2024年2月28日水曜日

2月25日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師) 「わたしに注がれる神さまの愛がある」

 「わたしに注がれる神さまの愛がある」

 

聖書箇所 ヨハネ9:1-12。294/300。

日時場所 2024年2月25日平安教会朝礼拝式

  

2022年6月に、京都教会の伝道師の大林叡貴(おおばやし・えいき)先生が、平安教会にこられて説教をしてくださったことがありました。大林叡貴先生は生まれつき目が見えない方です。大林叡貴先生も、今日の聖書箇所に出会われて、牧師になることを志したというお話でした。大林叡貴先生よりもずっと昔の方ですけれども、青木優先生も同じように今日の聖書の箇所に出会われて、牧師になられた方です。

青木優『行く先を知らないで』(日本基督教団出版局)という本の中にかかれてあります。青木優先生の生活記録の本です。青木先生は若い日に失明し、そしてキリストと出会い、牧師となありました。失明をされた青木優さんのところに、呉平安教会の牧師の山田忠蔵牧師が訪ねてこられます。青木優さんの弟さんが教会に通っておられ、洗礼を受けておられました。

山田牧師は岩橋武夫『光は闇より』という本を、青木優さんに紹介されました。岩橋武夫は早稲田大学理工学部在学中に失明をされた方でした。この本を山田牧師は「これはあなたとよく似た境遇の人が書いた本です」と言って紹介をされました。山田牧師はこの本を朗読され、そして途中でやめて、お母さんに「どうか続きを読んであげてください」と言い残して、お祈りをして帰られます。お母さんがこの本を読み進めます。そしてある日、その本の中に、次のような聖書の言葉が書いてあるのを、青木優さんは聞かれます。

【「イエスは道をとおっておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った。『先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか、本人ですか、それとも、その両親ですか』イエスは答えられた『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが彼の上に現れるためである』。

この最後のイエスの言葉をきいた時、私は非常な衝撃を受けた。先を読み進もうとする母をとめて、もう一度、そのイエスの言葉を繰り返してもらった。「ただ神のみわざが彼の上に現れるためである」。たしかにそのように書いてある。しばらくは更によみ進んでいる母の言葉も耳に入らなかった。「なぜ見えなくなったのだ!」この私の問いに今まで誰ひとり答えてくれはしなかった。肉親も友人も、さまざまな慰めの言葉を語ってはくれたが、私のこの質問には皆黙ってしまう。そしてオロオロしたりため息をつくばかりであった。宗教家たちの因果応報説も、私の暗い心に更に暗さを増すばかりであった。しかし、今、私がきいたこの言葉は、それまできいたどの言葉とも全く異なっていた。「思いがけない」と言うのはこういうことを言うのであろうか。・・・。私は、イエスが「お前の失明を通して、お前でなければなしえない神の仕事をするのだ」と語りかけておられるのを感じた】(P.32-34)。青木優さんは、このイエスさまの言葉に導かれて、いままでとは別の人生を歩み始められます。

今日の聖書の箇所は「生まれつきの盲人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書9章1−5節にはこうあります。【さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」】。

イエスさまがお弟子さんと一緒に歩いているときに、一人の目の見えない人を見かけられます。弟子たちはイエスさまに「この人が生まれつき目が見えないのは、本人が罪を犯したからですか。両親が罪を犯したからですか」と尋ねます。「ラビ」というのは「先生」という意味です。イエスさまの時代、病気であるとか障害をもっているということは、神さまから罰を与えられているのだというふうに考えられていました。そうした考え方は、イエスさまの時代やユダヤの人々だけがそのように考えているということではなく、世界中にそうした考え方がありました。現代ではそういた考え方は、間違った考えであるわけです。しかし現代でもなお、病気を抱えている人や障害を抱えている人に対する偏見というのが、まったくなくなったわけでもありません。病気の人のところに、「先祖の供養が足りないので、いまあなたは病気になっている。この壺を買いなさい」というような人が尋ねてくるというようなことがあるわけです。

