2023年7月27日木曜日

7月23日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

 「よき働き人として」


聖書箇所 ルカ8:1-15。17/510。

日時場所 2023年7月23日平安教会朝礼拝

 

ことしの3月、キリスト教主義の学園である恵泉女学園は、恵泉女学園大学・大学院の学生募集停止を行うことを決めました。恵泉女学園はキリスト者である河井道がつくった学園です。河井道はアジア・太平洋戦争中も、国家に対して戦争の愚かさを語る人でした。

恵泉女学園の「史料室だより」には、東京女子大学の准教授の竹内久顕(たけうち・ひさあき)さんが「河井道の平和教育」という講演をされた内容が載ってありました。【恵泉女学園を創設してからの河井の発言であるが、満州事変に対して「満州国が建国されて皆が喜んでおりますが、正と義と愛がその土台でありましょうか、剣をもって建てた国は剣をもって滅びなければなりません」と学園機関紙『恵泉』巻頭言に書いている。日中戦争が開始された1937年には「我々日本人は先進国だ優越民族の国家だと自称していつまでも過信と傲慢の狂奏曲に浮かれているときは、自らの不覚を招来させるのではないかと反省させられる」と日本が中国で行っている行為に対して批判を行っている。愛国という点においても「本当の愛国者というのは国が戦争をやるときに、あるいは国が間違っている時に、それに追随するのではなく、国が間違っている時に、それを勇気をもって批判するのが本物の愛国者である」ということも言っている。日米開戦後、恵泉女学園は監視下に置かれるが、これ以降も「敵にも愛で奉仕せよ」とか「汝らの仇を愛し」 という表現を使っている】【戦争中、キリスト教学校に対する締めつけが強くなって いった時、学校の寄付行為から基督教という文字を削除する傾向があったが、恵泉はあくまでも基督教という文字を削除することはなかった】(「史料室だより」第11号)。

「まあなんともはっきりとものを言っていた人だなあ」と、思わされました。「戦争は婦人が国際情勢に関心を持つまでは決して止まないであろう」と、河井道は言ったと言われています。当時、日本にどれだけ女性の国際政治学者がいたのかなあと思いますが、現代の国際政治学者といわれる人々が、アジア・太平洋戦争の時代にいたとして、河井道ほどはっきりとものを言うことができただろうかと思います。アジア・太平洋戦争というクリスチャンにとってとても困難な時代に、河井道はよき働き人として、イエスさまに従う歩みをしました。

今日の聖書の箇所は「婦人たち、奉仕する」「「種を蒔く人」のたとえ」「たとえを用いて話す理由」「「種を蒔く人」のたとえの説明」という表題のついた聖書の箇所です。

ルカによる福音書8章1−3節にはこうあります。【すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた】。

イエスさまは町や村を回って、神さまのことを宣べ伝え、そして病の人々をいやしておられました。そして十二弟子と言われる、イエスさまのお弟子さんたちもイエスさまに付き従っていました。いわゆるペトロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネ、イスカリオテのユダなどの弟子たちです。しかし初期のクリスチャンの時代、イエスさまに付き従ったのは、男性だけではありませんでした。女性のクリスチャンの働きが大きかったのです。「婦人たち、奉仕する」という表題がついていますが、まさに婦人たちがイエスさまの宣教を支えたのでした。イエスさまがいた時代は、女性のクリスチャンが活躍していたのですが、イエスさまの弟子たちの時代になってくると、「おんなはだまっていろ」というような感じになってしまいます。コリントの信徒への手紙(一)は使徒パウロが書いた手紙ですが、コリントの信徒への手紙(一)14章34節には、【婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません】と記されています。しかしイエスさまの宣教を支えたのは、女性のクリスチャンたちだったのです。

ルカによる福音書8章4−8節にはこうあります。【大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた】。

