2022年12月21日水曜日

12月18日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

「神さまの愛に包まれて」

昔、アドヴェントの時に大阪教区の用事で外出をしていて、家に帰ってきたら、机の上に紙の束がありました。そしてその上に、「先生、不用です」と書いた張り紙がはってありました。それを見て、「えっ、わたしはもう必要ないのか」と思って、びっくりしたことがあります。よく見ると、その紙の束がもう既に終わったバザーの案内だったりして、どうやら「先生、(この紙の束、)不要です。(捨ててください)」ということのようでした。しかし「もっとよく働きなさい」という神さまの啓示のような気がして、アドヴェントの間、一生懸命に働いたことがありました。わたしはクリスチャンでありながら、いろいろなことで、驚いたり、不安になったり、戸惑ったりします。どっしりと構えていればいいのでしょうが、なかなかそんな感じにも慣れません。みなさんはいかがでしょうか。

「先生、不要です」という言葉も、びっくりする言葉ですが、「おめでとう、恵まれた方」と突然言われると、私たちもびっくりするでしょう。「先生、不要です」ではなくて、「おめでとう、恵まれた方」という言葉は、祝福の言葉であるわけですから、喜べばいいようなものですが、私たちはそんな言葉、かけられることがあんまりないですから、やっぱりびっくりしてしまうでしょう。イエスさまのお母さんも、突然、天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方」と言われ、戸惑ったと聖書に記されてあります。

今日の聖書の箇所は「イエスの誕生が予告される」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書1章26-28節にはこうあります。【六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」】。

天使ガブリエルは天使ですから、屈託のない明るさで、マリアを祝福して言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。天使ガブリエルにしてみれば、長い間待っていた救い主のお母さんにあなたがなりますよという知らせを、マリアに伝えに来ているわけですから、マリアも「そりゃー、喜んでくれるだろう」と思っているわけです。「よかったねえ。マリアさん、おめでとう、恵まれた方」ということです。しかしマリアはこの言葉に戸惑います。

ルカによる福音書1章29-33節にはこうあります。【マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」】。

しかし、マリアは戸惑います。マリアは私たちと同じように、そんな言葉をかけてもらうことがあまりないからです。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。そんな言葉、かけられたことがないですし、またそうした出来事もあまり思い当たりません。それでマリアは考え込んだわけです。すると天使ガブリエルは天使ですから、いい調子で言うわけです。「マリア、恐れることはない。あなたは神さまから恵みをいただきました。あなたは身ごもって男の子を産むから、イエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き子と言われるから」。

マリアにしてみれば、いろいろとマリアの側の都合ということがあるわけです。ヨセフと結婚をして、そしてまあヨセフとの生活に慣れてから、ぼちぼちと先のことは考えていこうというようなことです。しかし天使ガブリエルはもう天使ですから、一方的に「マリア、こうなるからね。おめでとう。恵まれた方」というわけです。

ルカによる福音書1章34-38節にはこうあります。【マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った】。

マリアはイエスさまの母となります。聖母マリアと言われるようになります。聖なる者、神の子、救い主イエス・キリストの母となるわけですから、それはたしかに恵まれたことであったでしょう。しかしこの時のマリアにしてみれば、「どうして、そんなことがありえましょうか」という出来事でした。「ちょっと、そんなことと言われても・・・」という出来事だったわけです。「わたしの都合もあるんだけど・・・」という出来事でした。しかし天使ガブリエルは天使ですから、屈託なく「神にできないことは何一つない」と言います。マリアは神さまの祝福を謙虚に受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言いました。

ルカによる福音書1章29節にはこうありました。【マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ】。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と、天使ガブリエルから祝福の言葉をかけられたにも関わらず、マリアはこの言葉に戸惑いました。恵みは戸惑いと共にやってきたのです。私たちはなにか「恵み」と言えば、もううきうき気分でやってくるもののように思えます。「待ってました。ありがとう」というふうに、神さまの恵みはやってくるように思えます。しかしマリアにとって恵みは戸惑いと共にやってきたのでした。