しかしイエスさまは弟子たちの偏見にみちた考え方を、きっぱりと正されます。「盲人であるということが、神さまからの罰であるというようなことはありえない。この人が罪を犯したのでもない。両親が罪を犯したのでもない」と、イエスさまは言われました。そして「神の業がこの人に現れるためである」と言われて、この盲人をいやされ、この人を神さまの証人とされました。

イエスさまは弟子たちに言われました。神さまが私たちを貧しい人々困っている人々、病気の人々のところに遣わしておられる。神さまが私たちをお遣わしになっておられるのだ。だからいやしのわざを行ない、できるかぎりのことをしていかなければならない。いまはこうしたわざを行なうことができる。しかしわたしはのちに十字架への道を歩むことになり、いまのようにいやしのわざを行なうことができなくなるのだから。そのようにイエスさまは弟子たちに言われました。

ヨハネによる福音書9章6−7節にはこうあります。【こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム——『遣わされた者』という意味——の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。】。

イエスさま地面に唾を出して、唾で土でこねて、目の見えない人の目に塗られました。イエスさまは目の見えない人に、シロアムの池に行って土を洗い落としなさいと言われます。目の見えない人は、イエスさまが言われたとおりにシロアムの池に行きました。そして目を洗うと、目が見えるようになりました。そして彼はイエスさまと出会った場所に戻ってきました。

ヨハネによる福音書9章8−12節にはこうあります。【近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。】。

生まれつき目の見えない人が、イエスさまによっていやされて、もとの場所に帰ってきました。しかし近所の人たちは、その人が生まれつき目の見えない人であるのかどうか、なかなかわかりません。物ごいをしていたりしたので、日頃から会っていたわけですがわかりません。「この人は生まれつき目の見えない人じゃないのか。いまは目が見えているけど」というふうに思う人もいれば、「いや似てるけど、違うわ。だってこの人は目がみえているんだもの」と思う人もいました。みんなが「どうなんだろう」と思っているので、本人が「わたしがその人だ」と名乗り出ます。すると「では、お前の目を治したのはいったいだれなのか。どうやって治したのか」と人々から、その人は問われました。そこで彼は、「イエスという人が、土をこねて、それをわたしの目に塗り、シロアムの池に行って、それを洗い落とせと言いました。そしてそのとおりにすると、見えるようになりました」と応えました。人々は彼に「そのイエスという人はどこにいるのか」と問いましたが、もうすでにイエスさまはその場から離れておられたので、彼は「知りません」と応えました。

ここ数日間の私たちの国のニュースは、日経平均株価が34年ぶりに史上最高値を更新するかどうかということでした。無事、日経平均株価が34年ぶりに史上最高値を更新をして、なにかすごいことが行われたようなニュースが流れていました。よくわからないですが、34年間、ずっと更新できなかったことが異常なことであり、ちゃんと世の中がうまく回っていなかったということであるわけですから、政治界のリーダーとか経済界のリーダーとかは、猛反省をしても良さそうなわけですが、そういたニュースは流れてきませんでした。

私たちの生きている日本社会は、ここ数十年、ゆとりがなくなり、自分のことだけを考える人たちが増えてきました。自己責任ということが過剰に言われるようになり、弱い立場の人たちを攻撃して、悪者探しをするようなことがよく行われました。悪者を探し続けましたが、あまり良い社会になりませんでした。あまりに自己責任社会になったので、もう結婚するのもリスクがあり過ぎるし、子育てをするものリスクが過ぎるというようなことが言われます。そんな感じなると、ますます少子化社会になり、私たちの社会が衰退していくような気がしてきて、すこし不安になります。

イエスさまのお弟子さんたちは、生まれつき目の見えない人を見て、イエスさまに「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」と言いました。弱い立場の人を見えて、その人や家族の人たちに罪を見いだそうとして、自己責任の世界にありがちな、犯人探しをしたわけです。

しかしイエスさまは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と言われました。私たちの神さまは、困っている人や立場の弱い人たちをおとしめたりするような社会を望んでおられるはずがない。神さまは愛に満ちた方であるから、困っている人や立場の弱い人が健やかに生きていくことができるために、私たちをお遣わしになっているのだ。「神の業がこの人に現れるために」、だれしも神さまの愛の内を歩んでいて、神さまの業がその人のうえに働くのだ。私たちはだれも神さまの愛の中に生きている。すべての人に神さまの愛が注がれているのだ。そのようにイエスさまは言われました。

