお一人の信仰の歩みの中に、課題があり、悩みがおありのことと思います。しかし、主イエス・キリストが私たちと共にいてくださるのです。どのようなときにも、希望を持つことがゆるされています。いつも喜んでいること。絶えず祈ること。すべてのことに感謝すること。その歩みをすすめてまいりたいと思います。