2025年5月28日水曜日

4月13日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「イエスさまの御国で生きる」

「イエスさまの御国で生きる」

聖書箇所 ヨハネ18:28-40。307/305。

日時場所 2025年4月13日平安教会朝礼拝・棕櫚の主日礼拝


平安教会は新島襄ゆかりの教会です。新島襄は群馬県の安中藩士でしたが、蘭学を学び、洋船の航海術を身につけるうちに、先進西欧諸国の動向に興味をもちます。そして函館から国外に脱出し、アメリカに渡りました。1864年のことです。1867年に「大政奉還」が行われ、明治が始まります。新島襄は、アメリカで熱心な会衆派信徒であり、米国伝道会社(アメリカンボード)の有力者であったハーディの助力を得て、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校で学びました。

5月に京都教区の定期総会が平安教会で開かれます。京都伝道150年ということで、そのときに米国伝道会社(アメリカンボード)の関連の方が来てくださり、共に礼拝を守ることになっています。歴史を感じますね。

新島はうまく船にのり、日本からアメリカに亡命したわけですが、頼る人はありません。そして英語もうまく話すことができませんでした。船の上で、ひとりの水夫が新島に問いかけました。「おまえさんここで何をしているんだ。どうしてまたこんなところにやって来たのかね」「教育を受けたいと思って」と、新島は答えました。「だけど、この国で学校教育を受けるには、どえらい金がかかるが、おまえさんお金はどこから手に入れるつもりかねえ」。「わかりません」、新島は単純に答えました。そしてだれもいないところで、新島はひざまづき、単純な信仰でありましたが、神さまにむかって祈りをささげました。「どうかわたしの抱いている大きな願いが、空しいものになってしまうことがありませんように・・・」。

新島がのっていた船の船長であったテイラーは、新島の話を船主であったハーディーにしました。彼はとにかく本人にあってみようと、妻と共に波止場にやってきました。しかし新島の片言の英語は、船の中ではやくにたちましたが、彼らには通じませんでした。そこで、ハーディー夫妻は、新島に自分の経歴、日本密出国の動機、これから先どうしようとしているのかを文章にして提出させることにしました。そのために新島を船員会館に連れていって、そこに宿泊させ、執筆のための時間を与えました。そこで新島は必死になって長文の手記を書きました。

新島は、Why I escaped Japan ? (なぜわたしは日本を脱出したのか)という長い手記を書きました。たどたどしい英語を駆使して、一生懸命に書いたことだろうと思います。できあがったこの手記には、新島がどんなに神さまのことを勉強したいかということがせつせつと書かれてありました。この手記が、ハーディー夫妻のところに届けられます。ハーディー夫妻はこの手記を読んで心を動かされます。ハーディー夫妻は、新島がはるばる日本から誰も頼るものがないのに、神さまのことを学びにやってきたということに感動したのです。新島は真剣に「真理とは何であるのか」ということを考えて、そして一生懸命に生きていたのです。そのことにハーディー夫妻は胸をうたれたのでした。

ハーディー夫妻は、はじめテイラー船長から新島の話をきいていたとき、「まあ家において家の手伝いなどをさせよう」というようなくらいに考えていたのです。しかしその考えを改めて、アンドーバーのフィリップス・アカデミーという名門と言われる私立学校に入れました。新島襄は当時のいわゆる偉人と言われる人々などと比べてみて、とてもラッキーな人でありました。しかしその真理を一生懸命に求める姿勢が新島になければ、やはりみんな新島を相手にはしなかっただろうと思います。新島には人を動かすほどの真理に対する真剣さがあったのです。そしてその真理に対する真剣さに多くの人々がうたれ、彼を援助してくれたのでした。

今日の聖書の箇所は、「ピラトから尋問される」という表題のついている聖書の箇所です。イエスさまは総督ピラトのもとに連れてこられて、尋問を受けられました。今日の聖書の箇所は、イエス・キリストの真理に対する誠実さと、総督ピラトのいいかげんさが明らかになる箇所です。イエスさまはカイアファのところでの尋問のあと、総督ピラトの官邸に連れていかれます。

あまりにユダヤ人たちがうるさいので、ピラトはイエスさまを尋問することにします。ピラトはイエスさまに対して「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問します。ピラトはイエスさまが、ユダヤ人たちが言うように、ユダヤ人の王としてローマ帝国に反乱を起こそうとしているとは思っていません。ユダヤ人たちがうるさいから形式的に尋問を行っているにすぎないのです。この問題に関して、ピラトはどうでもいいのです。

イエスさまは、「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と言われました。しかしこうしたイエスさまの言葉も、ピラトには青くさい説教にしか聞えません。ピラトはイエスさまに「真理とは何か」というふうにつぶやきます。

