「あなたがすべてをご存じです」
日時場所 2025年8月11日平安教会朝礼拝・きてみてれいはい
聖書箇所 ヨハネによる福音書21章15ー19節。470/493。
わたしが初めて教会で働き始めたのは、岡山教会という教会でした。そこで牧師になる前の伝道師という仕事をしていました。岡山教会での思い出と言いますと、わたしはわたしが教会でしたいろいろな失敗を思い出します。いろいろとご迷惑をおかけいたしました。まあもう35年も昔のことですので、昔話になっています。
むかし、むかしのことじゃった。それは小笠原牧師が、岡山教会で伝道師をしておったときのことじゃった。小笠原牧師は、その教会でいろいろな印刷物をつくっておったそうな・・・・・。教会では週報とか月予定表とか、行事の案内とか、その他いろいろ印刷物を作ります。そのときは、伝道所の週報というのもつくっていました。なかなかたいへんでした。そうした印刷物というものは、ワープロで打ち込んで、そのあと一生懸命に、間違いがないか探すわけです。これがなかなか大変です。自分がつくった印刷物というのは、意外に誤りが見つかりません。だいたい私たちはひとの間違いを探すのはとてもうまいのですが、自分の間違いを探すのは得意でないからです。わたしはよく印刷物が間違っていて、怒られていました。男の人に、「姉」とつけたり、集会の日時や曜日が違っていたり、集会の時間が間違っていたり、人の名前が間違っていたりするわけです。そうすると、いろいろと言われるわけです。言われてあたりまえですけど。「小笠原伝道師は印刷物の間違いが多すぎる」。
たしかに多いのです。まあ男の人に、「姉」と付いていたら、その人は怒るかも知れませんが、まあそれでも特別おおごとにはならないのです。しかし集会の日時や時間が違っていたら、これはたいへんなことになります。「今日は祈祷会だれもこんなー」と思っていると、1時間、時間を間違えて週報に書いていたりしました。まあそんなこんなで、いろいろとご迷惑をかけていたわけです。ほんとうに申し訳ないことでした。そんなことが毎週のように続いたことがありました。こちらとしては一生懸命に間違いを探しているわけですが、それでも、印刷物には間違いがでてしまうのです。それでひどく怒られたり、苦情が殺到したりしました。
「これではだめだ」と思って、その次の週。ワープロの原稿を念入りに調べました。そしてこれで間違いがないだろうと思って、原稿を印刷機にかけ印刷しました。やっとできあがったと思って、ひょいと目を印刷物に目を通すと、間違いがあるのです。だいたい間違いというのは、原稿の段階で見つかるのではなく、印刷の直後に間違いがあるのがわかることが多いのです。たいした間違いではありませんでした。しかしこのところ印刷物の間違いが続いていました。「ありゃー、どうしよう」。もう200枚ほど印刷してしまっています。あたりを見回しました。だれも見ていない。しかたない。この200枚は没にして、また刷り直そう。急いで、わたしは間違いを直して印刷物をすり直しました。しかし間違った印刷物をこのままこの部屋に置いていると、「小笠原伝道師が、また間違った」とわかってしまいます。そこでわたしは自分のかばんをもってきて、証拠隠滅を謀りました。
200枚の印刷物というと、なかなか厚みがあります。それを無理矢理にカバンに押し込んで、ぱんぱんになったカバンを抱えて、事務室から出てきたときに、主任牧師に会いました。「小笠原、なんか重そうなカバンだね」。わたしは「はー、いろいろと本とか入ってますので」と言いながら、そそくさと事務室をあとにしました。「そんなこんなで、小笠原さんの家には、メモ用紙がいつもいっぱいありました。めでたしめでたし」。ではなくて、200枚の印刷物というと、メモにするには多すぎます。それでわたしはパソコンで試しに印刷するときに使っていました。試し印刷をするとき、いつもその紙を見ながら、思い出すのです。「ああ、これは、わたしが印刷を間違えて、こそこそと持ち帰った印刷物じゃないか」。それでその「紙」を見るたびに、毎回反省するわけです。「わたしが悪かった。わたしが悪かった」。「人は知らないけど、この紙は知っている」。「人は知らないけど、神は知っている」。「人は知らないけど、神さまはご存じだ」。おあとがよろしいようで・・・。まあ、かと言って、その後、印刷物の間違いがなくなったのかというと、やっぱりよく間違えていました。
