「これからは、もう罪を犯してはならない」
聖書箇所 ヨハネ8:3-11。510/514。
日時場所 2024年8月18日平安教会朝礼拝
アジア・太平洋戦争において民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦は沖縄戦です。沖縄戦の日本側の死亡者は約19万人で、そのうち沖縄の住民は9万4000人だと言われています。日本軍にとって沖縄戦は本土防衛を考える上で、戦略的に重要な位置づけの戦いでした。またアメリカ軍にとっても今後の世界戦略にとって、とても重要な根拠地でありました。そのため沖縄戦は熾烈を極め、また戦後沖縄はアメリカ軍の管理下におかれることになります。そしていまも沖縄にはたくさんのアメリカ軍の基地があります。また沖縄の辺野古に新基地を日本政府は作ろうとしています。
沖縄には「チュニ クルサッテー ニンダーリーシガ チュクルチェー ニンダラン」、「他人に痛めつけられても眠ることはできるけれども、他人を痛めつけたら眠ることはできない」ということわざがあります。「チュニ クルサッテー ニンダーリーシガ チュクルチェー ニンダラン」、「他人に痛めつけられても眠ることはできるけれども、他人を痛めつけたら眠ることはできない」。ですから自分たちの苦しみの原因である基地を、他の県に移したらいいというふうにはなかなか言えないのです。こうした沖縄のやさしいこころを踏みにじるような形で、本土の私たちは沖縄に基地を押しつけてきました。そしてまた辺野古に新基地という重荷を負わせようとしています。
ある事柄について反省する場合、同じことを二度としないということが大切です。しかし日本の本土の沖縄に対する態度のように、何度も何度も同じことを繰り返してしまうということがあります。染み付いた体質というようなことがあるのでしょうか。しかしなんとかしてそうしたものから解き放たれて、新しく歩み直すということが大切です。
わたしは京都教区の沖縄「合同」特設委員会の委員長をしています。この委員会では2年に一度、沖縄へ現地研修に出かけます。2月の17日から20日にかけて行われます。みなさんのなかにも一緒に沖縄にいって研修のときをもちたいと思う方がおられましたら、ぜひわたしにお声をかけてくださればと思います。
今日の聖書の箇所は「わたしもあなたを罪に定めない」という表題のついた聖書の箇所の一部です。この話はヨハネによる福音書にだけ出てくる話です。〔〕がついているので、この話は後代の付加であると言われています。
ヨハネによる福音書8章3−6節にはこうあります。【そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。】。
律法学者たちやファリサイ派の人々が、イエスさまのところに女の人を連れてきました。この人は姦淫の現場で捕まった人でした。男の方はどこにいってしまったのだろうという疑問もわきますが、とにかく連れてこられたのは女の人でした。モーセの十戒にも【姦淫してはならない】(出エジプト記20章14節)とあります。この女性は姦通をしているときに捕まったのですから、現行犯逮捕であるわけです。なかなか言い逃れできそうにありません。律法学者たちは姦淫をした女の人をイエスのところに連れてきたら,イエスは「許してあげなさい」というだろうと思っていました。そしてそのことでイエスさまを訴えようと思っていました。しかしイエスさまはかがみ込んで、指で地面に何か書き始められました。イエスさまは律法学者たちを無視したわけです。(イエスさまが地面に何を書かれたのかということも、気になることですが、聖書には何も記されてありません)。
ヨハネによる福音書8章7−9節にはこうあります。【しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。】
イエスさまは律法学者たちを無視していたのですが、彼らはしつこくイエスさまに問いかけてきました。そこでイエスさまは彼らに「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。そしてまたイエスさまは身をかがめて地面に何かを書き続けられました。律法学者たちやファリサイ派の人々がうるさいのに対して、イエスさまは静かです。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と、一言、言われただけでした。人は自分の側に正義があると思えるとき、うるさく騒ぎ立てます。しかしイエスさま静かでした。ただ一言、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。この静かな一言がよかったのでしょうか、年長者から始まって、一人また一人と立ち去っていきました。
この「年長者から始まって」というところがいいところですね。日本でも戦争を知らない政治家たちが、威勢のいいことを言ったりします。しかし保守的であると言われていた年長の政治家の人たちが、「戦争を賛美するようなことを言っていけない」と言ったりします。実際に戦争や戦後を経験した政治家たちは、それでもやはり戦争でどれだけ人々が苦しみ悲しみ、みじめであったかということを見ているからでしょう。
ヨハネによる福音書8章10-11節にはこうあります。【イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕】。
幸いなことに、姦通の罪を犯した女性を裁いていた人々はみんないなくなってしまいました。人を裁くということは、自分が裁かれるということでもあります。イエスさまは【人を裁くな】と言われ、【あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる】(マタイ7章2節)と言っておられます。「まあそれではだれが人を裁くことができるんだ」ということもありますけれども、ただやはり人を裁くということは自分に返ってくることであり、誠実に裁かなければならないということです。
