2025年11月29日土曜日

11月23日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「両手にもてるものだけにしなさい」

「両手にもてるものだけにしなさい」

聖書箇所 マルコ10:17-31。490/453

日時場所 2025年11月23日平安教会朝礼拝・収穫感謝日子どもの教会との合同礼拝


今日は収穫感謝日です。秋の実りを、神さまに感謝する日です。神さまから与えられた豊かな恵みは、ひとりじめするものではなく、みんなでわかちあうものであることを、覚えたいと思います。今日は子どもの教会との合同礼拝となっています。子どもの教会に子どもたちが来てくれるようにと、いつも子どもの教会のスタッフのみなさんは、9時10分から子どもの教会の礼拝を守っています。

わたしが新潟県三条市の三条教会にいたときに、教会員のおばあさんが、市に買い物に行ったときの話をしてくれました。市っていうのは道路に臨時の店が出ていて、いっぱい野菜や果物や魚が売っているところです。スーパーで買うより、ものすごく安くかえます。おばあさんは家から橋を渡って、市に買い物に行きました。市につくと、いっぱいいろんなものが安く売っています。そんなのを見ると、もううれしくなって、「これも買おう。あれも買おう。この魚も買おう。このスイカも買おう」って、いっぱいいっぱい買いました。そして市からの帰り道、いっぱい買ったものをもっていると、だんだんとしんどくなってきました。いっぱい、いっぱい、買ったから。ふうふう言いながら、汗をながしながら、両手にあまるような買い物を、必死でもって帰ったそうです。そんな話をおばあさんはわたしにしてくれて、「もう、帰り道の橋の上まで来たとき、もう、この橋の上から買った荷物全部なげすてようかと思いました」「でもまた、市に行ったら、同じように、買ってしまうんですよね。人間て、ばかですねえ」と笑いながら言っていました。

漫画家の西原理恵子(さいばら・りえこ)さんは「ぼくんち」っていうマンガを書いています。これが『ぼくんち』(西原理恵子、小学館)ですけど。なかなか教えられるマンガです。

このマンガには「鉄じい」というじいさんが出てきます。鉄じいは川原に小屋を建てて、しじみをとって生活しています。鉄でも銅でもカナモノなら何でも売り買いしてくれるので、鉄じいと言われています。


鉄じい「おお、これは見事な銅線じゃの。にいちゃんだいぶあぶない橋渡ったんとちがうか」。

二太 「なんか電線やから、あぶないとゆうよりしびれたゆうてたで」


鉄じいの小屋はびっくりするくらい何もない。

それはこの川がしょっちゅうおこる洪水で、小屋の何もかもが流れるからだ。


鉄じいはいつもぼくの持ってきた物はいい値でとってくれる。

ぼくは鉄じいが好きだから、きっと鉄じいもぼくが好きなんだと思う。


ざあああああああああ。


その晩の雨はちょっとちがってた。

ぼくが行った時はちょうど

鉄じいの小屋が川にのまれた時だった。


鉄じい「まあすわれや、二太。貧乏て ええと思うわんかー。こんな時ちょっとも困らんで。これが金持ちの家やったらえらいことや。なくすもんがありすぎると、人もやっておれん。両手で持てるもんだけで、よしとしとかんとな」


ぼくたち、私たちはよくばりですから、「あれもほしい。これもほしい」と思います。そんなことないですか。筆箱のなかに、いっぱいいっぱい色の違ったボールペンがあったりしない?。ですか。新しいゲームが出たら、いっぱいゲームをもっていても、新しいゲームがほしくてほしくてたまらなくなるということはないでしょうか。宝石などもそうですが、もっているけど、なんとなくまたほしくなるというようなことはないでしょうか。デパートですてきな服があったら、服いっぱい持っているのに、ほしくなったりしない?でしょうか。

鉄じいじゃないですが、やっぱり、「両手で持てるもんだけで、よしとしとかんとな」と思います。両手で持てるものだけをもって、あと持てない物は、みんなでわかちあうということが大切です。ぼくたち、私たちの住んでいる社会は、わかちあうってことが、あんまりうまくいっていない社会です。とっても多くのものをもっている人たちがいる一方、食べることもできない人たちがたくさんいます。とってもお金持ちの国と、とっても貧しい国があります。私たちが住んでいる日本という国は、そこそこお金持ちの国です。だからこそ、わかちあうということを、こころにおいて生活しなければなりません。