そのほかにもいろいろと失敗をしました。失敗をして怒られることもありますが、またかばってもらえることもあります。わたしが失敗をしたときに怒った人が、また別の失敗をわたしがしたときに、かばってくれたりします。とてもありがたいことだと思いますし、教会はこうした温かさのなかで生き生きと息づいているということを知らされたりしました。
こんなわたしが牧師をしていられるのも、キリスト教が失敗者の宗教だからです。キリスト教の大きな特色は、それは失敗者が、イエス・キリストを宣べ伝えたということでした。イエスさまの弟子たちはみな、イエスさまを裏切りました。なかでも使徒ペトロはそうでした。しかしそのペトロが初期のキリスト教で、大切な働きをしました。ペトロは、初期の教会のかしらとして用いられたのです。
ふつう公的な書物には、失敗したことはあまり出てきません。岡山教会の創立120周年記念誌を、ひさしぶりに読みました。するとわたしについてのことも書かれてあります。23頁に書かれてありました。「牧会最初の経験ー山崎伝道所にてー」。そこで、わたしは伝道所の活動を支える若々しい伝道者として書かれています。だれがこんなふうにいいように書いてくれているのかと、名前を見ると、わたしでした。写真も載せてくださっていて、とてもこの好青年が、印刷物の間違いの多いとんでもない伝道師で、その失敗を隠した卑怯な伝道師には見えません。わたし自身、せっかくの記念誌なので、やっぱり自分のした失敗を載せるよりも、すこしは働いたということを載せたかったのでしょう。自分で言うのもおかしいですが、まあそれが人情というものです。しかし聖書は違います。いろいろな人が失敗したことがのっています。旧約聖書もそうですし、新約聖書もそうです。りっぱな人たちのことがのっているのではなく、いろいろな人の失敗がのっています。それはキリスト教が失敗者の宗教だからです。
今日の聖書の箇所で、イエスさまからペトロは【「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」】というふうに言われました。そしてペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」というふうに答えています。ここで大切なことは、ペトロが自分の判断で、イエスさまを愛しているということを証明しようとしているのではないということです。ペトロは「あなたがご存じです」と言い、イエスさまにその判断を委ねています。「わたしの愛の深さは、海よりも深い」というふうに、自分はこんなにもイエスさまを愛しているということを述べません。ペトロはイエスさまにその判断を委ねているのです。
そのあと、イエスさまはまた、ペテロに同じ質問をします。そしてペトロも同じ答えをして、イエスさまから一度目と同じように「わたしの羊の世話をしなさい」と命じられます。
そして、そのあと、またペトロに「わたしを愛しているか」という同じ質問をします。それに対して、ペトロは心を痛めます。ペトロが心を痛めたのにはわけがあります。それはイエスさまが十字架にかけられるまえに、ペトロがイエスさまのことを三度知らないと答えたことに関係しています。
ペトロがイエスさまから「わたしのことを三度知らないと言うであろう」と言われる話は、ヨハネによる福音書13章36ー38節にあります。新約聖書の196頁です。またじっさいにそのように行ったことが述べられるのは、ヨハネによる福音書18章15ー18節と、18章25ー27節です。新約聖書の204,205頁です。
ペトロは自分がイエスさまのことを知らないと三度言ったことを、イエスさまから「わたしを愛しているか」と三度尋ねられたことによって思い起したのです。ペトロはイエスさまが十字架につけられるときに、イエスさまから逃げ、そしてイエスさまのことを知らないと三度言ったのです。そのことを思い出して、ペトロの心は痛んだのでした。
