2023年9月27日水曜日

9月24日平安教会礼拝説教要旨(堀江有里牧師)

 「〈怒り〉を力に」 堀江有里(京都教区巡回教師)

マルコによる福音書 11:15〜19

 いまでは治療方法や薬が開発されましたが、ほんの数十年前まで「死に至る病」であったエイズ。性感染も経路であったため、多くの偏見と差別をもたらしました。米国の市民運動に「アクトアップ」(力を解放するエイズ連合)の記録映画『怒りを力に』に収められた「教会を止めろ」と名付けられた抗議行動(1989年12月)は、ニューヨークの聖パトリック大聖堂での印象深いコントラストを描き出しています。一方では礼拝堂の通路になだれこみ、無言のうちに死体を模したダイ・インで抗議する人びと。これは仲間たちの命が奪われてゆく現実を示す行為でした。他方で粛々と進むミサ。気にもかけず聖書が朗読され、会衆は聖歌をうたう。そして唐突に繰り返される「わたしたちを殺すのをやめろ!」という抗議行動参加者の叫びは、死にゆく人びとを放置し、無関心のなかで儀式を守りつづける会衆への怒りと嘆きでした。この行動は、HIV感染予防の性教育を敵視する教会への、そして「エイズは同性愛者への天罰だ」と主張してやまない人びとの思想を支えるキリスト教への抗議でした。

 本日の聖書箇所は「宮潔め」として解釈されてきました。神殿に到着したイエスは両替人や鳩を売る人たちの場をひっくり返します。周囲は騒然としたはずです。イエスは平穏な神殿を取り戻したかったのでしょうか。しかし、この人たちが追い出されてしまったら神殿は機能しません。供物も献金もできないからです。だとしたら、イエスがおこなったのは神殿のあり方そのものの否定、腐敗した価値観への根源的な問いであったはずです。だからこそ、イエス殺害の計画がもちあがったわけです。

 引用されているイザヤ書は「すべての国民の祈りの家」と翻訳されています。もとのイザヤ書では単数で書かれていて、「イスラエルの民」が意識されているわけですが、イエスはこの聖書の箇所を複数形で引用したことになっています。つまり、さまざまに境界線によって分断されている人びとを分け隔てなく一緒にいられる場として、神殿をとらえているわけです。

 まさにイエスが起こしたことは古代ユダヤ世界のなかでのノイズであり、秩序を乱す行為です。宗教の権威によってもたらされる人びとの分断への問いかけであったのではないでしょうか。イエスの起こしたノイズを、そしてその根底にある〈怒り〉の出来事をわたしたちはどのように受け止めることができるのか、考えつつ、歩み続けたいと思います。



9月17日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

 「抱きしめられたい夜もある」

 

聖書箇所 ルカ15:11-32。449/475

日時場所 2023年9月17日平安教会朝礼拝式


今日は礼拝の中で、「恵老祝福」が行われます。平安教会では、「恵み」に「老い」と書いて「恵老」としています。神さまがご高齢の方々に豊かな恵みを与えてくださっているということで、「恵老祝福」としています。ご高齢になり、若いときのように体が動かないということもあると思います。もっと昔はしっかりとしていたような気がするのだけれども、昔に比べると、ちょっとおぼつかない時と思えるときもあると思います。そのように感じておられるご高齢の方々も多いと思います。しかしそうした中にあっても、しっかりと神さまを見上げて歩んでいきたい。イエスさまの声を聞いて歩んでいく。そうしたご高齢の方々の真摯な歩みをみるときに、私たちはとても励まされます。どんなときも、神さまが恵みを与えてくださり、そして私たちを守ってくださると、ご高齢の方々の歩みから確信することができます。とてもうれしいことだと思います。 

ジェーン・スーは、日本の作家、コラムニストです。同世代である、30、40代の女性に人気のある女性です。ラジオのパーソナリティなどもしています。ちょうどわたしの娘の世代に人気があるようなので、ジェーン・スー『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)という本を読みました。

「パパ、アイラブユー」というエッセイの中に、こんな話がありました。ジェーン・スーはFacebookに友だちや知人が、自分の子供の写真を載せているのをみて、自分がいらいらするのに気がつきます。そしてどうしてそのような感情が出てくるのかということを考えます。自分が未婚で子供がいないからか。でも毎日楽しく過ごしているので、そういうことでもない気がします。それでもっと自分のそのいやな気持ちを観察するために、どういう写真に自分がいらっとするのかということを、丁寧にみていくことにします。そして兄弟姉妹や母親との写真に自分の心が乱されることはなく、子供が一人で写っている写真を父親が投稿している場合か、子供が父親と一緒に写っている写真の投稿ばかりに気を取られることに気づきます。

【私の持っていない「婚姻関係」や「親子関係」を持つ同年代の友人知人に、嫉妬していたのではなかった。むしろ立ち位置は逆でした。私は、父親に世話をされている女児(つまり数十年前の私と同じ存在)に嫉妬していました。なぜなら、子供時代にそんな風に父親に可愛がられた覚えが、私にはなかったから】(P.252)。