この聖書の箇所は「種を蒔く人のたとえ」という表題のついた聖書の箇所です。このたとえは、もともとは、「神の国は種のように力強く実を結んでいく」ということが、主な内容でした。マルコによる福音書4章1節以下に記されている「種を蒔く人のたとえ」では、そんな感じになっています。マルコによる福音書4章8節にはこうあります。【また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった】。神の国が、種のように力強く、三十倍、六十倍、百倍になることが記されています。もちろん人に踏みつけられたり、空の鳥が食べてしまったり、水気がないので枯れてしまったり、茨によって成長を邪魔されたりと、うまくいかないこともあるかも知れないけれども、でも本質的にな大丈夫なのだということです。

ルカによる福音書8章9−10節にはこうあります。【弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」】。

たとえというのは、聞いているときはなんとなくよくわかったような気がするわけですが、語り伝えられていく途中で、よくわからなくなることがあります。イエスさまがたとえで話しをされたのは、よく理解してもらうためだったと思います。でも語り伝えられていく途中で、なんかよくわからなくなるようなことが起こってきます。それで神の国の秘密のために、実はよくわからないように、理解できないように、たとえで話しをしているというようなことが言われるようになってきます。

もちろんわかる人にだけわかるように話すというような話し方がないわけではないのです。「あれを、あれしておいてくれ」とか、私たちも言います。「わかりました。あれを、あれしておくんですね」というようなことはあるのです。仲間内にだけわかるように話すというような話し方というのはあるでしょう。しかしもともとイエスさまがそのような形で、弟子たちや人々に話されたということは、たぶんあまりないだろうと思います。

「種を蒔く人のたとえ」は、「種を蒔く人のたとえの説明」という形で、説明がされています。ルカによる福音書8章11−15節にはこうあります。【「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」】。

もともと「種を蒔く人のたとえ」では、「種」のほうに強調点が置かれていたのですが、この「種を蒔く人のたとえの説明」では、「種」ではなく「種が蒔かれた状況」のほうに、強調点が置かれています。「種を蒔く人のたとえ」が語り伝えられていく過程で、そのようになっていったのでしょう。「たとえの説明」は、もともとの「たとえ」の説明にはなっていないと思いますが、でも教会で語られる話としては、「そうだなあ」と思わされます。だからこそ、この「種を蒔く人のたとえの説明」の語り伝えられてきたのでしょう。

この「種を蒔く人のたとえの説明」は、とてもわかりやすいものです。蒔かれた種は神さまの御言葉です。そして道端、石地、茨の中、良い土地というのは、私たち人間です。道端は、まあ御言葉を聞くにはけれども、必死に救われたいという気持ちがないので、悪魔が来て、その人の心の中から御言葉を取り去ってしまう。石地は、神さまの御言葉をとても喜んで受け入れるけれども、でも石地なので根付くということがない。しばらくの間は信じているけれども、でもなにかつらいことや悲しいことに出会うと、信じることができなくなる人たちのことです。茨の中というのは、御言葉を聞くけれども、またさまざまな誘惑に出くわすと、御言葉を忘れてしまい、結局は信じることができない人たちのことです。そして良い土地というのは、良い心で御言葉をしっかりと受けとめ、いかなる出来事にであっても、つらいこととかなしいこと、またさまざまな誘惑にであったとしても、御言葉から離れることなく、神さまにつながって生きていく人たちのことです。

イエスさまの弟子たち、いわゆる十二弟子と言われる人々やまたその他のお弟子さんたち、そしてマグダラのマリアや、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも、みんなイエスさまの御言葉に従って歩もうとしていました。イエスさまの御言葉によって養われていたのです。【人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる】(マタイによる福音書4章4節)と、悪魔の誘惑を、イエスさまが受けられたとき、悪魔に言われたイエスさまの御言葉のとおりです。みんなイエスさまの御言葉によって養われていました。しかしそれでも人は弱いですから、イエスさまの弟子たち、熱心な女性たちと言えども、やはりイエスさまの御言葉から離れてしまうときがあったと思います。

