2025年1月18日土曜日

12月29日平安教会礼拝説教要旨(山下毅牧師)「新しい生き方としてのクリスマス」

「新しい生き方としてのクリスマス」    山下 毅牧師

マタイによる福音書第2章1節—12節、ヨハネの黙示録22章16節


朝祷会のメンバーの中に、京都大学医学部教授の高橋裕子先生がおいでになります。先生の手記によりますと、復活されたイエス・キリストに会われたのです。「私は、2014年2月3日、——あなたに、命を与え、60年間育ててきたのは私である。私はあなたを医者にして、今の立場を与えた。私はあなたを私の計画に用いる。だから、私に従いなさい」という声を、体の中に爆発したように言葉が入ってきたのです。——今までクリスチャンでなかった高橋先生は、それから本当に熱心なキリスト者になり、現在活躍しておられます。

私は毎週高橋先生にお会いし、祈りを共にさせていただいている中で、復活されたイエス・キリストは私どもと共に生きておられると、本当に確信するようになりました。

クリスマスには二つの意味があります。一つはイエス・キリストが馬小屋で生まれ、学者達が東方から来た、神さまの愛の「しるし」として、見えない愛が、見える形として現れました。

もう一つはヨハネの黙示録の中でイエス自ら「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」と証しされ、復活された、イエス・キリストが私たちと共に生きていると言われます。

第一の視点では、ユダヤ人にとっては、敵国であり、占い師の学者達、星の導きを頼りに、本当の人生を求めて、イエス・キリストに出会う姿は、私たちが信仰を求め、荒野をさ迷う姿に似ています。イエス・キリストに出会い、喜びにあふれ、違う人間に変えられた私たちの姿を映しています。

第二視点では、ヨハネの黙示録の中で「わたしイエス」はというふうに、イエスご自身が今も生きていたもう、そしてなまの自己紹介を、わたしたち一人一人に語りかけておられるのです。「わたしイエスは、輝く明けの明星」と述べられるのです。 そこには暗い夜が明けて朝がくるのです。

私たちの生き方は、「この世で勝利する生き方」自己中心、自己愛ではなく、「この世に勝利する生き方」に招かれています。神中心から始まり、地の塩、世の光、存在そのものに価値を見出し、成長への希望、完成への喜びを見いだす生き方です。キリストの復活は、私たちの生き方そのものを根本から変えてくださり、たえず祈りへと導いてくださいます。


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