今日の聖書の箇所は、「金持ちの男」という表題のついている聖書の箇所です。イエスさまのところに、お金持ちの男の人がやってきました。そしてイエスさまに「永遠の命を得るためには、どうしたらいいでしょうか」と聞きました。永遠の命っていうと、すこしむつかしい気がしますが、まあ神さまから「あなたは神さまの国に入れてあげる」って言ってもらえるってことです。神さまから「あなたえらいね」って誉めてもらえるっていうようなことです。

イエスさまのそのお金持ちの男の人に、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬えという教えをしっているだろ。これを守りなさい」と言われました。するとこのお金持ちの男の人はなかなかすばらしい人で、「そういうことは子供の時から守っています」っていいました。そうするとイエスさまは男の人にこう言いました。「あなたに欠けているものが一つある」。一つしか欠けていないっていうんだから、すごいよねえ。「もうあと一つだけ守ることがある」と、イエスさまはお金持ちの男の人に言いました。いいですねえ。五つも六つも、あれもこれもそれも、あと守ることがあるっていうんだったら、大変だけど、このお金持ちの男の人はあと一つだけでした。そのお金持ちの男の人に、イエスさまは言われました。「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」。

お金持ちの男の人は、このイエスさまの言葉を聞いて、びっくりしました。男の人にはたくさんの財産があったので、「この財産を貧しい人にあげるなんてことはできない。これはおれのものなんだから」って思いました。そして、イエスさまの前から立ち去ってしまいました。それを見て、イエスさまは「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」って言われました。【その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。】って、聖書には書いてあります。「悲しみながら立ち去った」。ちょっと悲しい話ですよね。

ぼくたち、私たちのこころのなかにも、このお金持ちの男の人のようなこころがあります。「おれのものは、おれのもの。だからだれかとわけるなんて、いやだ」。そんな気持ち、私たちのなかにないですか。イエスさまは「おれのもの、おれのもの」っていう世界から、「みんなでわかちあおう」っていう世界にしたいよねって、思っておられました。

写真絵本『アフガニスタン 勇気と笑顔』(国土社)(写真・文、内堀たけし)という本をよみました。【働くこどもたち/「クルチャ」と呼ばれるクッキーを焼くこどもたち。アフガニスタンでは働くこどもたちの姿をよく見かけます。朝から晩まで一日中働き、休日もないのです。たとえ仕事場のとなりに学校ができたとしても誰ひとり学校へは通えません。こどもたちは何百キロも離れた村や難民キャンプにいる家族や姉妹の暮らしを支えているのです】。

この写真絵本をつくった内堀たけしさんは、最後に、アフガニスタンでであった3人の少女の話をしています。

【アフガニスタンとの出会い/

アフガニスタンから帰国するたびに、日本は豊かな国だなあと思わずにいられません。蛇口をひねるだけで簡単に出てくる水道水、駅のホームにはつぎつぎと滑るように列車が到着します。今でも戦火や貧困で苦しむアフガニスタンでは、どれひとつ見られない光景です。

遠くの井戸から、よたよたと重たい水を運ぶこども。雪の降る寒い日にも靴がなく、裸足の指先を丸めているこども。学校には通えず、靴みがきや自動車を洗う仕事をしなければ生きていけないこどもがいます。

 ある時、カブールの宿屋の食堂に10歳くらいの少女3人が、ちょこんと座っていました。実は外国の通信社の女性記者が少女たちを宿に呼んだのです。髪はボサボサ、服はつぎはぎだらけ、手の甲はカサカサになって真っ黒でしたが、3人とも可愛らしい顔立ちで、キラキラと輝く瞳の持ち主でした。

宿の主人が慌てて山盛りのフライドポテト3皿を少女の前にそれぞれ置きました。「さあさあ、食べなさい」と宿の主人は何度も少女にうながしましたが、3人は黙って皿を見つめるだけでした。静かになって時間が止まったようになった時、ひとりの少女が「これ、家へ持っていってもいいですか」と小さい声で尋ねました。主人は急いで、ポテトを紙袋にいれて、3人の膝の上に置きました。少女たちははじめて安心したような笑顔をみせたのです。その時、私はとても恥ずかしくなりました。それは、お腹をへらしたこどもたちはガツガツと食べて、山盛りのポテトの皿をあっという間に空にしてしまうだろうと思ったからでした。しかし、3人の少女は自分の事よりも家族や兄弟の空腹を思い、その場で食べずに持って帰りたいと言ったのでした。

私は自分の考え方を恥じると同時に、アフガニスタンに暮らす、こどもたちの尊くも美しい心に出会えたと感じました。 内堀たけし】。

アフガニスタンの3人の少女のように、ぼくたち私たちも「わかちあう」ってことを大切にしたいと思います。



(2025年11月23日平安教会朝礼拝・収穫感謝日子どもの教会との合同礼拝)


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