ジェーン・スーのお父さんが特別、ジェーン・スーに対して冷たかったとか、ひどい父親だったというわけではありません。典型的な昭和の自営業者で、とくに子育てに積極的に関わるということの無かった時代のお父さんでした。ですからジェーン・スーが子供だったときは、自分の周りの子どもたちのお父さんもそういう感じですから、当時は何も思わなかったわけです。でも自分が大人になって自分の友人や知人が娘を可愛がっている写真を見ると、「私もこうやって可愛がって欲しかった」という思いが出てきたのです。そして可愛がってもらっている女の子に嫉妬しているのです。そして積極的に育児に参加している男性に「子供の世話なんかしないで働けよ」という意地悪な気持ちが沸き起こったりするわけです。その気持ちはどう考えても、悪意に満ちた社会的に許されることのない気持ちです。まあそれで、ジェーン・スーは自分のことながら、「こまったなあ」と思うのです。

ジェーン・スーは、「小さな女の子救済作戦」というコラムのなかで、女性はみな自分のなかに「小さな女の子」をもっているのだと言います。【さみしくて傷ついた気持ちや、嬉しくて飛び上がりたい気持ちを素直に感じている存在を、便宜上「小さな女の子」と名付けましょう。・・・・・。「小さな女の子」は、いくつになっても自分の中に存在する、時に大人にはみっともないとされる類の感情を抱く存在です。強い女にも五分の小さな女の子と言いますか、私にもパブリックイメージ(しかも自分で作り上げたもの)と反する、小さな女の子=さみしさや傷ついた気持ちをダイレクトに感じる存在がいます。見た目には不釣り合いな、砂糖菓子の世界にあこがれるフワフワした気持ちだって、ちょっとはもっているのです。・・・。小さな女の子の気持ちを外に出すと、副産物としてコミュニケーションがうまくいくようにもなりました。「これは怒りではなく、傷心なのだ」と人に伝えるのはなかなか恥ずかしくハードルの高い行為。私もまだまだ完璧にこなせるとは言えません。気が付くと嫌みを言って、本心を伝えぬまま事態をややこしくしてしまう】(P.284)。

だれしも「小さな女の子」を持っているというのは、そういう感じのことはあるなあと、わたし自身も思います。「小さな男の子」と「小さな女の子」は同じなのか、違うのかというようなこともあるかと思いますが、ただただ切なかったり、悔しかったり、いやだったりする気持ちを、大人であるわたしは表面上は隠すわけですが、でもわたしの中の「小さな男の子」は、「いやだ。悲しい。くやしい」と泣き声をあげるのです。皆さんはどうでしょうか。「小さな女の子」「小さな男の子」が、自分のなかにいるでしょうか。

わたしはジェーン・スーの「パパ、アイラブユー」「小さな女の子救済作戦」というコラムを読みながら、今日の聖書の箇所の放蕩息子のお兄さんを思い浮かべました。お兄さんはお父さんに言うのです。【『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』】。放蕩息子のお兄さんの「小さな男の子」は、お父さんに「愛していると言ってくれ」と叫んでいるような気がします。

今日の聖書の箇所は「放蕩息子のたとえ」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書15章11ー16節にはこうあります。【また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。】。

ある人に息子が二人いて、弟の方がお父さんに財産の分け前をくださいと言います。そして分けともらうと、それを全部お金に替えて、家を出ていきます。そして放蕩生活を送ります。すべてを使い果たした時に、ひどい飢饉がおこって、食べるにも困るようになります。どうにか知り合いのところに住み込んだけれども、ひどい扱いを受けます。「豚の世話をさせた」とありますけれども、ユダヤ人にとって豚というのは汚れた動物であるわけです。でもその豚の餌となっているいなご豆を食べたいと思うくらいお腹をすかせているわけですが、しかし彼のことを助ける人はいませんでした。

ルカによる福音書15章17−24節にはこうあります。【そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた】。

放蕩息子は「お父さんのところに帰ろう」と思います。お父さんのところにはたくさんの雇い人がいる。その一人にしてもらえば良いのではないか。自分勝手なことをして家を出てきたけれども、息子として扱われることはないだろうけれど、でも雇い人の一人くらいにはしてもらえるのではないだろうか。そうすれば少なくともいまの生活よりは良い生活ができるだろう。いまはもう飢え死にしそうな状態なのだから。そう思って、お父さんのところに帰ります。

放蕩息子のお父さんは、放蕩息子を見つけると、遠くのほうにいるのに気づいてくれて、そして走り寄って、首を抱いて、接吻してくれました。放蕩息子は「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」といいます。しかしお父さんは帰ってきた放蕩息子を、雇い人の一人ではなく、自分の息子として扱います。「手に指輪をはめてやり」というのは、そういうことです。良い服を着せ、指輪をはめてやり、履物をはかせ、そして放蕩息子が帰ってきたことをみんなでお祝いします。

ルカによる福音書15章25−31節には行あります。【ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」】。

