「よき働き人として」
聖書箇所 ルカ8:1-15。17/510。
日時場所 2023年7月23日平安教会朝礼拝
ことしの3月、キリスト教主義の学園である恵泉女学園は、恵泉女学園大学・大学院の学生募集停止を行うことを決めました。恵泉女学園はキリスト者である河井道がつくった学園です。河井道はアジア・太平洋戦争中も、国家に対して戦争の愚かさを語る人でした。
恵泉女学園の「史料室だより」には、東京女子大学の准教授の竹内久顕(たけうち・ひさあき)さんが「河井道の平和教育」という講演をされた内容が載ってありました。【恵泉女学園を創設してからの河井の発言であるが、満州事変に対して「満州国が建国されて皆が喜んでおりますが、正と義と愛がその土台でありましょうか、剣をもって建てた国は剣をもって滅びなければなりません」と学園機関紙『恵泉』巻頭言に書いている。日中戦争が開始された1937年には「我々日本人は先進国だ優越民族の国家だと自称していつまでも過信と傲慢の狂奏曲に浮かれているときは、自らの不覚を招来させるのではないかと反省させられる」と日本が中国で行っている行為に対して批判を行っている。愛国という点においても「本当の愛国者というのは国が戦争をやるときに、あるいは国が間違っている時に、それに追随するのではなく、国が間違っている時に、それを勇気をもって批判するのが本物の愛国者である」ということも言っている。日米開戦後、恵泉女学園は監視下に置かれるが、これ以降も「敵にも愛で奉仕せよ」とか「汝らの仇を愛し」 という表現を使っている】【戦争中、キリスト教学校に対する締めつけが強くなって いった時、学校の寄付行為から基督教という文字を削除する傾向があったが、恵泉はあくまでも基督教という文字を削除することはなかった】(「史料室だより」第11号)。
「まあなんともはっきりとものを言っていた人だなあ」と、思わされました。「戦争は婦人が国際情勢に関心を持つまでは決して止まないであろう」と、河井道は言ったと言われています。当時、日本にどれだけ女性の国際政治学者がいたのかなあと思いますが、現代の国際政治学者といわれる人々が、アジア・太平洋戦争の時代にいたとして、河井道ほどはっきりとものを言うことができただろうかと思います。アジア・太平洋戦争というクリスチャンにとってとても困難な時代に、河井道はよき働き人として、イエスさまに従う歩みをしました。
今日の聖書の箇所は「婦人たち、奉仕する」「「種を蒔く人」のたとえ」「たとえを用いて話す理由」「「種を蒔く人」のたとえの説明」という表題のついた聖書の箇所です。
ルカによる福音書8章1−3節にはこうあります。【すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた】。
イエスさまは町や村を回って、神さまのことを宣べ伝え、そして病の人々をいやしておられました。そして十二弟子と言われる、イエスさまのお弟子さんたちもイエスさまに付き従っていました。いわゆるペトロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネ、イスカリオテのユダなどの弟子たちです。しかし初期のクリスチャンの時代、イエスさまに付き従ったのは、男性だけではありませんでした。女性のクリスチャンの働きが大きかったのです。「婦人たち、奉仕する」という表題がついていますが、まさに婦人たちがイエスさまの宣教を支えたのでした。イエスさまがいた時代は、女性のクリスチャンが活躍していたのですが、イエスさまの弟子たちの時代になってくると、「おんなはだまっていろ」というような感じになってしまいます。コリントの信徒への手紙(一)は使徒パウロが書いた手紙ですが、コリントの信徒への手紙(一)14章34節には、【婦人たちは教会では黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません】と記されています。しかしイエスさまの宣教を支えたのは、女性のクリスチャンたちだったのです。
ルカによる福音書8章4−8節にはこうあります。【大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた】。
この聖書の箇所は「種を蒔く人のたとえ」という表題のついた聖書の箇所です。このたとえは、もともとは、「神の国は種のように力強く実を結んでいく」ということが、主な内容でした。マルコによる福音書4章1節以下に記されている「種を蒔く人のたとえ」では、そんな感じになっています。マルコによる福音書4章8節にはこうあります。【また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった】。神の国が、種のように力強く、三十倍、六十倍、百倍になることが記されています。もちろん人に踏みつけられたり、空の鳥が食べてしまったり、水気がないので枯れてしまったり、茨によって成長を邪魔されたりと、うまくいかないこともあるかも知れないけれども、でも本質的にな大丈夫なのだということです。
ルカによる福音書8章9−10節にはこうあります。【弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」】。
たとえというのは、聞いているときはなんとなくよくわかったような気がするわけですが、語り伝えられていく途中で、よくわからなくなることがあります。イエスさまがたとえで話しをされたのは、よく理解してもらうためだったと思います。でも語り伝えられていく途中で、なんかよくわからなくなるようなことが起こってきます。それで神の国の秘密のために、実はよくわからないように、理解できないように、たとえで話しをしているというようなことが言われるようになってきます。