ピラトにとってイエスさまの裁判は、ふってわいた面倒な事件です。ユダヤ人の内輪のもめ事なのだから、ユダヤ人同志で解決してほしいというふうに、何度もピラトは言います。ピラトにとって大切なことは、自分の治めているユダヤが安定していることです。できるだけ不穏な動きがないほうがいい。なるべく事件などが起こらないように、うまく支配するというのが、ピラトに課せられた使命です。そしてそのように行うことによって、ローマ帝国の中央からのピラトに対する評価が、高くなるわけです。ですからピラトは群衆をなだめるような提案をしてみたり、それがだめであるなら群衆の意にそうようにしてやったりします。そこではイエスさまに罪があるかどうかなどということは、関係がないのです。無実であることがわかっていても、イエスを解放することで騒ぎが起きるのであれば、イエスを解放することはしないのです。ピラトにとってみれば、イエスなどは群衆やユダヤの指導者との取り引きのための道具でしかないのです。

政治の世界にまみれているピラトにとっては、本当に正しいことが何であるのかということなど、どうでもいいことでした。ピラトはイエスさまに対して「真理とは何か」というふうにつぶやきました。それはイエスさまに「真理とは何か」ということを尋ねているのではありません。ピラトは「真理などというものがあるのか」というふうにつぶやいているのです。ピラトにとって、本当に正しいことが何であるのかということは、どうでもいいことでした。そしてもう一歩進めて、ピラトは「真理などというものが、そもそもあるのか。そんなものはありはしない」というふうに言っているのです。そして真理がどうのこうの言っているイエスさまに対して、「おまえは本当にそんなことを信じているのか」というふうに言っているのです。

「真理などあるのか」というピラトのつぶやきは、ある意味で正当なものであると思います。ピラトのまわりを見回しても、たしかに真理などと呼べるものはないからです。あくどいことをしても、権力を握ってしまえばこっちのものという政治の世界において、真理などあるはずはありません。しかしピラトの周りだけでなく、イエスさまの周りにも、真理などないように見えます。勝手に律法を解釈して、人々を苦しめている律法学者たちやファリサイ派の人たち、権力者にすぐに扇動されてしまう群衆たち、イエスさまを信じるといいながら裏切っていくイエスさまの弟子たち。イエスさまの周りにも、やはり真理などないように思えます。だれも真理など求めていない。私たち自身のことを振り返ったときも、同じような気がします。私たちもやはりピラトのように「真理などあるのか」というふうにつぶやいてしまうことがあります。私たちはいくら正しいことを言っていても、だれからも認められなかったりします。そんなとき、真理などよりも武力や政治力のほうが結局頼りになるというふうに思ってします。そして「真理などあるのか」とつぶやいてしまいます。

しかしこの絶望の中にあっても、イエスさまは真理を求めることの力強さを示しておられます。いまどんなに絶望の中にあっても、必ず真理につく者が出てくる。そしてイエスさまの言葉にしっかりと耳を傾ける者が出てくることを、イエスさまは確信しておられます。イエスさまが希望を失うことがなかったのは、それはイエスさまが真理に依り頼んでいたからでした。イエスさまが武力や権力に頼っていたのであれば、捕えられたときに、イエスさまは失望するしかありませんでした。武力や権力はかならず崩れさって行くものです。しかし真理に依り頼んでいる限り、神さまはイエスさまを見捨てられることはなく、かならず守ってくださることを、イエスさまは知っておられたのです。イエスさまは自分がこの世に属するのではなく、ほかの国に属していると言っておられます。イエスさまは神さまの国に属しておられるのです。そこでは武力や権力によって支配されているのではありません。イエスさまの御国は真理が満ちている国なのです。

はじめにお話ししました新島襄を支えたのは、権力でも政治力でも武力でもありませんでした。英語も満足に話せない日本人を援助することなど、現実としてみれば、望みのないことです。しかし新島襄が真剣に真理を求め、神さまのことを学びたいという願いに感動して、援助してくれる人々がいたのです。新島襄はアメリカから帰国して、同志社大学をつくりました。そして私たちの教会である平安教会も建てられたのです。

私たちはこの世でなんとなくあきらめるのではなく、やはり「真理とは何か」「神さまのみ旨とは何なのか」と、真剣に問うていくことが大切なのです。そしてこの世ではなく、真理に満ちたイエスさまの御国で生きようと望むことが大切なのです。

今日は棕櫚の主日です。私たちの主イエス・キリストは、子ろばにのって、エルサレムにやってこられました。ヨハネによる福音書12章12-15節にはこうあります。【その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」】。イエスさまは軍馬にのって、エルサレムにやってこられたのではありませんでした。イエスさまは子ろばにのって、私たちのところにやってきてくださったのです。

棕櫚の主日から、受難週に入ります。子ろばにのって、私たちのところにやってきてくださったイエスさま。そして弟子たちから裏切られ、人々から蔑まれ、嘲られながら、私たちの罪のために、十字架についてくださったイエスさま。イエスさまの御苦しみを覚えながら、私たちも力ではなく信仰によって生きる神さまのみ国に生きる者でありたいと思います。



(2025年4月13日平安教会朝礼拝・棕櫚の主日礼拝)



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