今日の聖書の箇所は、目の見えない人がいやされた話です。そして目の見えない人に対して、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と言われた話です。ですから目の見えない人が、この聖書の箇所を読んで、特別な召命を神さまから受けるということはあると思います。京都教会の大林叡貴先生や、また『行く先を知らないで』という本を書いておられる青木優先生などは、まさにそうした召命を受けて、牧師となり、りっぱな働きをなしておられます。

しかしそうしたりっぱな働きをなしていく方々への特別な召命ということだけでなく、今日の聖書の箇所は、すべての人に対して語られる神さまの深い愛の物語です。神さまの愛はすべての人に注がれているのです。すべての人に、神さまの業が現れているのです。私たちはみな、「神の業がこの人に現れるためである」という神さまの祝福の中に生きています。

わたしに注がれる神さまの愛があるのです。いろいろな出来事の中で、不安になったり、行き詰まったりすることが、私たちにはあります。「どうしてわたしがこんな目にあわなければならないのか」。そうした出来事に、私たちは出会うことがあります。神さまの祝福から、わたしは外れているような気がする。そうした気持ちにさえなることが、私たちにはあります。

しかし生まれつき目の見えない人が、イエスさまによっていやされたように。イエスさまから「神の業がこの人に現れるためである」と声をかけられたように、私たちにもまた神さまの愛が注がれているのです。

わたしに注がれる神さまの愛があるのです。恐れることなく、神さまを信じ、神さまを信頼して歩みたいと思います。神さまを見上げつつ、こころ平安に歩んでいきましょう。

 


  

(2024年2月25日平安教会朝礼拝式)


2024年2月23日金曜日

2月18日平安教会礼拝説教要旨(熊谷沙蘭牧師)「罪人らしく連帯しようよ」

「罪人らしく連帯しようよ」 熊谷沙蘭牧師

ルカ16:1〜13


 神学者のケネス・E・ベイリーはこの箇所の直前にある「放蕩息子のたとえ」と重ねて読むことができると解釈しています。「不正な管理人のたとえ」と「放蕩息子」にはいくつもの共通点があります。1つ目は身勝手な人が登場して、それを驚くほど寛大に受け止める人がいること。2つ目はお金を浪費する人が登場すること。3つ目は、お金を浪費した人はそのことを父や主人に受け止めてもらうことで新しい道が切り開かれていくこと。4つ目は、お金を浪費した人の運命は父や主人が握っており、父や主人の憐れみにすがることによって生きることができていることです。

 このたとえは、主人が神を表し、管理人が人間を表しています。管理人は主人のお金を横領して好き勝手している姿は、神から与えられているものを好き勝手して生きる人間の姿です。断罪される時が来た時に、不正な管理人は真剣に生き残る道を考えました。その生き残りを賭けた方法が他者の借金を棒引きするという驚くべき方法でした。借金は神への罪を表します。好き勝手してきた人間は生き残るために、他者の罪を勝手に赦すという、他者と共に連帯して生きていく方法を取るのです。決して褒められたやり方ではないですが、好き勝手な生き方をしてきた人間がここでようやく、誰かと共に生きる道を探し出すのです。主人(神)はその方法を褒めました。罪深い人間の打算的な行動であっても、他者と共に生きるという道を神は褒められたのです。

 私たちが神を信じて生きることも、不正な管理人と同じではないでしょうか。「隣人を愛せよ」と言われるイエスの言葉を、どこか打算的に自分の保身を計算しながら行おうとします。また自分も罪深い人間でありながら、人の罪を赦してあげようとします。私たちはどうやってもイエスの憐れみにすがらなければ、信仰を持って生きていると言える人間ではないのです。私たちが誰かと共に生きるということは、打算も身勝手さも引きずりながら、それでも神様、互いを助け合い生きていきますよと神の前に立つことなのではないでしょうか。美しくも綺麗でもないこの姿を神は褒められています。そこにこそ神の救いと憐れみが表れているのです。