もちろんわかる人にだけわかるように話すというような話し方がないわけではないのです。「あれを、あれしておいてくれ」とか、私たちも言います。「わかりました。あれを、あれしておくんですね」というようなことはあるのです。仲間内にだけわかるように話すというような話し方というのはあるでしょう。しかしもともとイエスさまがそのような形で、弟子たちや人々に話されたということは、たぶんあまりないだろうと思います。
「種を蒔く人のたとえ」は、「種を蒔く人のたとえの説明」という形で、説明がされています。ルカによる福音書8章11−15節にはこうあります。【「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」】。
もともと「種を蒔く人のたとえ」では、「種」のほうに強調点が置かれていたのですが、この「種を蒔く人のたとえの説明」では、「種」ではなく「種が蒔かれた状況」のほうに、強調点が置かれています。「種を蒔く人のたとえ」が語り伝えられていく過程で、そのようになっていったのでしょう。「たとえの説明」は、もともとの「たとえ」の説明にはなっていないと思いますが、でも教会で語られる話としては、「そうだなあ」と思わされます。だからこそ、この「種を蒔く人のたとえの説明」の語り伝えられてきたのでしょう。
この「種を蒔く人のたとえの説明」は、とてもわかりやすいものです。蒔かれた種は神さまの御言葉です。そして道端、石地、茨の中、良い土地というのは、私たち人間です。道端は、まあ御言葉を聞くにはけれども、必死に救われたいという気持ちがないので、悪魔が来て、その人の心の中から御言葉を取り去ってしまう。石地は、神さまの御言葉をとても喜んで受け入れるけれども、でも石地なので根付くということがない。しばらくの間は信じているけれども、でもなにかつらいことや悲しいことに出会うと、信じることができなくなる人たちのことです。茨の中というのは、御言葉を聞くけれども、またさまざまな誘惑に出くわすと、御言葉を忘れてしまい、結局は信じることができない人たちのことです。そして良い土地というのは、良い心で御言葉をしっかりと受けとめ、いかなる出来事にであっても、つらいこととかなしいこと、またさまざまな誘惑にであったとしても、御言葉から離れることなく、神さまにつながって生きていく人たちのことです。
イエスさまの弟子たち、いわゆる十二弟子と言われる人々やまたその他のお弟子さんたち、そしてマグダラのマリアや、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも、みんなイエスさまの御言葉に従って歩もうとしていました。イエスさまの御言葉によって養われていたのです。【人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる】(マタイによる福音書4章4節)と、悪魔の誘惑を、イエスさまが受けられたとき、悪魔に言われたイエスさまの御言葉のとおりです。みんなイエスさまの御言葉によって養われていました。しかしそれでも人は弱いですから、イエスさまの弟子たち、熱心な女性たちと言えども、やはりイエスさまの御言葉から離れてしまうときがあったと思います。
そしてみんな考えたのです、自分はどんな土地なのだろうか。わたしは道端なのではないだろうか。いやわたしは石地ではないだろうか。わたしはやっぱり茨の中ではないだろうか。御言葉の種が蒔かれても、それを成長させることができず、イエスさまの教えからすぐに離れてしまう弱い者ではないだろうか。そのように、自らの信仰の弱さを思ったのだろうと思います。そして私たちもまた、弟子たちや女性たちのように、自分たちはどんな土地なのだろうかと、自らに問いかけます。そして自分たちの心の弱さを思います。イエスさまが御言葉でもって養ってくださるのに、そのことを忘れてしまって、不安になったり、心配したり、また誘惑に負けてしまったりする、自分の弱さを思います。
それでも私たちは自分の弱さや無力さを越えて、神さまが私たちに働いてくださり、豊かな実を結ばせてくださるということを知っています。神さまの御言葉は、私たちの弱さに関わらず、【良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結】ぶのです。どんなに私たちがだめな信仰者であったとしても、神さまはかならず私たちの地に神の国をもたらしてくださるのです。
イエスさまが十字架につけられたとき、イエスさまの弟子たちはみな逃げてしまいます。ユダヤの議員であったアリマタヤのヨセフが、イエスさまの遺体を墓に葬ったとき、イエスさまと一緒にガリラヤからきた婦人たちは、アリマタヤのヨセフについていきました。ルカによる福音書23章49節ー24章1節にはこうあります。新約聖書の159頁です。【イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った】。
婦人たちはイエスさまの遺体を納めた墓を確認し、安息日が終わったあと、その墓に行って、そしてイエスさまがよみがえられたことを、主の天使から告げられたのです。そしてそのことをイエスさまの弟子たちに知らせました。ルカによる福音書24章10−11節には【マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった】と記されてあります。婦人たちは良き働き人として、イエスさまに従ったのでした。
私たちは弱く、だめなところも多いですけれども、それでも御言葉に養われている者として、イエスさまに付き従った女性たちのように、神さまの良き働き人として歩んでいきたいと思います。神さまからの愛をいっぱいに受けて、神さまの良き働き人として歩んでいきたいと思います。神さまが私たちにそれぞれの賜物を与えてくださり、神さまのよき業のために、私たちを用いてくださいます。神さまに豊かに用いられたいとの祈りをもちつつ歩んでいきましょう。
(2023年7月23日平安教会朝礼拝)
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