そしてみんな考えたのです、自分はどんな土地なのだろうか。わたしは道端なのではないだろうか。いやわたしは石地ではないだろうか。わたしはやっぱり茨の中ではないだろうか。御言葉の種が蒔かれても、それを成長させることができず、イエスさまの教えからすぐに離れてしまう弱い者ではないだろうか。そのように、自らの信仰の弱さを思ったのだろうと思います。そして私たちもまた、弟子たちや女性たちのように、自分たちはどんな土地なのだろうかと、自らに問いかけます。そして自分たちの心の弱さを思います。イエスさまが御言葉でもって養ってくださるのに、そのことを忘れてしまって、不安になったり、心配したり、また誘惑に負けてしまったりする、自分の弱さを思います。

それでも私たちは自分の弱さや無力さを越えて、神さまが私たちに働いてくださり、豊かな実を結ばせてくださるということを知っています。神さまの御言葉は、私たちの弱さに関わらず、【良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結】ぶのです。どんなに私たちがだめな信仰者であったとしても、神さまはかならず私たちの地に神の国をもたらしてくださるのです。

イエスさまが十字架につけられたとき、イエスさまの弟子たちはみな逃げてしまいます。ユダヤの議員であったアリマタヤのヨセフが、イエスさまの遺体を墓に葬ったとき、イエスさまと一緒にガリラヤからきた婦人たちは、アリマタヤのヨセフについていきました。ルカによる福音書23章49節ー24章1節にはこうあります。新約聖書の159頁です。【イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った】。

婦人たちはイエスさまの遺体を納めた墓を確認し、安息日が終わったあと、その墓に行って、そしてイエスさまがよみがえられたことを、主の天使から告げられたのです。そしてそのことをイエスさまの弟子たちに知らせました。ルカによる福音書24章10−11節には【マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった】と記されてあります。婦人たちは良き働き人として、イエスさまに従ったのでした。

私たちは弱く、だめなところも多いですけれども、それでも御言葉に養われている者として、イエスさまに付き従った女性たちのように、神さまの良き働き人として歩んでいきたいと思います。神さまからの愛をいっぱいに受けて、神さまの良き働き人として歩んでいきたいと思います。神さまが私たちにそれぞれの賜物を与えてくださり、神さまのよき業のために、私たちを用いてくださいます。神さまに豊かに用いられたいとの祈りをもちつつ歩んでいきましょう。


(2023年7月23日平安教会朝礼拝)


2023年7月18日火曜日

7月16日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

 「わたしの罪も赦してほしい」

 

聖書箇所 ルカ7:36-50。6/444。

日時場所 2023年7月16日平安教会朝礼拝式


シンガーソングライターのさだまさしの「精霊流し」という歌は、長崎の「精霊流し」の様子を歌っている歌です。「去年のあなたの想い出が テープレコーダーからこぼれています。あなたのためにお友達も集まってくれました。二人でこさえたおそろいの浴衣も今夜は一人で着ます。線香花火が見えますか、空の上から」。というようにしんみりとした良い歌です。「精霊流し」と聞くと、「灯籠流し」のようなものであるような気がします。川に灯籠を浮かべて、死者の魂を「しんみりと」とむらうというようなことを思い浮かべます。しかし長崎の「精霊流し」はそのような感じのものではありません。テレビでその様子を見て、想像していた歌の雰囲気とまったくちがうのに驚きました。さだまさしは「精霊流しが華かに 始まるのです」と歌っていますが、たしかに長崎の精霊流しはたくさんの爆竹を鳴らして華やかに行われます。

