「クリスマス、すべての人への良き知らせ」
クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕をこころからお祝いいたします。
秋に、大山崎山荘美術館に、「こわくて、たのしいスイスの絵本」という美術展を見にいきました。今日が最終日です。エルンスト・クライドルフ(1863-1956)、ハンス・フィッシャー(1909-1958)、フェリクス・ホフマン(1911-1975)の三人の作品が紹介されていました。
なかでもフェリクス・ホフマンの絵本は、とても印象的でした。フェリクス・ホフマンは自分の家族たちにプレゼントするために絵本を書いています。三女のために「おおかみと七匹のこやぎ」を描き、次女のために「ねむりひめ」を描き、そして長女のために「ながいかみのラプンツェル」を描きました。フェリクス・ホフマンの最後の絵本は「クリスマスのものがたり」です。この「クリスマスのものがたり」は、福音館書店の松居直の依頼で、フェリクス・ホフマンが作った絵本だと言われています。松居直もこの2022年11月2日に天に召されました。
フェリクス・ホフマンの原画をみていると、ほんとうによく描かれていて、とてもこころがこもっているなあと思わされます。まあ自分の娘たちにプレゼントするために描いていたりするわけですから、それはそれは心がこもっているのだと思いました。この「クリスマスのものがたり」という絵本も、内容はとても一般的なクリスマスページェントのような話ですが、絵はとても味わいに満ちた絵になっていて、クリスマスの喜びがじわっと伝わってくるような感じがします。とてもいやされる気がします。
絵本というのはおもしろい媒体で、いろんな感じの絵本があります。フェリクス・ホフマンの絵本は、とてもこころのこもった絵をみるような絵本です。わたしがクリスマスに手にとってみた別の絵本に、「バーバパパのクリスマス」という絵本があります。バーバパパはこどもに人気のキャラクターです。バーバパパはフランス語で「ぱぱのおヒゲ」という言葉で、「わたがし」という意味に使われたりします。バーバパパを描いたアネット・チゾンは、パリの公園で子どもが「綿菓子」を欲しがっている姿をみて、バーバパパを思いつきました。バーバパパの形は、「まだ絵をうまく描けない小さな子供でも、何にでも変身できるバーバパパなら、楽しく描けるはず」という思いから生まれたそうです。そしてバーバパパはどんな形にも姿を変えることができます。ですからどんな小さな子どももバーバパパを上手に描くことができるわけです。
フェリクス・ホフマンの「クリスマスのものがたり」は、フェリクス・ホフマンしか書けない絵だと思います。それはそれでとてもすばらしいものです。そして「バーバパパ」はだれが描くことができるところが、バーバパパのすばらしさであるわけです。フェリクス・ホフマンの「クリスマスのものがたり」と、アネット・チゾン、タラス・テイラー夫妻の「バーバパパのクリスマス」を見ながら、「ああ、クリスマスらしいなあ」と、わたしは思いました。いろんな人がクリスマスをお祝いするのです。これが正しいクリスマスのお祝いということではなく、みんながそれぞれにクリスマスをお祝いします。クリスマスは聖書に記されているように、「民全体に与えられる大きな喜び」であるのです。
今日の聖書の箇所は「イエスの誕生」「羊飼いと天使」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書2章1−7節にはこうあります。【そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。】。
ローマ皇帝アウグストゥスが行なった住民登録のために、人々は自分の故郷へと向かいます。故郷で登録をするわけです。イエスさまのお父さんのヨセフさんも、住んでいたガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムへと行きました。イエスさまのお母さんのマリアさんも登録をするために、身重であったのですが、一緒にベツレヘムへと向かいます。旅先であるベツレヘムで、マリアさんはイエスさまを産むことになりました。ヨセフさんとマリアさんは宿屋に泊まることができませんでした。多くの人々が住民登録のために、ベツレヘムにやってきていたので、宿屋に泊まることができなかったのです。それで仕方なく、マリアさんとヨセフさんは、馬小屋に泊まることことになります。それでイエスさまは布にくるまれ、飼い葉桶に寝かせられることになります。
ルカによる福音書2章8−14節にはこうあります。【その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」】。
羊飼いは野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていたと記されてあるとおり、なかなか大変な仕事です。人々の役に立つ仕事であったわけですが、人々からは嫌われていました。そうした羊飼いのところに、イエスさまの誕生の知らせが、最初に届きます。