 罪人であることは開き直ることでも、諦めることでもありません。互いが神・イエスの憐れみを得て生きるということなのです。信仰生活とはそのことを通して他者と連帯していくことなのです。 


2024年2月14日水曜日

2月11日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師) 「小さきわたしを用いられる神さま」

 「小さきわたしを用いられる神さま」

聖書箇所 ヨハネ6:1-15。351/516。

日時場所 2024年2月11日平安教会朝礼拝式


美学者の伊藤亜紗は、障害を通して、身体のあり方を研究しています。伊藤亜紗の『手の倫理』(講談社選書メチエ)には、伊藤亜紗が初めてアイマスクをして伴走者と走るという経験をしたときのはなしが出てきます。障害者がマラソンなどの競技をするときに、目が見える人が伴走者になり一緒に走ることによって、障害者が走ることができるわけです。そうした経験を、伊藤亜紗もやってみたわけです。伴走ロープを使います。(参照、日本ブラインドマラソン協会、https://jbma.or.jp/challenge/guide_movie/)

【私もアイマスクをして伴走者と走る体験をしたときには、とてつもなく恐怖と不安で、最初は足がすくんでしまいました。伴走してくれたのはベテランだったのですが、一歩踏み出そうとするたびに、足元に段差が「見え」たり、目の前に木の枝が「見え」たりするのです。もちろん、アイマスクをしているので、物理的に何かが見えているわけではないのですが、おそらく予測モードが過剰に発動していたのでしょう、段差や木の枝が「ある」ように感じていました。でもある瞬間、実際には走り始めてほんの数分のうちに、こうした不安と恐怖は私から離れていきました。そのときの感覚は、「大丈夫だ」と確信できたというよりは、「ええい、もうにでもなれ」と、あきらめて飛び込む感じに近かったように思います】(P.154)。【いったん信頼が生まれてしまえば、そのあとの「走る」の、なんと心地よかったことか。最初は宇ウォーキングでしたが、すぐにおのずとスピードがあがって走り初め、最後は階段をのぼることまでできるようになりました。すっと走っていたい! それは、人を100パーセント信頼してしまったあとの何とも言えない解放感と、味わったことのない不思議な幸福感に満ちた時間でした。と同時に痛切に感じたのは、いかにふだん自分が人や状況を信頼していなかったか、ということでした。怪我をする覚悟も含めて人に身を預ける、などということを、私はほとんでしたことがありませんでした。もちろん、子供のころは周囲の大人に身を預けていたはずです。けれども子供は、必ずしも不確実性を分かったうえで信頼しているわけではありません。信じて依存する、というのは私にとって非常に新鮮な経験でした】。

伊藤亜紗は初めてアイマスクをして伴奏者と走る経験をすることによって、人を信頼することがなんと気持ちの良いことであるのかということと、そしていままで自分がいかに人を信頼していなかったかということに気づきます。まあ人を信頼するということは、なかなかむつかしいことであるわけです。わたしはアジアの国を旅行している時に、道がわからなくなり、たどたどしい英語で、「この駅に行くには、このバスに乗ったら良いのか」と尋ねたりしますが、「このバスで大丈夫だ」と教えてもらって、バスに乗ってみると間違いだったというような経験をします。まあわたしの英語がだめなのかもしれませんが、こういうときはあんまり信用してもだめだなと思ったりします。

この伊藤亜紗の経験は、私たちが信仰ということを考える時に、「ああ、たしかにこういうことってあるよね」と思える経験です。はじめは神さまを信じているのか信じていないのかよくわからず、「どうなんだろうねえ」と自分自身も思いながら、信仰生活を送ります。ちょっとおどおどしながら信じているわけですけれども、しかし「やっぱりわたしは信じたい」という思いで信じます。するといままでになかった安心感を得ることができます。神さまを信じて生きていくことの幸いを、私たちは感じます。もちろん日常生活の中でいろいろなことが起こり、ときに信じられなくなったり、不安になったりすることもあるわけです。しかしそれでも私たちは神さまにより頼んで、神さまが私たちを守ってくださり、良き道を備えてくださることを信じて歩みます。

