「御子イエスが招いてくださる」
聖書箇所 マタイ2:1-12。271/263。
日時場所 2025年12月28日平安教会朝礼拝式
クリスマスに、御子イエス・キリストをお迎えして、私たちは歩み始めました。新しい年もイエスさまの招きに応えて歩んでいきたいと思います。
2025年、最後の日曜日です。2025年は男子普通選挙が実施されて100年、治安維持法が施行されて、100年という年でした。この1925年(大正14年)という年に、細井和喜蔵の『女工哀史』が出版されています。細井和喜蔵の『女工哀史』は当時、ベストセラーでありました。
松本満・斎藤美奈子、「『女工哀史』は生きている 細井和喜蔵と貧困日本」という岩波ブックレットを読みました。細井和喜蔵はとても苦労をした人でした。『女工哀史』の「自序」に書かれてありますが、お父さんが細井和喜蔵が生まれる前に亡くなり、お母さんが7歳のときに亡くなり、育ててくれたおばあさんが13歳のときになくなります。そして小学校をやめ、職工として働き始めます。職工として働きながら出会った女工の人たち、そして職場の状態のひどさなどを、『女工哀史』として書き上げ、そして28歳で天に召されています。細井和喜蔵は『女工哀史』が出版された1925年に天に召されています。
細井和喜蔵はもの静かな生粋の労働者であったと言われています。細井和喜蔵と一緒に働いたことのある人がいて、「細井さんはもの静かな人でした。クリスチャンかと思ったものです」と言っています。実際、細井和喜蔵は一時期、教会に通っています。
『女工哀史』と言いますと、女工の悲惨でかわいそうな生活がかかれてある書物という印象を受けますが、どちらかというと女工が働いている工場の実態について告発したノンフィクションです。実名で工場の非道な状態が書かれているわけです。『女工哀史』は戦前戦後の全労働者に影響を与え、働く人たちの意識、そして社会の意識をかえ、非道な労働条件を変えていくことになります。
細井和喜蔵は職工として働く少年のころ、女工の人たちからやさしくしてもらったことを忘れず、『女工哀史』を書きました。細井和喜蔵は少年の頃、ボール盤の歯車に左手の小指をかみ切られます。会社からは賠償金の慰謝料も出ず、労働者の不注意だとされ、「ぼんやりさらすな、この糞坊主!」と怒鳴られます。
【家族を失い、天涯孤独の身で一人都会の工場の事故で怪我をしたあげく虐げられた少年和喜蔵は、しかし同じ職場の女工たちからかけられた次のような言葉によって救われたのである。年寄の女工が側で聞いていて、「ああ坊んかわいそうに」と同情してくれた。すると、「どうしたんのんやね。男前の坊んさん、痛いやろ。不憫そうやなあ」と二〇歳くらいの女工は、繃帯した手をなでていたわってくれた。それらの言葉は和喜蔵の「すさんでかたよった心」にしみた。】(P.11)(「『女工哀史』は生きている 細井和喜蔵と貧困日本」)
細井和喜蔵は『女工哀史』の「序」でこう書きます。【虐げられ蔑まれ乍(ながら)も日々「愛の衣」を織りなして人類をあたたかく育んでいる日本三百萬の女工の生活記録である。地味な書き物だが、およそ衣服を纏(まと)っているものなれば何びともこれを一読する義務がある】。
細井和喜蔵には『女工哀史』を書かずにはいられない女工に対しての尊敬と愛がありました。そしてこの書物は多くの人々に読まれました。『女工哀史』は、私たちの世界が小さき者たちの愛によって成り立っていることを、私たちに教えてくれる書物であるわけです。
今日の聖書の箇所は「占星術の学者たちが訪れる」という表題のついた聖書の箇所です。マタイによる福音書2章1−3節にはこうあります。【イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。】。
イエスさまがお生まれになられたベツレヘムに、占星術の学者たちが訪ねてきます。占星術の学者たちは、イエスさまたちがどこにおらえるのかわかりません。ユダヤ人の王として生まれるということなので、とりあえず王宮に行って、ヘロデ王に尋ねます。
マタイによる福音書2章4−8節にはこうあります。【王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。】。
ヘロデ王は自分の知らないところで、ユダヤ人の王となる子どもが生まれるということを知ります。それは王である自分に取って代わる王が生まれるということです。それであわてて祭司長たちに調べさせます。するとどうやらベツレヘムで生まれるということがわかります。それおで占星術の学者たちにそのことを知らせて、そして報告をさせて、そのあとその子どもを殺しにいこうと計画を立てます。
マタイによる福音書2章9−12節にはこうあります。【彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。】。
占星術の学者たちは星に導かれて、イエスさまのところにたどり着きます。そして幼子イエスさまを伏し拝み、イエスさまのためにもってきた黄金、乳香、没薬の贈り物を捧げます。ヘロデ王からイエスさまのところに行ったなら、帰りに王宮に行って、その報告をするように約束させられていたのですが、夢で「ヘロデのところに帰るな」というお告げを受けて、別の道を通って、自分たちの国へと帰って行きました。
占星術の学者たちは夢のお告げで「ヘロデのところに帰るな」と言われます。そしてヘロデのところに帰ることなく、自分たちの国へと帰ってきます。ヘロデ王のところに帰っていくと、たぶん良いこともあったわけです。お礼をもらえたと思いますし、旅の安全の保障もしてくれたのではないかと思います。しかし占星術の学者たちは、ヘロデ王のところに帰ることなく、自分の国へと帰っていきます。力ある人との約束を無視するということですから、わかると大変なことになるかも知れなかったわけです。
「ヘロデのところに帰るな」というのは、ひとつの生き方であるわけです。暴力的な力のある者に従って生きていくのか。それとも神さまが示してくださる愛に根ざした道を歩んでいくのかということです。
聖書は今日の聖書の箇所のあと、「エジプトに避難する」「ヘロデ、子供を皆殺しにする」という表題のついた聖書の箇所で、イエスさまが難民となってエジプトへ逃げていくことになること。またそのために、ヘロデ王がベツレヘムに住む二歳以下の子どもたちを虐殺したという話が書かれてあります。
暴力的な世の中にあって、イエスさまは小さな人たちの愛に守られて、その命を保ちます。クリスマスの話に出てくる人たちの多くは、力のない人たちです。ヨセフもマリアも、羊飼いもバプテスマのヨハネの母のエリザベトも、力のない人たちです。しかし彼らには神さまの愛がありました。彼らはみな神さまに望みをおきつつ、祈りつつ、その生涯を歩みました。
マタイによる福音書のイエスさまの誕生の物語では、主の天使がヨセフにやさしく語りかけます。【「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々と共におられる」という意味である】。御子イエス・キリストは、神さまが私たちと共にいてくださることの証として、私たちの世にお生まれになられました。
イエスさまは神さまに祈りつつ歩んでいる私たちを招いておられます。私たちは弱くともしい者ですけれども、イエスさまの招きに応えて、神さまの愛のうちを、新しい年も歩んでいきたいと思います。
(2025年12月28日平安教会朝礼拝式)
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