「母の願いをこえて」
聖書箇所 マタイ20章20−28節。333/493。
日時場所 2025年5月11日平安教会朝礼拝・母の日礼拝・きてみてれいはい
5月の第二日曜日は母の日です。先日、同志社女子高等学校に朝の礼拝説教にいったときも、宗教部員のこどもが、「母の日のカーネーション」の話をしておられました。同志社女子中高では、「母の日礼拝」のときがあり、この日は生徒、教職員ともに、カーネーションの造花を身につけて1日を過ごすそうです。お母さんもうれしいでしょうね。
ちいさなこどもは自分のお世話をしてくれる人をたよりにして生きています。わたしの娘も小さい頃、母親をたよりにしていました。下の娘が保育園のときに、家族と保育園をつなぐ「おたよりノート」というのがありました。保育園でどのように過しているかを、ご家庭に知らせたりするわけです。
ある日のおたよりノートにはこう書かれてありました。【4/24 (今日のまなちゃん声がかれてかわいそうでしたね。お弁当も少し残しています)。お昼寝の時、他のお友達が泣いているのを見てつらくなったのか、「かあか、かあか、いる」と泣き出しました。だっこしたりトントンすると眠りました】。わたしはこれを読んで、なんで娘が「おとうと、いる」と言ってくれないんだと思いました。その夜、わたしは娘とお風呂に入ったときに、娘に言いました。「まな、保育園でお昼寝のときは、『とうと、いる』と言いながら寝るんやで。『とうと、いる』、わかった?。ゆうてみ」「おとうと、いる」「そうそう、とうと、いる、な」「とうと、いる」。そしてまたしつこく、夜、一緒に寝ながら、「まな、こうやって、保育園でねんねするときも、『かあか、かあか、いる』やない、『とうと、いる』ゆうんやで、わかった?」と教え込んだのですが、おたよりノートに【まなちゃん、『とうと、いる』と言いながら、眠りました】とは書かれることはありませんでした。やはり母をたよりにしているようでした。
今日は母の日なので、わたしの母の思い出の出来事をお話いたします。それは「石油ストーブ丸焼け事件」という出来事です。小学校の低学年くらいでしょうか、わたしはストーブが消えかけてきたので、ストーブに灯油を入れることにしました。当時はカートリッジのストーブではありませんでした。石油タンクをもてきて、ストーブの給油口をあけて、大きなスポイトのような、頭の赤いやつで入れようとしました。ストーブの火をちゃんと消してから、入れないといけないわけですが、たぶんだれかがものぐさなことをやっていたのを見ていたのでしょう。とんでもないやつです。わたしもまたストーブの火を消さないで、灯油を入れはじめました。赤いところを圧すと灯油がストーブに入ります。そしてそのときストーブの火がぼっと赤くなります。「おお、はいっとる、はいっとる」。はじめは順調に入っていたのですが、突然、給油口から灯油があふれ、飛び散りました。満杯になってしまっていたのです。給油口からあふれ飛び散った灯油は、ストーブの火にかかり、なんとストーブが燃えはじめました。わたしはこりゃたいへんなことになったと思って、ストーブの取っ手を消火の位置に回したのですが、ときすでに遅しです。ストーブはしだいに燃えていきます。「ああ、ああ、どうしよう」。よく見ると、灯油があふれ出てストーブの下の受け皿のようなところにたまっています。わたしは思いました。「おお、この下にあふれている灯油をなにかで吸い取ってしまえば、燃える灯油がなくなるのだから、消えるに違いない」。燃えるものがなくなれば、火は消える。まあなんと冷静な頭のいい少年です。わたしはティッシュをいっぱい持ってきて、あふれている灯油を吸い取ろうとしました。すると突然、わたしの手のなかのいっぱいのティッシュは火だるまになりました。わたしがびっくりして、「わあー」と大きな声をあげたとき、母ややってきて、「なにやっとるん。のきなさい」とわたしを叱りました。母は「のきなさい」と言いながら、ふとんをもってきて、火だるまになっているストーブをふとんでくるんで抱えて、家から庭に出しました。その途中で、ストーブのもえかすを足でふんずけて火傷をしてしまいました。まあしかし、それで事なきを得、消防車を呼ぶという大事にもなりませんでした。わたしは泣きながらずっと、燃えたストーブを見つめながら立っていると、父が自転車にのって仕事から帰ってきました。燃えたストーブと泣いているわたしをみて、父は笑いながら、「どうしたんや」と言ったのを覚えています。
わたしの母はそんなに大きな人ではなかったし、力持ちというような人でもありませんでした。しかしこのときの母は力強かったなあと、いまでも思います。そしてこども心に、母がいてくれて心強いなあと思いました。まあ「母はつよし」というところでしょうか。りっぱな母の思い出です。どうでもいいことですが、わたしはこの出来事以来、ストーブに灯油を入れるときは、かならず火を消してから入れることにしています。それは大人になった今日でも忘れない、わたしの幼き日の教訓です。まあもっとましなことを教訓として生きていくべきだなあとも思いますが・・・。