今日の聖書の箇所は、「五千人に食べ物を与える」という表題のついた聖書の箇所です。この話は、マタイによる福音書にも、マルコによる福音書にも、ルカによる福音書にも書かれてある物語です。マタイによる福音書とマルコによる福音書には、この「五千人に食べ物を与える」という話のほかに、「四千人に食べ物を与える」という話が出てきます。よく似た話であるので、もともとは一つの物語であったのではないかと言われたりします。ヨハネによる福音書の「五千人に食べ物を与える」という物語の一番の特徴は、少年が出てくるというところです。大麦のパン五つと魚二匹を持っているのは少年です。少年が出てくるので、よく教会学校の話などに使われます。そういたことを頭に置いて、少し読み進めていきたいと思います。

ヨハネによる福音書6章1−4節にはこうあります。【その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた】。

イエスさまは神さまの御言葉を宣べ伝え、そして病の人をいやしておられました。多くの人々がイエスさまの話を聞こうと、イエスさまのところにやってきます。イエスさまが病の人たちをいやされたのをみた人々は、「この方こそ、救い主に違いない」と思い、イエスさまのところに集ってきます。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいてきていました。イエスさまは山に上られ、そしてイエスさまは弟子たちと一緒に座りました。群衆がどんどんと、イエスさま目指して集ってきます。

ヨハネによる福音書6章5−9節にはこうあります。【イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」】。

イエスさまは大勢の群衆を前にして、この人たちの食事の心配をされました。多くの人々はいつもお腹を空かせたいたのだと思います。イエスさまは弟子のフィリポに、「この人たちに食事を用意するためには、どこでパンを買えばいいだろうか」と言われました。山の上ですから、お店屋さんがあるということでもないのでしょう。ですからフィリポは、「山の上にパン屋さんがあったとしても、こんなに大勢の人数ではパンがいくらあっても足りないでしょう。二百デナリオン分のパンがあっても足りないと思いますよ。イエスさま」と応えました。1デナリオンは一日の労働者の賃金くらいだと言われますから、1万円とすると、二百デナリオンは200万円になります。

使徒ペトロの兄弟のアンデレは、少年を連れてきます。少年は大麦のパンが5つと魚2匹をもっていました。まあ一人で食べるにはちょっと多いかなあというような感じの量だと思います。しかしまあ数人で食べれば、もう食べてしまうというような感じの量です。イエスさまのためにと、弟子たちのところにもってきてくれたのかも知れません。しかしアンデレはこんな大勢の人がいるのであれば、パン5つと魚2匹では、どうなるものでもないでしょうと、イエスさまに話します。

ヨハネによる福音書6章10−13節にはこうあります。【イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。】。

イエスさまは奇跡を行われます。五千人の人たちを座らせます。そしてイエスさまはパンを取り、神さまに感謝の祈りを唱えて、そして人々に分け与えられます。また魚も同じように、人々に分け与えられます。人々はパンも魚も「欲しいだけ」分け与えられました。そして人々は満腹します。そしてイエスさまは弟子たちに残ったパン屑を集めさせます。すると五つのパンをみんなが食べて満腹し、そして残ったパンの屑は十二の籠一杯になりました。

ヨハネによる福音書6章14−15節にはこうあります。【そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。】。

人々はイエスさまのすばらしさをほめたたえます。この方は神さまから使わされ、神さまの言葉を人々に伝える預言者だ。人々はイエスさまを王様としてあがめようとします。しかしイエスさまは王様としてあがめられるために、この世に来られたわけではありません。神さまの御子として、私たちの罪のために、十字架につけられるために、この世に来られました。そしてイエスさまの十字架によって、世の人々は罪許され、神さまによって永遠の命を受け継ぐ者となります。そのため、イエスさまは一人で山に退かれました。