天使はイエスさまの誕生の出来事は、「民全体に与えられる大きな喜び」の出来事だと言います。それは「民全体に与えられ」た出来事であり、羊飼いだけに与えられた喜びの出来事というわけではありません。すべての人に与えられている大きな喜びの出来事であるということです。すべての人々が分け隔てなく、その大きな喜びに預かることができるということです。すべての人々の救い主であるイエスさまがお生まれになる。ただ羊飼いたちは、いち早くその救い主であるイエスさまにお会いすることができるのです。
ルカによる福音書2章15−20節にはこうあります。【天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った】。
羊飼いたちは天使が教えてくれた出来事を見にベツレヘムに向かいます。マリアさんとヨセフさん、そして飼い葉桶に寝かせてあるイエスさまを見つけます。羊飼いたちは天使が話してくれた出来事を人々に知らせます。それは民全体に与えられる大きな喜びだからです。天使がそのように羊飼いたちに知らせたのです。これはすべての人に開かれているすばらしい出来事なのだ。すべての人々にとっての大きな喜びなのだ。だから羊飼いたちは人々に知らせるのです。羊飼いたちの話を聞いた人々は、不思議な出来事だと思いました。「天使が知らせてくださったんだ」と羊飼いたちは言ったわけですから、聞いた人々は不思議な出来事だと思ったことでしょう。マリアさんは羊飼いたちが話してくれた不思議な出来事を、心に留めました。羊飼いたちは天使が離してくれたとおりだったので、神さまをほめたたえながら、自分たちの故郷に帰っていきました。
わたしはなんとなくこの【羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った】という聖書の御言葉が好きです。羊飼いたちが、「なんかよかったよね。天使が言ったとおりだったよね。あかちゃんかわいかったよね」とか言いながら、神さまを讃美しながら、わいわいと帰っていくという感じが好きです。大した気負いもなく、神さまからの祝福を受け、神さまを讃美しながら生きていくという羊飼いの歩みのようでありたいと思います。
主の天使が言ったように、イエスさまの誕生の出来事は、「民全体に与えられる大きな喜び」の出来事です。すべての人に開かれている出来事です。特定の人に対してもたらされた喜びの知らせではなく、すべての人にもたらされた救いの出来事です。どんな小さな子どもも、バーバパパの絵を描くことができるように、クリスマスもどんな小さな子どももお祝いすることができます。
【マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。】と聖書に記されてあるので、イエスさまは馬小屋、家畜小屋で生まれたと言われます。占星術の学者たちは、ユダヤ人の王さまが生まれるということで、ヘロデ王の宮殿を訪ねていきます。しかし宮殿には、イエスさまはおられませんでした。イエスさまは宮殿ではお生まれになりませんでした。宮殿はだれでも入れるところではないからです。特定の人たちしか入ることができないので、みんなでお祝いすることができないのです。みんながお祝いできるところである、馬小屋・家畜小屋で、イエスさまはお生まれになられるのです。
馬小屋・家畜小屋であれば、人だけでなく、馬や羊や山羊も、イエスさまの誕生をお祝いすることができるのです。イエスさまの誕生をお祝いしにきた馬や羊や山羊は、イエスさまを見てどのように思ったでしょうか。「あっ、寝てる」と思っただろうと思います。あかちゃんのイエスさまは飼い葉桶で寝ておられるのです。「あっ、寝てる。私たちは生まれてすぐ立ったのに、イエスさまはまだ寝てるんだ」と思ったと思います。イエスさまは飼い葉桶で眠っています。人はだれでも赤ちゃんで生まれてきて、そして人に助けられて生きていくのです。人はそのように創られているのです。
私たちはイエスさまを囲んで、クリスマスをお祝いいたします。飼い葉桶の中で眠っているイエスさまは、私たちの社会が支え合いの社会であり、わかちあいの社会であることを、私たちに教えてくれます。すべての人がクリスマスをお祝いすることができるようにと、救い主イエス・キリストは馬小屋・家畜小屋で生まれ、飼い葉桶の中で眠るのです。
あなたたちの社会のすべての赤ちゃんが、わたしのようにすやすやと眠ることができるようになる。そういう平和でわかちあいの世の中がやってくる。神さまの御心に叶う平和な世の中がやってくる。救い主イエス・キリストは、私たちに告げ知らせ、飼い葉桶の中で眠るのです。
救い主イエス・キリストが、私たちの世にきてくださいました。神さまにこころから感謝をして、世のすべての人々と共に、イエスさまのご降誕をお祝いいたしましょう。
(2022年12月25日平安教会朝礼拝式)
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