佐野元春の「ザ・ソングライターズ」という本のなかで、さだまさしが「精霊流し」という自分の歌を解説していました。【このなかに、たとえば歌っている人は女性ということで、あなたの船を送るという時に、ふたりでこさえた浴衣を着ているんだね。浴衣を着ているということは、正式な奥さんでもなければ正式な恋人でもない。長崎は結構厳格にその辺を分ける、ちゃんとした遺族は着物を着るんだね。そういう人間関係も実はこの詞のなかに織り込んでいるんです。で、お母さんは浅黄色の着物を着ていると書いてある。これは着物なんですね。浅黄色というのはお盆だけではなくて、長崎のお祭り、くんちでも浅黄色を着ます。あらたまった時には長崎の女性は浅黄色の着物を着るんですね】(P.130)。「なんかめんどくさ」と思いました。「せっかくいい気持ちで、『精霊流し』を聞いていたのに、さださまし、理屈こねるなよ」と思いました。

今日の聖書の箇所もなかなか理屈ぽい話ですし、またその理屈っぽい話を解説するわたしの話も理屈ぽい話になりそうで、聞いておられるみなさんは「なんかめんどくさ」と思われるかも知れません。

今日の聖書の箇所は「罪深い女を赦す」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書7章36−39節にはこうあります。【さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った】。

ファリサイ派のシモンという人が、イエスさまを食事に招きました。イエスさまはその招きに応えて、その家に行って、食事の席に着かれました。イエスさまはファリサイ派の人たちとよく論争をしています。ですから私たちはファリサイ派の人と食事をされたりすることはないのではないかと思いますけれども、イエスさまはまあファリサイ派の人たちとも、このように食事をされるわけです。この町にいた一人の罪深い女性が、イエスさまがファリサイ派のシモンの家で食事をされるということを聞いてやってきます。罪深い女性がファリサイ派の人の家にやってくるというのも、なかなか勇気のいることです。何を言われるかわかったものではありません。「罪深いおまえが、わたしの家に入ることができると思うのか」と怒鳴られて、追い出されるかもしれません。しかし罪深い女性は勇気を出して、イエスさまのところにやってきたのです。

罪深い女性は香油の入った石膏の壺を持ってきました。罪深い女性は泣いていました。そしてイエスさまの足の涙で濡らし、自分の髪の毛でぬぐい、イエスさまの足に接吻をして、もってきた香油をイエスさまの足に塗りました。その様子をみた、ファリサイ派のシモンは、「この人がもし預言者であるなら、自分に触れている女性が、どんな人か分かるはずだ。この女は罪深い女なのだから」と思います。ファリサイ派のシモンは「人々はイエスのことを預言者だと言っているれども、これで化けの皮がはがれたぞ。イエスは大したやつじゃない」と思ったわけです。

ルカによる福音書7章40−43節にはこうあります。【そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた】。

さきほどから、ファリサイ派のシモンと言っていましたら、この箇所でイエスさまをお家に招いたファリサイ派の人が、シモンという名前であることがわかります。名前がわかっているということは、めずらしいことであるような気がいたします。有名な人であったのかもしれません。罪深い女性のほうは名前がわかりません。

イエスさまはファリサイ派のシモンに「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われました。わたしなど、「ジュン、あなたに言いたいことがある」などと誰かから言われますと、ちょっとドキッとしてしまいます。「何かきついこと言われるのかなあ」と心配になるわけですが、シモンはなかなか強気です。「先生、おっしゃてください」と言いました。イエスさまはシモンにたとえ話をされます。二人の人が金貸しからお金を借りていた。一人は500デナリオン、もう一人は50デナリオン。1デナリオンというのは1万円くらいです。二人ともお金がなかったので、金貸しは両方ともの借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。そのようにイエスさまはシモンに尋ねました。シモンは「帳消しにしてもらった金額の多いほうだと思います」と応えます。そしてイエスさまも「そのとおりだ」と言われました。

ここで終われば、まあそんなに大した話ではないわけですけれども、イエスさまはそのあとシモンに対して嫌みなことを言われます。ルカによる福音書7章44ー47節にはこうあります。【そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」】。

イエスさまはシモンの家にやってきたとき、シモンは足を洗う水をくれなかった。しかしこの女性はわたしの足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。シモンはわたしに接吻の挨拶をしてくれなかった。しかしこの女性はわたしの足に接吻してやまなかった。シモンはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかった。しかしこの女性はわたしの足に香油を塗ってくれた。だから言っておく。この女性が多くの罪を赦されたことは、わたしに示してくれたその愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。