イエスさまがペトロに対して、三度「わたしを愛しているか」という質問をするという、今日の箇所は、ペトロにとってとてもつらい話であるというふうに、わたしは思います。イエスさまはペトロに対して、ここまでしなくてもいいのではないかというふうに思ってしまいます。
しかしイエスさまがペトロの裏切りに触れることなしには、ペトロはやはりほんとうの意味で、イエスさまに従っていくことはできなかっただろうと思います。イエスさまから過去の触れられたくない出来事を思い出させる、三度の「わたしを愛しているか」という質問をされることによって、ほんとうの意味で、ペトロは心の傷がいやされたのだと思います。イエスさまは、ペトロがイエスさまを裏切ったという出来事に対して、ペトロを直接しかるということをなさいませんでした。しかるのではなく、ペトロ自身にそのことをしっかりと心に刻みながら、これからの歩みをするようにと促されたのでした。
キリスト教は失格者が広めた宗教であります。私たちの世の中、とくに日本の社会では、ふつう失敗というものが許されません。受験に失敗するとか、会社で失敗するということは、すぐに評価に跳ね返ってきます。しかし初期のキリスト教はそうではなく、失敗した者が許されることによって、宣べ伝えられたものでした。イエスさまを三度知らないと言ったペトロは、ふつう私たちの社会では通用しないだろうと思います。生半可な失敗でなく、ペトロが犯した失敗というのは徹底した失敗であり、とりかえしのつかない失敗であるからです。私たちの社会の常識ですと、ペトロは一生そのことを気にしながら、キリスト教とは関係のないところで生きていくということを余儀なくされるというのがふつうです。しかしイエスさまは、ペトロを信頼できない失格者として退けられたのではなく、彼をゆるし、新しい告白へと導き、ペトロに新しい力を与えられたのでした。
ペトロはイエスさまによって許されたとき、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われています。ペトロは許されたとき、イエスさまによって与えられた仕事は、もっとも大切な仕事でありました。ふつうは失敗した後に与えられる仕事というのは、「とりあえずこの仕事をやってみろ。その様子と頃合をみて、ほかの重要な仕事に参加させるから」というのが、私たちの世の中です。しかしイエスさまはそうではなく、ペトロを許し、そしていちばん重要な仕事をペトロに命じられたのでした。
イエスさまによって許され、そして同時に大きな役割を命じられたことによって、ペトロは新しく生きる決心ができたと思います。それは自分の力を信じて生きていくのではなく、神さまに委ねて生きていくと生き方です。それは「神さま、あなたは何もかもご存じです」という生き方です。すべてを知っておられる神さまにすべてを委ねて歩んでいくということです。「わたしが知っている」ということが大切なのではなく、「神さまがすべてを知っておられる」ということが大切なのです。自分の失敗を他人が知っており、蔑んでいるということが大切なのではないのです。神さまが知っておられ、神さまが許してくださるということが大切なのです。
神さまが私たちの罪を知っておられるのと同時に、私たちの悲しみや苦しみをも知っておられるのです。私たちにとって、それは大きな希望です。神さまは私たちの苦しみや悲しみを知っておられるのです。神さまは私たちを裁くためにおられるのではなく、私たちの悲しみや苦しみを知り、その悲しみや苦しみを共にしてくださるかたなのです。私たちは私たちの罪をすべて知っておられ、また私たちの悩みや苦しみや悲しみをすべて知っておられる神さまに自らを委ねることが大切なのです。
神さまは私たちを大きな愛で包み込んでくださり、私たちの嘆きや悲しみをいやしてくださるのです。すべてを知っていてくださる神さまの、大いなる赦しと、祝福の中に、私たちは生かされています。このことに希望を置いて歩んでいきましょう。
(2025年8月11日平安教会朝礼拝)
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