この「五千人に食べ物を与える」という物語は、とても具体的な話です。お腹を空かしている人たちを満腹にするという話です。イエスさまのお話を聞きに来ている貧しい人々は、いつもお腹を空かせていただろうと思います。「人々が満腹した」という聖書の言葉を読むとき、「ほんとによかったなあ」と思えます。悩みは具体的なものであり、そしてとても切実なものです。そして切実なるがゆえに、また「ほんとうにその望みは叶うのだろうか」という疑うこころも私たちの中に起こります。

イエスさまのお弟子さんのアンデレは、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」と言います。小さな私たちは、そんな私たちで何かをするなんてことはできないことなんだという気持ちになってしまいます。

弟子たちはイエスさまの奇跡をいままで経験しているわけです。それでも弟子たちの中には、信じきれない気持ちがあります。弟子たちもまたイエスさまに従って歩んでいたわけですが、それでもイエスさまのことを信じきることができず、疑う気持ちがこころのなかにありました。

美学者の伊藤亜紗が、アイマスクをして走った時に、自分はいかに人を信頼していなかったのかということに気がつきました。なかなか信頼するとか信仰するということはむつかしいものです。神さまを信じている。神さまを信頼していると思っていても、信仰生活を送っていますと、信じきれていない自分に出会うことがあります。「ああ、じぶんは一生懸命に信仰しているように思えても、実はそうではなかたのだ」と、自分の信仰のなさを反省させられたりします。私たちは神さまではないので、自分のだめなことに気づかされることもやはりあります。ああなんて自分は小さな者なのだと思わされることもあります。

しかしイエスさまは、少年の持っていた大麦のパン五つと魚二匹を用いてくださり、五千人に食べ物を与えるという奇跡を行われます。弟子たちからすれば、「何の役にも立たないでしょう」と思えるものを用いて、イエスさまは五千人の人々を満腹にされました。私たちは小さな者ですし、頼りない信仰ももつ者であります。しかしそうした小さな者である私たちを用いてくださる神さまがおられます。神さまが私たちを用いてくださるとき、たとえ私たちが小さな者であったとしても、神さまが豊かな出来事に変えてくださいます。

小さな者である私たちを愛し、そして私たちを用いてくださる神さまがおられます。私たちは神さまの祝福のなかを歩んでいきたいと思います。そしてまた神さまに用いていただきたいと思います。私たちのわざは小さな業かもしれません。しかし神さまは私たちのその小さなわざを喜んでくださり、私たちを豊かに用いてくださいます。神さまにお委ねして歩んでいきましょう。

  

(2024年2月11日平安教会朝礼拝式)

2024年2月9日金曜日

2月4日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「神さまのお守りの中にある」

「神さまのお守りの中にある」

 

聖書箇所 ヨハネ5:1-18。493/528。

日時場所 2024年2月4日平安教会朝礼拝式

  

岡山教会の方から、沢知恵『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット)というブックレットをいただきました。沢知恵(さわ・ともえ)さんはシンガーソングライターで、ご両親とも牧師です。沢知恵さんは赤ちゃんのときに、お父さんが瀬戸内海にある大島青松園というハンセン病の療養所にある教会につれていってくれたことの関係で、いま、ハンセン病療養所の音楽文化研究をしています。

『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』というブックレットは、ハンセン病療養所の園歌について書かれてかります。ハンセン病は皮膚の感染症です。昔は「らい病」と言って恐れられていました。感染力は極めて低く、日本のハンセン病療養所に勤務した職員のうち、発病した人はだれもいないということです。しかし日本政府による隔離政策がとられ、1931年に「癩予防法」が制定されます。ハンセン病患者はハンセン病療養所での生活を強いられることになります。1940年代にアメリカで特効薬のプロミンが開発されましたが、その後も日本では隔離政策がとられ、1996年まで「癩予防法」が廃止されることはありませんでした。ハンセン病患者は差別され続けました。ハンセン病であることがわかると隔離され、家族から縁を切られるということがありました。家族からハンセン病患者が出たとわかると、家族をも差別されるからです。