わたしはこのイエスさまの言葉を聞きながら、すこしファリサイ派のシモンがかわいそうな気がしました。「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」というのは、ファリサイ派のシモンのことなのでしょう。「あなたは赦されていることに気づかないから、愛することも少ないのだ」と言われているわけです。しかし食事に招かれて、あとから「足を洗う水をくれなかった」というように、いろいろと文句を言うというのも、ちょっとまあどうかなあと、わたしは思います。

ルカによる福音書7章48−50節にはこうあります。【そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。】。

イエスさまはファリサイ派のシモンにはきついことを言われましたが、罪深い女性に対してはやさしく接しておられます。「あなたの罪はゆるされた。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。わたしがあなたを救ってあげたというのではなく、あなたの信仰があなたを救ったのだ。神さまはあなたの罪を赦してくださったから、安心して行きなさい。罪深い女性は、イエスさまの言葉に励まされて、新しい歩みを始めることだできたのだと思います。一緒に食事をしていた人たちは、イエスさまについていろいろと考え始めます。「罪まで赦すこの人は、いったい何者なのだろう」。

ファリサイ派のシモンとイエスさまとのやり取りを見ていると、わたしはこのような議論を組み立てて良いのだろうかと心配になります。イエスさまは愛を数値化しておられるわけです。500デナリオンの借金と50デナリオンの借金を帳消しにしてもらったとして、どちらが多くのその金貸しを愛するだろうかというのは、愛を数値化しているということです。ファリサイ派のシモンはこの質問に違和感なく、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と応えているわけですが、わたしはこんなふうに愛を数値化して良いものだろうかという疑問がわいてきます。そしてイエスさまは、ファリサイ派のシモンと罪深い女性とを比べるのです。【「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた】。

そもそもだれかとだれかを並べて非難したり、愛を数値化するというようなことが、イエスさまの教えであっただろうかと考えたときに、ちょっと違うような気がします。ルカによる福音書21章1節以下に「やもめの献金」という表題のついた聖書の箇所があります。新約聖書の151頁です。ここでイエスさまは金持ちがたくさん献金したものよりも、やもめがレプトン銅貨二枚を献げたほうが尊いのだというお話をされました。ここでは金額で計ることのできない思いというのがあることを、私たちに示されたわけです。イエスさまはファリサイ派のシモンの罪深い女性に対する思いについて、とても腹を立てておられるのだと思います。それでいつもならそうしたことをしないでだろうことをあえてして、ファリサイ派のシモンを叱責したのだと思います。

ファリサイ派のシモンは、「この女は罪深い女なのだから」と思いました。まあファリサイ派らしいなあと思います。ファリサイ派の人はいつも裁き人になってしまうのです。自分は正しいという位置に立って、人を裁くわけです。「この女性は罪深い女性だ」。じっさい、この女性は一般的に見て、罪深い女性だったのだと思います。そうした仕事をしていたということでしょう。しかしイエスさまはファリサイ派のシモンに、「そういう問題ではないのだ」と言われるのです。「シモン、この人は罪深いとか罪深くないとかではなく、あなたがどうであるのかということが大切なのだ」と、イエスさまはファリサイ派のシモンに問われたのでした。

私たちもすぐ人のことが気になります。「あの人は、どうだ」「この人は、こうだ」。「あの人に傷つけられた」「この人に、こう言われた」。まあ私たちは人間ですから、人のことが気になるわけです。人と比べて、自分の方が良い人間ではないだろうかと思いたい。

しかし大切なことは、イエスさまの愛のうちに、私たちがいるのだということです。イエスさまは罪深い女性に、「あなたの罪は赦された」「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。罪深い女性は、イエスさまの愛のうちに自分がいるということに、とても安心しただろうと思います。「わたしにはイエスさまがおられるんだ」と、女性は思っただろうと思います。

