「朽ちる食べ物のためではなく」
聖書箇所 ヨハネ6:22-27。227/419。
日時場所 2024年7月21日平安教会朝礼拝
年を取ってくると、かかる病院の数も増えてきて、なんとなく気が沈みます。わたしはことしはどうも元気一杯というわけにはいかず、いろいろな病院にかかっています。いまは60肩で肩が痛いのがなかなか治りません。肩が痛いので整形外科に行き、そこでいただいた薬が合わず、皮膚が赤くなったので、皮膚科に行き、原因を突き止めてもらい、また整形外科にいって薬を変えてもらったりして、なんともくたびれました。
病院に行くと看護師さんが働いておられます。病気のときは気落ちしているからでしょうか。看護師さんから「お大事になさってくださいね」などとやさしい言葉をかけていただくと、やっぱり安心します。大切な仕事だなあと思います。
フローレンス・ナイチンゲール(1820年5月12日 - 1910年8月13日)は、イギリスの看護婦です。「クリミヤの天使」とか「ランプの貴婦人」というふうに言われて讃えられる人です。ナイチンゲールはイギリスの上流階級の子どもとして生まれました。19世紀の上流階級というのは、働かなくても一生涯地代や利子で暮らしていける人たちのことです。ナイチンゲールの両親は新婚旅行でヨーロッパ大陸に行きました。まあヨーロッパを回るんだったら、1、2ヶ月はほしいですか。行ったことがないので良くわからないですが、ナイチンゲールの両親はほぼ3年間かけて新婚旅行を行なっています。ナイチンゲールの名前のフローレンスは、ナイチンゲールが生まれた土地でありますフィレンツェから取られています。
【一八三七年、フローレンス・ナイチンゲールが十七歳のとき、自分の力を神に捧げるようにというお告げがあったという】(P.18)(ヒュー・スモール『ナイチンゲール 神話と真実』、みすず書房)。(このヒュー・スモール『ナイチンゲール 神話と真実』という本は、ナイチンゲールの謎についての推理小説のような本でした)。ナイチンゲール家はフローレンス・ナイチンゲールが17歳のとき、二度目の家族での大海外旅行に出かけます。18ヶ月です。【フローレンスは、この海外旅行に旅立つ前に、つぎのように書き記していました。「くだらないことがらに時間をむだに使うのではなく、私はなにかきちんとした職業とか、価値ある仕事がしたくてたまらなかった」と。ここで「くだらないことがら」というのは、たとえば、おおぜいの客を自宅に招いてパーティを開いたり、親類縁者へささいな日常を手紙で伝えあうような、上流階級の習慣をさすようです】(P.33)(長島伸一『ナイチンゲール』、岩波ジュニア新書230)。
ナイチンゲールは若くしてこうしたしっかりした考え方をもっていました。そしてナイチンゲールは看護婦の道を志します。いまの世の中ならまあ上流階級の娘さんの気まぐれというような感じに受け取られるかも知れませんが、当時の看護婦さんの状況というのはなかなかたいへんなものでした。19世紀中頃の病院は、不潔と不道徳のはびこる温床地帯だったそうです。【当時の病院では、ジンやブランデーなどが病棟にもちこまれることはめずらしくなく、それは患者ばかりでなく看護婦にも共通していたからです。また男性病棟の看護婦が男性の病室で寝泊まりすることすら公然と行なわれていました。信じられないことかも知れませんが、看護婦の泥酔と不道徳は、当時の「常識」だったのです】(P.54)(長島伸一『ナイチンゲール』、岩波ジュニア新書230)。そんな時代ですからナイチンゲールの両親は、ナイチンゲールが看護婦になることに猛反対しました。
ナイチンゲールは看護婦になって、こうした病院の状況を改革していきます。ナイチンゲールは私たちがもつ「白衣の天使」というイメージの人ではなくて、社会改革者であったようです。ナイチンゲールは看護婦を「専門職」にまで高めることをめざしていました。
【一般に、「ナイチンゲール精神」といえば、博愛的奉仕と自己犠牲のことであると考えられているようです】(P.200)(長島伸一『ナイチンゲール』、岩波ジュニア新書230)。ナイチンゲール誓詞(せいし)にはこうあります。
【ナイチンゲール誓詞 我々はここに集いたる人々のために厳かに神に誓わん。我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんことを。我はすべて毒あるもの、害あるものたち、悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。我は我が力の限り、我が任務の標準を高くせんことを努むべし。我が任務にあたりて取り扱える人々の私事のすべて、我が知りえたる一家の内事のすべて我は人にもらさざるべし。我は心より医師を助け、我が手に託されたる人々の幸のために身を捧げん】。
ナイチンゲール誓詞には「任務」という言葉がでてきます。【我は我が力の限り、我が任務の標準を高くせんことを努むべし】。この「任務」というのは「専門職」ということです。「専門職としての水準を高めるために全力をあげることを」。私たちはプロフェッショナルでなければならない。私たちはプロフェッショナルなのだから、ほかの専門職と同様に、高い俸給を得ることも当然である。ナイチンゲールはそんなふうに看護職について考えていました。【ナイチンゲール精神とは、プライドをもって「専門職の水準」向上に全力をあげようとする自己努力の精神】(P.203)なのです。
クリミヤの天使といわれてもてはやされたナイチンゲールですが、ナイチンゲール自身はこの出来事についてこんなふうに言っています。【かねてから心を痛めてきたことですが、私のこの実験事業に寄せられたはなばなしい声望(せいぼう)を聞くにおよび、私はいっそう心を痛めています。この仕事にたいする並はずれた喝采がわれわれのなかによびおこした虚栄心と軽挙妄動(けいきょもうどう)とは、この仕事にぬぐい去ることのできない汚点をのこし、おそらくはイギリスではじまった事業のなかでもっとも将来性のあるこの事業に、害毒を流しこみました。困難と辛苦と苦闘の無名のなかで、この仕事に着手したわれわれの当初の一行のほうが、ほかのだれにもましてよい仕事をしてきました。・・・少数者による静かな着手、地味な労苦、黙々と、そして徐々に向上しようとする努力、これこそが、ひとつの事業がしっかりと根を下ろし成長していくための地盤なのです】(P.138)(長島伸一『ナイチンゲール』、岩波ジュニア新書230)。