全国のハンセン病療養所には、「つれづれの」という歌碑が建てられているそうです。「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という短歌です。「入居者の退屈を慰める話し相手になりなさい。行くことが難しい私に代わって友となって」という短歌です。大正天皇の后(きさき)である貞明皇后(ていめいこうごう)の歌だそうです。この短歌に曲がつけられていて、全国のハンセン病療養所で歌われていました。短歌の内容は、貞明皇后がハンセン病施設で働いている人たちに、「わたしの代わりにハンセン病患者の友だちになってくださいね」ということであるわけです。ですから歌自体は施設で働いている人たちへの歌であるわけですが、それでもこの歌は患者の人たちにも愛された歌であったようです。沢知恵さんはこんなふうに書いています。【私は全国の療養所を旅して園歌を調べていくうちに、園歌はうたえなくても《つれづれの》ならうたえるという人にたくさん出会い、驚きました。うっとした表情を浮かべながらうたうその姿に、ただならぬ雰囲気を感じたものです】(P.20)。

それほどハンセン病患者は孤独であったということです。家族から縁を切られ、頼る人もおらず、友となってくれる人を求めていたということなのでしょう。もちろんハンセン病療養所のなかで結婚をする人もいましたし、生活の中での友だちもいただろうと思います。しかし国家によって隔離政策がとられ、家族から棄てられ、以前の友だちに連絡を取ることもできず、孤独を味わった人たちにとって、「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という歌は、慰めの歌であったのでした。

今日の聖書の箇所にも、病気のために孤独な生活を強いられた人が出てきます。今日の聖書の箇所は「ベトサダの池で病人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書5章1−5節にはこうあります。【その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。】。

エルサレムの羊の門のそばに「ベトザタ」という池がありました。その池にときどき天使がやってきて、池の水が動く時に、一番先に水の中に入ることができると、どんな病気であってもいやされるというふうに言われていました。そのため病気の人たちは、近くの回廊に横たわって、水の動く時を待っていました。病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人、いろいろな人が横になっていました。そのなかに38年もの間、病気で苦しんでいる人がいました。

ヨハネによる福音書5章6−9節にはこうあります。【イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。】。

イエスさまはその38年間病気で苦しんでいる人に、「良くなりたいか」と声をかけられました。まあ病気で38年間苦しんでいるわけですから、良くなりたいと思っていないわけはないのです。病気が良くなりたいからこそ、病気がいやされるかも知れない、「ベトザタ」の池の近くの回廊に横になっているのです。しかしこの38年間病気のために苦しんでいた人は、「良くなりたいか」と問われて、「良くなりたいです」と応えたわけではありませんでした。彼の口から出てきた言葉は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という言葉でした。

彼は孤独でした。だれも彼に寄り添ってくれる人はいませんでした。いろいろな病気の人たちがこの「ベトザタ」の池にやってきているわけです。もちろん病気が軽くて、自分の力で水が動くと、瞬時に反応して、池に駆け込むことのできる人もいたでしょう。自分が動くことができない人であっても、その周りに支える人たちがいて、その人たちが病気の人を池の中に運んでくれるということもあったでしょう。しかしこの38年間病気で苦しんでいた人は、周りで支えてくれる人や気づかってくれる人がいませんでした。

この「ベトザタ」の池も、なかなかしんどいところです。病院であれば、「次の方どうぞ」というように順番があるわけですが、この「ベトザタ」の池には順番というものがないのです。池の水が動く時に真っ先に入るものがいやされるのです。いつ水が動くということがわかっていないわけですから、まあそれまでは病人同士で、「ここが痛い」とか「こうしたらちょっと痛みが和らぐよ」というような話がなされ、いたわりあいがあるのではないかと思います。でも水が動いたら、そうしたいたわりあいなどなかったかのように、我先にと水の中に飛び込まなければなりません。そうでなければ、自分の病気は治らないのです。38年間病気であった人は、38年間、自分も含めた病気の人たちの争いを見続けてきたのです。こころもすさんでくることになります。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という彼の言葉は、そうした絶望の叫びの言葉であるのです。

イエスさまはその人を癒やされます。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と声をかけられます。すると、その人やいやされました。そして床を担いで歩き始めました。その日はちょうど安息日でした。ユダヤ教では案宗日は、働いてはいけない日です。ですから病気をいやすということも行なってはならないと考える、ユダヤ教の指導者たちがいました。ユダヤ教では神さまから与えられた法律である律法を守ることが大切であるとされています。とくに律法のおおもとであるモーセの十戒を守ることはとても大切なことであるわけです。モーセの十戒には、【七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる】(申命記0514)とありました。「安息日はいかなる仕事もしてはならない」と考えられていました。

