2026年1月24日土曜日

1月25日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「汚れた霊が逃げていく」

「汚れた霊が逃げていく」

聖書箇所 マルコ1:21-28。3/520。

日時場所 2024年3月16日平安教会朝礼拝式      


8年ほど前に、大阪教区の委員として、韓国基督長老会京畿南老會との交流についての打ち合わせの会で、韓国のソウルの警察庁人権保護センターというところを訪問しました。警察庁人権保護センターということですから、韓国の警察庁の施設であるわけです。この建物は、昔、南営洞対共分室という内務部治安本部傘下の対共捜査機関があり、その庁舎でありました。この建物の中で政府に反対をして、韓国の民主化運動をしていた人たちを捕まえて、拷問をしていたという施設です。ちょっとおそろしい施設であるわけです。まあ国家というのは、どの国でも怖いことを行なうことがあるわけです。日本でも戦争中に罪のない人たちを捕らえて拷問をするというようなことが行われていました。キリスト教も歴史のなかで、魔女狩りというようなことを行なって、拷問を行なっていました。

1987年に朴鍾哲(パク・ジョンチョル)さんという学生が取り調べをうけて拷問により死亡したということが明らかになります。そしてこの施設に対する真相究明が進んでいき、韓国の民主化が行なわれていくことになります。そして韓国の民主化ののちに、拷問が行なわれていたこの施設が、警察庁人権保護センターという施設として残されているということです。国家が起こした罪を反省して、そうしたことが起こらないようにと、拷問をしていた施設を、警察庁人権保護センターとして残しているということです。

この建物は金壽根 (キム・スグン)という韓国近代建築の巨匠と言われる建築家によって建てられています。この建物は、外から拷問をしていることがわからないようにするような感じで作られています。また拷問しやすい部屋の作りになっています。ドアを開けても捕らえられている人たちが、互いに見えないような作りになっています。悪霊の仕業としか思えないような建物です。とても有名な建築家によってこの建物が設計されているということに、わたしはとても重い気持ちになりました。だれもそんな拷問を行ないやすい建物など、建てたくはないわけです。しかし拷問を行なう国家の指導者が、そのような建物を建てたいといえば、だれかがそうした建物を設計し、建物は建てられます。「おまえなら、どうする」。そういう重い問いが投げかけられているような気がして、警察庁人権保護センターをあとにしました。

【建物の外観は黒いレンガでできている。建物には拷問の痕跡を隠し、外部との断絶するための工夫がされている。5階の取調室の窓が非常に小さくなっており外部との断絶が図られている。被疑者は建物の裏側に設けられた小さな裏口を通り、5階の尋問室に直結する螺旋階段を上り尋問室へ通される。尋問室は全部で15室ある。尋問室内には、浴槽と水洗トイレ、ベッド、固定された椅子と机があった。 また、尋問室のドアは互いに向かい合わないように設計されており、ドアを開けていてもお互いが見えないようになっている。】(wikipedia)

今日の聖書の箇所は「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。イエスさまはガリラヤで伝道を始められ、そしてペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを弟子にされました。そして今日の聖書の箇所となります。

マルコによる福音書1章21−22節にはこうあります。【一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。】。安息日にユダヤ教の会堂で律法学者たちが、律法についての教えを解説していました。まあ今日はイエスさまに会堂で話をしなさいということになり、イエスさまがお話をしたわけですが、人々はその教えを聞いてとても驚きました。いつもの律法学者たちの話とは違って、「権威ある者」のように話をされたからでした。

マルコによる福音書1章23ー26節にはこうあります。【そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。】。

会堂の中に汚れた霊に取りつかれた男の人がいました。そして男の人はイエスさまに向かって叫びました。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」。聖書の中では、律法学者たちやファリサイ派の人々は、イエスさまのことを理解していない人として出てくるわけです。しかし汚れた霊はイエスさまのことをよく理解しているわけです。汚れた霊は「ナザレのイエス。神の聖者だ」と言うわけです。