ナイチンゲールの墓石にはナイチンゲールの名前が刻まれていません。「F・N、1820年生、1910年没」というふうに、イニシャルだけが刻まれています。「私は死後まで人に覚えていてもらいたくないのです」とナイチンゲールは言っているそうです。
【少数者による静かな着手、地味な労苦、黙々と、そして徐々に向上しようとする努力、これこそが、ひとつの事業がしっかりと根を下ろし成長していくための地盤なのです】。味わい深い言葉だと思いました。私たちは「クリミヤの天使」がいてほしいと思いますし、「ランプの貴婦人」がいてほしいと思います。私たちはしるしやえらい人や大きな出来事を求めます。しかしナイチンゲールはそうではなくて、【少数者による静かな着手、地味な労苦、黙々と、そして徐々に向上しようとする努力】が大切なのだと言いました。
今日の聖書の箇所は「イエスは命のパン」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書6章22-24節にはこうあります。【その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た】。
イエスさまは5千人に食べ物を与えられたあと、ひとりで山に退かれました。弟子たちは舟に乗って向こう岸のカファルナウムに出かけました。強い風が吹いて湖が荒れ始めたとき、イエスさまが湖の上を歩いて舟に近づいて来られました。そして弟子たちがイエスさまを舟に招き入れたあと、ほどなくして舟は目指す地であったカファルナウムに着きました。群衆は弟子たちもイエスさまもおられないことに気がつくと、小舟にのり、イエスさまを探し求めてカファルナウムにやってきました。
ヨハネによる福音書6章25-27節にはこうあります。【そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」】。
群衆はカファルナウムでイエスさまを見つけました。群衆はイエスさまに「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と尋ねます。群衆はイエスさまが山に退かれたのは見ていたのですが、弟子たちとイエスさまが一緒に舟に乗ったわけでもありません。またイエスさまが一人で舟に乗ってカファルナウムに出かけたわけでもありません。ですからとても不思議であったわけです。群衆は五千人に食べ物を与えるというイエスさまの奇跡を見たわけですから、イエスさまが何か不思議なしるしを行なうことを期待しているのです。
イエスさまは群衆に「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言われました。イエスさまは以前、病気の息子をもつ役人にこう言っておられます。にはこうあります。【イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。】(ヨハネによる福音書4章48節)。しるしや不思議な業でもって、イエスさまのことを追い求めるのはいいことではないと、イエスさまは言っておられます。今日の箇所では「しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言っておられます。
食べるということはなかなか切実なことです。「何を着ようか、何を食べようかと思い煩うな」とイエスさまは言われましたが、しかしそれでもまあ食べるということはとても大切なことです。群衆がしるしではなく、パンを食べて満腹したから、イエスさまを探しているということについて、イエスさまはとても怒っておられるということでもないでしょう。そんなことで怒られるのであれば、たぶん五千人に食べ物を与えるというような奇跡はなさらないでしょう。「パンを食べて満腹したから」イエスさまのところにやってやってくるというのは悪いことではありません。ただイエスさまは食べ物のためだけに生きるのではなく、ほかにしなければならないことがあるということを、集って来た人々に告げられたのでした。
【朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である】。永遠の命に至る食べ物とはいったいなんでしょうか。それはヨハネによる福音書6章35節に書かれてあります。【イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない】とあります。永遠の命に至る食べ物は、主イエス・キリストを信じることです。
主イエス・キリストは私たちに五千人の食べ物を与えるという奇跡を通して、いのちは天から恵みとして与えられているものであり、食べ物はわかちあうものであることをお示しになられました。そして主イエス・キリストは人々が助け合って、共に分かち合って生きていくことを、世の人々に示されました。【朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である】。イエスさまは朽ちるものではなく、永遠なるものにつながって歩みなさいと言われました。
フローレンス・ナイチンゲールは上流階級の暮らしを望みませんでした。それは何も生み出さない朽ちる食べ物のような生活であったからでしょう。そうではなくナイチンゲールは、永遠の命につながる働きがしたかったのだと思います。「くだらないことがらに時間をむだに使うのではなく、私はなにかきちんとした職業とか、価値ある仕事がしたくてたまらなかった」。
環境破壊もテロも食糧も金融も労働条件もボーダレスの世にあって、私たちはもう一度、自分たちの生き方を考えなければならないときに来ているような気がします。イエスさまは【朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい】と言われました。私たちは神さまの御前にしっかりと生きるということを大切にしたいと思います。人頼みにしたてしるしを求めたりするのではなく、自分が小さいことでもいいから、しっかりとそのことを神さまの前に大切にして生きるということです。
「御国がきますように」と祈りながら、小さな良き業に励みたいと思います。神さまから託されている小さなわざを誠実にコツコツと行なっていきたいと思います。神さまは私たちの歩みを見守り、祝福してくださっています。
(2024年7月21日平安教会朝礼拝)
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