ヨハネによる福音書5章10−13節にはこうあります。【そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。】。

イエスさまから病気をなおしてもらった人は、床を担いで歩いていましたので、そのことをユダヤ人たちから非難されます。安息日はいかなる仕事もしてはならないわけですから、床を担いで歩いてはいけないというわけです。その人はユダヤ人たちに対して、わたしの病気を治してくれた方が、「床を担いで歩きなさい」と言われたのだと応えました。ユダヤ人たちは「そんないい加減なことをいうヤツはだれだ」というわけで、「だれがそんなことを言ったのか」と、彼に尋ねます。しかし彼はイエスさまのことを知りませんでした。

ヨハネによる福音書5章14−18節にはこうあります。【その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。】。

イエスさまは神殿の境内で、この人に出会います。そして「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」と言われます。罪を犯していることが病気の原因のような考え方は、いまの私たちからすると、「どうしてこんなこと、イエスさまが言われるのかなあ」と不思議な気がするわけです。そうした考え方はイエスさまご自身がお嫌いな考え方であると思うわけですが、ヨハネによる福音書の著者の創作によるものなのか、まあ詳細はよくわかりません。まあとにかくイエスさまにこの人は再び、出会ったので、そのことをユダヤ人たちに知らせます。するとユダヤ人たちはイエスさまのことを迫害し始めます。

イエスさまはユダヤ人たちの考えとは違って、安息日にもいやしのわざを行なっておられました。イエスさまは安息日に病気の人をいやしてあげることは、神さまの御こころに叶うことだと言われます。神さまは安息日であったとしても、しんどい思いをしている人や、困っている人に対して、こころを働かせておられる。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」。しかしユダヤ人たちは、そのように言われるイエスさまを殺そうとします。

イエスさまは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われました。神さまは憐れみ深い方で、苦しんでいる人、悲しんでいる人を、見過ごされる方ではないと、イエスさまは言われます。あなたがいくらお祈りしても、今日は安息日なので、あなたのお祈りを聞くことができないのだと、神さまは言われない。神さまは悲しみの中にある人、苦しみの中にある人のために、いつも働いておられる。だからわたしも神さまと同じように、安息日であろうと、病気で苦しんでいる人々を癒やすのだと、イエスさまは言われました。

病気の人にとって、安息日はないのです。「今日は安息日だから、痛みがないわ」ということであれば良いわけですが、痛みは毎日あるのです。「今日は安息日だから、何の悩みもないわ」というのであれば、良いわけですが、しかし私たちの悩みに、安息日はないのです。しかし、神さまは私たちの悩みを聞いてくださり、私たちの悲しみ、苦しみに寄り添ってくださるのです。

私たちは日常生活のなかで、いろいろな不安な出来事に出会います。いろいろなことで悩みます。自分自身のこと、家族のこと、友人のこと。家族の病気が早く良くなってほしいと思います。孫の受験のことで心配になったりします。仕事のことで悩んでいた友人のことも気になります。

自分の力ではどうすることもできないような大きな出来事の前に、こころが痛むということもあります。ウクライナでの戦争、パレスチナでの戦争。いろいろなところで大災害。能登半島地震の被災地のニュースを聞くたびに、私たちのこころは悲しみでいっぱいになります。

いろいろなことがある私たちですけれども、しかし神さまが私たちと共にいてくださいます。イエスさまは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われました。私たちの神さまは、私たちの悩みや苦しみ、またやるせない気持ちをご存知です。そして私たちを愛してくださり、私たちに良き道を備えてくださいます。神さまが私たちのために働いてくださっている。このことを信じて、私たちもまた神さまの御心にそった歩みでありたいと思います。共に祈りつつ、共にこころを通わせ合いつつ歩んでいきましょう。

  

(2024年2月4日平安教会朝礼拝式)

12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》