しかしまあよくわかっているから、汚れた霊に対して、「あなた、よくわたしのことがわかっていて、えらいね」と誉めてあげるというようなことはあるはずはありません。イエスさまは汚れた霊に対して、「黙れ。この人から出て行け」と言われました。すると、汚れた霊はこの人にけいれんを起こさせます。そして大声をあげて、この男の人から出てきました。イエスさまはこの男の人に対して、いやしのわざを行なわれたわけです。

マルコによる福音書1章27−28節にはこうあります。【人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。】。

人々は会堂で行なわれたイエスさまの業をみて、みんな驚きます。そして「これはどういうことなのだろう」と思いました。「汚れた霊も、この人の命令に従う。この人が汚れた霊に命令すると、言うことを聞いて出ていったではないか。この人の教えは権威ある新しい教えだ」と人々は思いました。そしてみんなこの出来事を伝えていきます。「すごいことがあったんだ。イエスさまが汚れた霊に命じると、汚れた霊に苦しんでいた男から、汚れた霊が逃げ出していったんだ。その時の声はそれはそれはすごかった。やっぱ、イエスさますごいわ」。そういううわさがガリラヤ地方の隅々にまで広がっていくことになりました。

汚れた霊とか悪霊というと、ちょっとおどろおどろしいですし、実際にそんなものがあるのかというような気にもなります。そうしたものは科学が発達していなかった古代や中世のもので、いまはそのようなものはないというような気もします。

しかしいまの私たちの時代も、汚れた霊や悪霊に取りつかれているような気持ちにさせられる時代です。いつまでも私たちの世界では戦争が続いています。大国が他の国の領土を、そこに住んでいる人々を守るというような名目で、侵略をしていきます。自分たちにとって都合の悪い他国の悪い指導者は、武力で持って拉致してしまえば良いのだというようなことが行なわれたりします。汚れた霊や悪霊に取りつかれているかのような世界です。

イエスさまが汚れた霊を追い出すようすを見て、人々は「この人は権威ある新しい教え」を語っていると言いました。汚れた霊もイエスさまの言うことに従う。イエスさまは神さまの権威でもって語っておられる。そのように人々は思いました。律法学者たちやファイサイ派の人々が語った教えは、そうした力のない教えでした。汚れた霊や悪霊の働きを容認してしまう教えでありました。「仕方がないよ。どうしようもないのだから。見て見ぬふりをするしかないよね」。

おかしなことをしている力のある人に対して、「あなたのしていることは、おかしいよ」と言うことは、なかなかむつかしいことです。大国と言われるよう国の指導者に対して、「あなたのしていることは、おかしいよ」と言うことはむつかしいことのようです。私たちの国もそこそこ大きな経済力をもつ国だと言われますが、それでもなかなか大国の指導者に対して「あなたのしていることは、おかしいよ」とは言えないようです。私たちなどはもっと力のない者ですから、世の中の雰囲気に呑まれて、口を閉ざしてしまいそうになります。

しかしあまり口を閉ざしていますと、汚れた霊や悪霊が力強く漂う社会になってしまいます。それもまた困りますので、「やっぱり、それはよくないよ」と伝えていくことも大切です。悪霊の漂う社会は、りっぱな建築家に、拷問をする建物を作らせるというようなことを行なうのです。悪霊の漂う社会は、りっぱな科学者に、大量に人を殺す兵器を作らせるというようなことを行なうのです。それはあまりに悲しい社会です。

イエスさまは男の人に取りついている汚れた霊に「この人から出て行け」とお命じになられました。そして汚れた霊は男の人から出ていきます。私たちには汚れた霊や悪霊をお叱りになるイエスさまがおらえます。イエスさまが力強い御手でもって、汚れた霊や悪霊を追い払い、私たちの社会が神さまの御心に適う社会へと導いてくださいます。

そして私たちもまた汚れた霊を遠ざけるような生き方をしたいと思います。私たちはいつも主の祈りを礼拝の中で祈り、「悪より救い出したまえ」と祈ります。「悪より救い出したまえ」。誘惑の多い世の中です。また気づかないうちに、悪に取り込まれてしまうというようなこともある世の中です。「悪より救い出したまえ」と祈りつつ、神さまを信じて歩んでいきたいと思います。



  

(2026年1月25日平安教会朝礼拝式) 



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