ファリサイ派のシモンもまた、イエスさまの愛のうちにあるのです。ですからファリサイ派のシモンは、「罪深い女なのに」と思うのではなく、「この女性の罪が赦されるなら、わたしの罪も赦してほしい」と思うことができれば良かったと、わたしは思います。

私たちもまた、イエスさまの愛のうちを歩んでいます。自らの罪深さを認めつつ、イエスさまに素直に「わたしの罪を赦してほしい」とお願いする歩みでありたいと思います。



  

(2023年7月16日平安教会朝礼拝式)

2023年7月15日土曜日

7月9日平安教会礼拝説教要旨(山下智子牧師)

「説教を聞けば直ちに眠りを催し」

同志社女子大学教授 山下智子牧師

「説教を聞けば直ちに眠りを催し」。新島襄は若き日を振り返り、自身がそのような居眠り青年であったことを正直に告白しています。この告白は同志社が創立されて3年半ほどたった1879年5月17日、新島が京都四条で行った演説の原稿「霊魂の病」に明らかです。

使徒言行録にもトロイアの出来事としてエウティコという名の居眠り青年が出てきます。礼拝や授業の際に眠くなるのは誰でも経験のあることでしょう。しかし青年の場合、礼拝での居眠りが命に係わる大事件へとつながりました。彼は窓に腰を下ろしてパウロの話を聞いていましたが、話が夜中まで続いたのですっかり眠り込んでしまい、アッと思った時には3階から地上に落下し、命を落としてしまいました。

最近日本でよく聞かれる「自己責任論」ならば「居眠りするのが悪い」「そんな場所に座るとは不注意だ」と冷ややかに評され、青年は命の責任のすべてを自分で負うことが求められることでしょう。しかし、新島襄によるならば自分が人より正しい者であると思い傲慢なのは誤ったことで深刻な「霊魂の病」です。新島は自身の経験から、この病を癒す大きな力を持つキリストにより「人間の本位」を取り戻すことができると確信したといいます。

エウティコが落下した時、パウロは青年の元に駆け付けると、彼の上にかがみこみ、抱きかかえて、「騒ぐな、まだ生きている」といいました。すると驚いたことに青年は生き返りましたが、聖書はこの奇跡中の奇跡を非常にあっさりと伝えています。

なぜでしょうか。青年の死は、彼自身も含め、皆が彼の命に対して当たり前の注意を怠った結果のあってはならない残念な死といえます。人々は「危ないと起こさせばよかった」「室内に座れるよう詰めればよかった」、パウロは「話が長く難しすぎたのだろうか」「説教に夢中で会衆が見えてなかった」などと後悔の念に駆られていたことでしょう。

だからこそ、「わたしは復活であり、命である」と言われたイエスが、ヤイロの娘を「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ」と起こされた時の様に、神が一同を深く憐れんで下さり、青年が生き返った喜びと慰めはあまりにも大きなものでした。個人としても教会としても他人事として「良かったですね」などと軽々しくはとても言えない、自分事として「ああ、命を救っていただいた」と十分な言葉も見つからないまま、深い感動と感謝の内に共に聖餐にあずかり、さらに朝まで主の深い恵みを語り合ったのです。


2023年7月4日火曜日

7月2日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

 「礼拝ーありがとうを言いに集う」

聖書箇所 ルカ17:11-19。495/463。

日時場所 2023年7月2日平安教会朝礼拝式

 

ベルンハルト・シュリンクは、『朗読者』という本で有名なドイツの小説家です。『朗読者』は、『愛を読むひと』という映画になりました。最近、岩倉図書館に行くと、ベルンハルト・シュリンクの『別れの色彩 (新潮クレスト・ブックス)』という本が、「お勧めの本」のところに置いてありました。

【齢を重ねたいま、振り返ると、そこに忘れ得ぬ「あの日」の色がある。男と女、親と子、友だち、親しい隣人・・・・・。ドイツの人気作家が、さまざまな別離をカラフルに描き出す円熟の最新短編集】とあります。年をとった人が読むのにふさわしい本ということなので、借りてきました。