今日はわたしのりっぱな母の思い出をお話ししましたが、聖書にも、ある母親の物語があります。イエスさまのお弟子さんのヤコブとヨハネのお母さんのお話です。こういうお話です。イエスさまのお弟子さんのヤコブとヨハネのお母さんが、ヤコブとヨハネと一緒にイエスさまのところにやってきました。ヤコブとヨハネのお母さんが、なにか言いたそうなのに気がついたイエスさまが、「お母さん、どうしました?」と声をかけます。するとお母さんは「イエスさま、あなたがえらくなって、ユダヤの王様になったときは、わたしの息子のヤコブとヨハネを大臣にしてください」と言いました。するとイエスさまはお母さんに言いました。「お母さん、あなたはちょっと勘違いしてますよ。わたしがどんなになっても、あなたの息子さんたちは、わたしについてこられますか?」。そういうとヤコブとヨハネは「できます」と答えます。
ヤコブもヨハネもお母さんも、イエスさまがまさかこれから十字架につけられて殺されるとは思っていませんでした。イエスさまはこれからユダヤの王様になると考えていたのでした。でもイエスさまは自分が十字架につけられて殺されてしまい、お弟子さんたちもちりじりばらばらに逃げてしまうということを知っておられたのです。イエスさまは貧しい人々や悲しんでいる人々に慰めの言葉をかけ、そうした人々に仕える歩みをしておられました。しかしイエスさまのお弟子さんたちはみな、そのうちイエスさまは王様になられると思っていたのでした。それでイエスさまが十字架にかけられたときに、イエスさまを捨てて逃げてしまうのです。しかしそののち、弟子たちは(ヤコブやヨハネもそうですが)、悔い改めて、イエスさまのなさったことを宣べ伝えるようになりました。
ヤコブやヨハネのお母さんが勝手な願いをしたので、みんな怒りました。イエスさまが王様になったとき、じぶんこそ大臣にしてもらおうと思っていたからです。イエスさまのお弟子さんたちはみんな自分勝手です。なさけない人たちです。そうした弟子たちにイエスさまは言われました。【あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい】。わたしもみんなに仕える生き方をしているのだから、あなたたちもいばったり、えらくなりたいと思うのではなくて、人に仕える生き方をしてください。それが神さまが喜ばれる生き方ですよ。イエスさまはそんなふうに、お弟子さんたちに言われました。
ヤコブとヨハネのお母さんは「息子がえらい人になってほしい」と思って、イエスさまにお願いにいったわけです。【「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」】。まあなんとも身勝手なお願いです。皆さまはどう思われるでしょうか。わたしは若い頃、熱血漢でしたから、このお話を聞いて、「この、ヤコブとヨハネのお母さんは、なんちゅうやつや」と思いました。「それにこの、お母さんについていってもらって、イエスさまに頼んでもらうというヤコブやヨハネは、なんとも言えない、いやなやつだ」と思いました。
しかしわたしもまた人の親になると、このお母さんの気持ちがわかるような気がします。やはり親というのはこうした愚かさをもっているのです。「自分の子がかわいい。そのためには少々、勝手なことをしてでも・・・」という気持ちがあるのです。マタイによる福音書20章20節には、母親の微妙な気持ちがうかがわれます。【そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした】。お母さんはイエスさまのところに来て、すぐにお願いすることはできなかったのです。なかなか切り出すことができませんでした。それはお母さん自身も、身勝手なお願いだということを知っていたからです。「こんなお願いをするのは、本当は正しいことじゃないんだ」ということをお母さんは知っていたのです。しかし自分の子はかわいい。そしてやはり愚かな願いをイエスさまにするのです。ここに、わたしは「切ってすてられない母の愛がある」と思います。それは愚かな愛であったとしても、やはり切って捨てることのできない愛があると思うのです。
しかしこどもはそうした親の思いとは違った生き方をし始めます。ヤコブやヨハネは、イエスさまのところにお母さんと一緒にいって、お母さんに「この二人を大臣にしてください」とお願いしてもらうような人間でした。しかしイエスさまが十字架につけられ、三日目によみがえられたあと、イエスさまを宣べ伝える生き方をし始めます。彼らは十字架につけられた犯罪人の生き方を宣べ伝えました。人々の上にたつのではなく、人々に仕える生き方をし始めました。この生き方はたぶんヤコブやヨハネのお母さんが望んだ生き方ではなかったでしょう。「そんなことやめてくれたら・・・」とお母さんは思ったでしょう。しかしお母さんはまた自分のこどもたちを誇らしく思ったことでしょう。そしてこどもたちのために、神さまにお祈りしただろうと思います。「わたしの願いとは違ったけれども、この子たちが、自分の思いどおり、人々に仕え、あなたに仕えて生きていけますように」。
私たちは人間ですから、身勝手な思いで、人間的な思いをもつときがあります。「わが子がかわいい。わが子さえよければ・・・」。しかし神さまはヤコブやヨハネのお母さんの思いを越えて、人として確かな道へと、ヤコブやヨハネを導いてくださいました。
神さまは私たちを愛してくださり、私たちをよき歩みへと導いてくださいます。こころのなかに邪な思いをもつ私たちを、それでも愛してくださり、私たちの歩む道を整えてくださいます。その神さまの愛の中を安心して歩んでいきたいと思います。
(2025年5月11日平安教会朝礼拝・母の日礼拝・きてみてれいはい)
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