マリアがイエスさまの母になるということは、マリアにとって大きな恵みでありました。しかしマリアはこのことのゆえに、大きな悲しみを経験します。イエスさまは私たちの救い主として、十字架につけられるために、この世に来られたのです。マリアはわが子が、十字架につけられて、人々にののしられながら殺されるという悲しみの経験をするのです。マリアの戸惑いや不安は、取り越し苦労ではなく、もともとマリアへの祝福と一体になっていることでした。しかしマリアはそうしたことも含めて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と、神さまからの祝福を受け入れたのでした。

経済学者の暉峻淑子(てるおか・いつこ)さんは、『サンタクロースってほんとにいるの?』(福音館書店)という絵本を書いています。暉峻淑子さんは旧ユーゴスラビアの難民を支援するNGOの活動をしておられたりしました。暉峻淑子さんの『サンタクロースを探し求めて』(岩波書店)という本の中に、こんなことが書かれてありました。【救援の中では、貧困のための盗みにも争いにも詐欺ににも出会ったが、一方では多くの現代のサンタクロースにも出会った。私たちの救援活動を助けて続けてくれる多くの無名の市民たち。寄付金にそえられた手紙や励ましに、どんなに私たちは助けられたことだろう。荷造りや宛名かきの仕事など、無償で労力を提供してくれた人たちも数えきれない。ユーゴスラビアまで出向き、職業訓練の指導をしてくれたベテランの教師もいる。誰も何も見返りを考えずにー。】(P164)。

暉峻淑子さんは難民を支援するNGOの活動を通して、多くの現代のサンタクロースに出会ったと言います。多くの善意に出会ったわけです。それは大きな恵みであったと思います。でもまた同時に悪意に出会うこともあったようです。【救援の中では、貧困のための盗みにも争いにも詐欺ににも出会った】。【私達の援助物質が届いたときには、タオルや靴下、防寒ヤッケなどを積み上げる片端から、管理者と称する人がどこかへ持ち去る。学生があとをつけてみると、じゃがいもが積んであるところに隠している。それをまた取り戻して、元の場所に積み上げ、見張りをたてて】(P154)(『豊かさの条件』、岩波新書)というようなこと、【あるとき、私達も、六トンあまりの救援物資を三日間だけ現地赤十字の倉庫に預けたが、引き取りに行くと、箱の数は合っているものの、蓋がみな開けてあり、中身は半分になっていた】(P150)(『豊かさの条件』、岩波新書)というようなことがあるわけです。それでも暉峻淑子さんは、世の中には多くのサンタクロースがいると言います。多くの現代のサンタクロースに出会うことができた暉峻淑子さんは、幸せだと思います。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ということだと思います。しかし暉峻淑子さんもまた、【救援の中では、貧困のための盗みにも争いにも詐欺ににも出会った】ということですから、多くの戸惑いも経験されたことだろうと思います。

マリアのところにもたらされた祝福は、戸惑いと共にやってきました。私たちの住んでいる世界は、いろいろなことがあります。私たちはいつもいつも順風のなか、にこにこと歩むことはできないでしょう。悩みがあったり、戸惑いがあったり、悲しみを経験したり、人に裏切られたり、人から誤解されたりすることがあるでしょう。マリアの生涯もやはりそうでした。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と天使ガブリエルから祝福を受けた、マリアの生涯は、絵に描いたような幸せな生涯ではありませんでした。しかしマリアは、そのときどきの戸惑いのなかで、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」という信仰に生きたのでした。そうしたマリアを、神さまは豊かに祝福してくださいました。

マリアを祝福してくださった神さまは、私たちをも豊かに祝福してくださいます。神さまは私たちのために、イエスさまを送ってくださいました。イエスさまはいつも私たちと共におられます。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。

「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」。

私たちは神さまの愛に包まれています。力ある方が、私たちを守り、祝福してくださっています。神さまの愛に包まれて、イエスさまと共に、こころ平安に歩みましょう。



(2022年12月18日平安教会朝礼拝・アドヴェント第四週)


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