「訳者のあとがき」にはこんなふうに書かれてあります。【若い盛りにはついぞ生まれてこなかった過去に囚われては後悔する感情。友人や家族、隣人の死、そのことがきっかけで、過去の記憶が甦ってくる。あるいは再会をきっかけに、記憶が甦る。もしくは、記憶が甦ってきたために、相手と再会せずにはいられなくなる。・・・。すべてに共通するのは、主人公や視点人物の年齢がシュリンク自身の年齢に近いということだ。・・・。老年に至っても(いや、老年に達したからこそ)、自分の若いころの行いについて後悔の思いが増し、ひどいことをしてしまった相手に赦しを求めたくなるのかもしれない】(P.258)。

「あのとき、こうしておいたらよかったのになあ」というふうに、年をとったときに思うことがある。そしてそのことについてあやまることができるのであれば、あやまりたいと思うというようなことが、皆さんにもあるかも知れません。わたし自身にもあります。【老年に至っても(いや、老年に達したからこそ)、自分の若いころの行いについて後悔の思いが増し、ひどいことをしてしまった相手に赦しを求めたくなる】。

今日の聖書の箇所は「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。すこし古い新共同訳聖書をもっておられる方は、「重い皮膚病」というところが、「らい病」という表記になっているかも知れません。日本聖書協会は、「らい病」という表記が、相応しくないということで、「重い皮膚病」というふうに表記を改めています。

ルカによる福音書17章11ー14節にはこうあります。【イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。】。

イエスさまはユダヤのエルサレムに行かれる途中に、サマリアとガリラヤの間を通っていかれました。エルサレムはイエスさまの国の中心都市です。ガリラヤはイエスさまや弟子たちの生まれ故郷です。ガリラヤは「異邦人のガリラヤ」「ガリラヤからえらい人がでるはずがない」というように言われるような地方であるわけです。またサマリアという地方も、あまりよく言われな地域でした。聖書には「良きサマリア人」というようなたとえがありますが、それは逆を言えば、「サマリア人にいい人がいるはずがない」というようなものの言い方の裏返しであったわけです。サマリア地方は歴史的にみて、他民族が移住するようなことがありましたので、民族主義的なユダヤの人たちからすると、サマリアは良い地方ではありませんでした。ですからユダヤ人とサマリア人は、イエスさまの時代、仲が良くなかったと言われています。

イエスさまがある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人に出会います。この十人は、イエスさまに病をいやしてもらおうと、イエスさまに「イエスさま、先生、どうかわ、わたしたちを憐れんでください」と言いました。イエスさまはこの重い皮膚病にかかっていた人たちを癒やされます。

レビ記13章には「皮膚病」という表題のついた聖書の箇所があります。旧約聖書の179頁です。レビ記13章1−3節にはこうあります。【主はモーセとアロンに仰せになった。もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか彼の家系の祭司の一人のところに連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。】。

重い皮膚病にかかっているか、重い皮膚病が直っているかを判断するのは、祭司であったわけです。ですからイエスさまは重い皮膚病にかかっている人を癒やされたあと、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。イエスさまが病気を癒やされたとしても、祭司たちによって直っていることを判断してもらわないと、社会的にその病気から直ったということにはならないわけです。祭司たちによって直っていると判断してもらうことによって、はじめて社会生活を営むことができるようになるわけです。

重い皮膚病にかかるということは、なかなか大変なことでした。レビ記13章45節以下にはこうあります。【重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。】。

重い皮膚病にかかると自分のことを、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と言って、人々から離れていなければならないということです。ですから重い皮膚病を患っていた十人の人たちは、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言ったわけです。イエスさまの近くに寄ってくることが、重い皮膚病のためにできなかったという事情がありました。

なかなか大変なことであったわけですが、イエスさまからこの人たちはいやされたわけです。ルカによる福音書17章15−19節にはこうあります。【その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」】。