姦通の罪を犯した女性の周りには、この女性を裁く人がいなくなったわけですが、しかしだからと言ってこの女性がしたことが消えてなくなるということでもありません。罪は罪として残っているわけです。まして周りにいた人々は、彼ら自身の罪に向き合って、彼女を裁くことなく去って行ったのです。自分だけ「裁かれなくて、よかった」というわけにはいきません。この女性も悔い改めて、新しく歩み始めなければなりません。そんな女の人に対して、イエスさまは言われました。【「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】。
罪を悔いるということは、新しく生き直すということです。同じ過ちを犯さないようにするということです。そこには心からの決意が必要です。まあこれがなかなかむつかしいわけです。
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)という本の中に「ラク町のお時」という話が出てきます。敗戦後に生活のために身を売るしかなかった女の人の話です。
【もうひとつは、『毎日新聞』にこの投書がのった一九四六年九月と、『星の流れに』が発売された一九四七年一〇月の中間に、NHKが一九歳の街娼(がいしょう)とのインタビューを放送して聴衆にショックをあたえたことである。《このインタビューは売春という裏の社会について、それまでとは違う見方を提供した。一九四七年四月、隠しマイクで録音されたインタビューで、「ラク町のお時」ー街娼が多かった有楽町のお時ーという名前で紹介された彼女は、その界隈の娼婦たちのあねご株という話であった。インタビューした男性アナウンサーは、彼女を目に浮かぶような言葉で紹介した。背が高く、顔立ちは端正で、水兵風の濃紺のズボンと薄紫のセーターを身につけ、髪は黄色のバンドで流行風に束ねている。顔はとても美しく、肌は透き通るように白く、眉毛は濃く、唇は真赤に塗っている。しかし話をすると、やくざのような口元を曲げて話す感心できない癖があった。当時のおときの写真は、その唇のゆがみをとらえている。おときの言葉は、彼女の外見よりもさらに強烈な印象を与えた》。
そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もないワタシたちはどうして生きていけばいいの・・・・・好きでサ、こんな商売している人なんて何人もいないのヨ・・・・・それなのに、苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は、アイツはパン助だって指さすじゃないの。ワタシは今までに何人も、ここの娘をカタギにして送り出してやったわヨ。それが・・・・・みんな(涙声になる)いじめられ追い立てられて、またこのガード下に戻ってくるじゃないの・・・・・世間なんて、いいかげん、ワタシたちを馬鹿にしてるわヨ・・・・・
この放送から九ヶ月たったころ、インタビューした男性は、お時から一通の手紙を受け取った。それは堕落と救済の完璧な物語のようであった。その手紙には、ラジオから流れる自分の声を聴いて私はショックをうけました。その声はまるで「悪魔のよう」で、それがきっかけで私は通りに立つのをやめて職をみつけました。世間の風はやはり冷たく、しょっちゅう挫けそうになるけれど、がんばろうと思っていますと書いてあった】(P139)(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』、岩波書店)(『「文藝春秋」にみる昭和史』第二巻、文藝春秋、1982年、59-62頁)。
《【それから九ヶ月、ボクは、お時さんのことを、忘れるともなく忘れていたが、その年の暮も押しせまった頃、西田時子という見知らぬ女性からの達筆の手紙をもらった。それは、思いがけぬお時さんからの便りであった。
ー女だてらに思い上がって、パン助たちに姐さんと呼ばせ親分と慕われて、いい気になっていた私は、何という馬鹿な女でしょう。あの晩、藤倉さんに威張ったように「らく町」の女を一人でも多く更生させるためには私自身がヤクザの足を洗い現実の社会に飛び込み、その苦しみを味わわなければと東京を去り、市川市のある会社に勤めました。ずいぶん堅い決心でカタギの生活に入りましたが、浮世の風は冷たく、決心も時にはくずれそうになります。そんな時、フイと思い出すのはあの晩の藤倉さんの言葉です。「あなたの力で一人でも多く、ここの娘たちを更生させて下さい・・・・・」これを思い返して私はまた心をかため、強くなろうとしておりますー。】(P.62)(藤倉修一「らく町お時の涙」『「文藝春秋」にみる昭和史』第二巻、文藝春秋)。
らく町のお時はラジオから聞こえてきた自分の声が、まるで悪魔のようであったことにショックを受けて、その道から足を洗うことにしました。そしてカタギの生活に戻ったけれども、世間は冷たく、決心も崩れそうになることもあった。しかしNHKの記者の「あなたの力で一人でも多く、ここの娘たちを更生させて下さい・・・・・」という言葉に励まされて、やっぱりしっかりと生きておこうと思い直したのでした。だめな自分に気がつき、新しく出直すことの尊さということがあります。
日本基督教団は1967年3月26日に、当時の日本基督教団総会議長の鈴木正久の名前で、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出しました。【「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります】。
8月6日の広島原爆記念日、8月9日の長崎原爆記念日を迎え、そして先週の木曜日に、8月15日の敗戦記念日を迎えました。姦通をした女の人に「これからは、もう罪を犯してはならない」と言われたイエスさまは、私たちにもまた「これからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。
戦後79年という月日がたち、戦争や平和をめぐる状況は、大きく変わりました。しかし以前として変わらないこともあります。戦争によって多くの人々が悲惨な目にあい、悲しみが憎しみをつくり出し、憎しみが暴力を生み、暴力が新たな憎しみを生み出していきます。
79年前に敗戦を経験した私たちは、「もう罪を犯してはならない」というイエスさまの言葉をしっかりとこころにとどめたいと思います。神さまの平和がきますようにと、お祈りいたしましょう。
(2024年8月18日平安教会朝礼拝)
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