癒やされた中の一人が、大声で神さまを賛美しながら、イエスさまのところにやってきます。そしてイエスさまの足もとにひれ伏して、イエスさまに感謝しました。この人はサマリア人でした。イエスさまは言われました。重い皮膚病にかかっている10人の人をいやしたのに、わたしのところに現れたのは、外国人であるサマリア人だけだ。ほかの9人はどこにいってしまったのだろう。神さまを賛美するために、ほかに戻ってくるものはいなかったのか。イエスさまはそのように言われました。そして「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われ、イエスさまはお礼を言いにやってきたサマリア人を祝福されました。

イエスさまのところに戻ってきたのは、サマリア人だけでした。さきほども言いましたが、サマリア人はユダヤ人から嫌われていました。「あんなやつ」というふうに言われることが多かったサマリア人が、イエスさまのところに戻ってきて、神さまを賛美したのです。残りの9人であるユダヤ人は、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言っていたわけですが、祭司たちのところに行った後、イエスさまのところに戻ってくることはありませんでした。まあとても失礼なことをしているわけです。なにか事情があったのかも知れません。祭司たちのところに言ったら、「あのイエスとは関わらないほうがいいぞ」というふうに脅されたのかも知れません。友だちが癒やされたお祝いの席に招いてくれて、そのまま行ってしまったのかも知れません。まあ重い皮膚病にかかって大変な目にあっていた人については、わたしが「イエスさまのお礼を言いに戻ってこないなんて、なんて失礼なやつだ」というふうにあしざまに言うのも、あまりふさわしいことではないのかも知れません。

わたしはこの聖書の箇所を読みながら、「その後、イエスさまによって癒やされたにも関わらず、イエスさまにお礼を言いに戻ってこなかった人たちはどうしただろうか」と思いました。わたしはたぶんこの人たちは後から後悔しただろうと思います。重い皮膚病をいやしていただいたにも関わらず、癒やしてくださった人にお礼を言わなかったことが、年をとったときに、気になってきたのではないかと思います。もちろん、そんなことは聖書のどこにも書いていないのです。「あのときはお礼を言いに戻ることをしなかったけれども、でもいまから考えるととても失礼なことだし、どうしてイエスさまのところにお礼を言いに行かなかったのかなあ。イエスさま、怒っておられるのかなあ」。そんなふうに年をとってから、思っただろうと思います。サマリア人のように、イエスさまのところに戻って、イエスさまから「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言っていただいたら、生涯、祝福された人生を歩むことができただろうと思います。

老年に至っても(いや、老年に達したからこそ)、自分の若いころの行いについて後悔の思いが増し、ひどいことをしてしまった相手に赦しを求めたくなるのかもしれない】。イエスさまが重い皮膚病をいやしてくださったのだから、サマリア人のように、イエスさまのところに行って、神さまを賛美したらよかったのに。どうしてほかの9人の人たちはそれができなかったのかなあと思います。

しかしよく考えてみると、そのほかの9人のことを考える暇があるのであれば、時分のことをもう少し考えてみたほうが良いのではないかと思います。私たちもまた神さまからいろいろな恵みを受けていながら、そのことに対して当然のように思い込んで、感謝することの少ないものであることに気づかされるからです。

イエスさまのところに戻っていたサマリア人のように、私たちもまたイエスさまのところに集い、神さまに感謝を献げる者でありたいと思い

ます。私たちは日々、神さまから祝福を受けています。ですから神さまに感謝を献げる者でありたいと思います。

今日は「礼拝ーありがとうを言いに集う」という説教題にいたしました。共に礼拝に集い、「神さまありがとう」と感謝をして、神さまをほめたたえる歩みでありたいと思います。神さまに感謝を献げるために、礼拝に集い、そして一週間の私たちの歩みを整えて行きたいと思います。後悔のない歩みでありたいと思います。


  

(2023年7月2日平安教会朝礼拝式)


12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》