放蕩息子がお父さんによって暖かく迎えられたことに、放蕩息子のお兄さんは腹を立てるわけです。怒って家に入ろうとしない兄を、お父さんがなだめにきます。しかしお兄さんはお父さんに言い放ちます。弟は自分勝手に家を出ていったけれども、わたしは何年もお父さんに仕えてきた。お父さんの言いつけに背くこともなかった。でもわたしが友人と宴会をするときに、お父さんは子山羊一匹くれたことはなかった。でも弟がやりたい放題して家に帰ってくると、弟を暖かく迎え、大宴会を催している。どうしてそんなことをするのか。

そんなふうにお兄さんは怒るわけです。しかしお父さんは答えます。お前はいつもわたしと一緒にいるし、わたしのものは全部お前のものだ。でもお前の弟はもう死んでしまったのではないかと思っていたのに、生きて帰ってきた。祝宴を開いて喜ぶのは当たり前だろう。

この「放蕩息子のたとえ」の前の聖書の箇所は、「見失った羊のたとえ」とか「無くした銀貨のたとえ」です。ルカによる福音書15章7節にはこうあります。【言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」】とあります。またルカによる福音書15章10節にはこうあります。【言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」】とあります。

この「放蕩息子のたとえ」もまた、「悔い改めて帰ってくる」ということに重きが置かれているわけです。罪を犯した人が悔い改めて、神さまのところに帰ってくる。これほどうれしいことはないだろう。ということが言われているわけです。まあそう言われると、私たちも罪深い者ですから、悔い改めて、神さまのところに帰ってきたら、赦されて、そのうえ、神さまが大喜びしてくださるということであれば、「まあ言うことないよね」というふうにも思えます。

しかしまあそれは大枠のことであって、個別のこととなるとまた違ってくるわけです。どうしてあんなに弟の方が特別扱いされなければならないのか。わたしのことをお父さんは愛してくれていないのではないのか。お兄さんのなかの「小さな男の子」は叫ぶのです。「愛してくれと言ってくれ」「わたしのことを愛しているといってほしい」。

ルカによる福音書15章20節にはこうあります。【父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した】。いま京都市京セラ美術館で、「ルーヴル美術館展 愛を描く」の美術展が行われています。展示している絵画の中に、「放蕩息子の帰宅」という絵があります。リオネッロ・スパーダという画家の作品です。「放蕩息子の帰宅」は、このルカによる福音書15章20節のところが描かれています。レンブラント(レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン)の絵に、「放蕩息子の帰還」という絵がありますが、その絵もやはり、この聖書の箇所が描かれています。ひざを折って悔い改めている放蕩息子の肩に、お父さんが手を置いて、憐れみ深く抱きしめている絵です。

放蕩息子はお父さんに抱きしめられて、とってもうれしかったと思います。傷つき、疲れ果てて、倒れそうなとき、だれしも「抱きしめられたい」と思います。放蕩息子はお父さんに抱きしめてもらいたかったのです。そしてまた放蕩息子のお兄さんも、お父さんに抱きしめてもらいたかったのです。父のもとを離れず、父のそばにいて、一生懸命に父のもとで働いていた。父の言いつけをすべて守るような人だったので、父もあまり気にしていなかったわけですが、放蕩息子のお兄さんはお父さんに抱きしめてもらいたかったのです。しかし放蕩息子のお兄さんは、そのことをお父さんに言うことができず、逆にお父さんに対して、「わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかった」と叫ぶのです。

人はだれしも「抱きしめられたい夜がある」のです。放蕩息子もそうですし、また放蕩息子のお兄さんもそうなのです。父の下にいて、父の言うことも良く聞いて、何の問題もないように思うわれる放蕩息子のお兄さんにも、抱きしめられたい夜があるのです。

そして私たちにも抱きしめられたい夜があるのです。人に傷つけられたり、また人を傷つけてしまったり。人に辛くあたったり、人から辛くあたられたり。仕事で大きな失敗をしてしまったり、失恋をしてしまったり。親しい友が天に召されたり、最愛の人を天に送ったり。どうしようもなくさみしくて、どうしようもなく悲しくて、だれかに抱きしめられたいと思う夜があるのです。

そして私たちには、私たちを抱きしめてくださる神さまがおられるのです。身勝手な放蕩息子を許して、抱きしめたように、私たちの悲しみや辛さに寄り添ってくださり、私たちを抱きしめてくださる神さまがおられます。【まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した】。そのように愛に満ちた神さまが、私たちにはおられます。悲しみの中にある私たち、さみしさの中にある私たちの傍らにいてくださり、私たちを慰め、支えてくださる神さまがおられます。

神さまが私たちを守ってくださいます。安心して、神さまの祝福のなか歩んでいきましょう。


  

(2023年9月17日平安教会朝礼拝式)

9月10日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

 「だめな人だけど、でもいいよそれで」


聖書箇所 ルカ14:25-35 137 434 470

日時場所 2023年9月10日平安教会朝礼拝

 

「いい人」とか「悪い人」という言葉は、男女関係・恋愛関係などの場合、微妙な言葉として使われます。ふつうであれば、善し悪しであるわけですから、その言葉のとおりであるはずです。「あの人いい人よ」とか「彼は悪い人だ」とか。しかし男女関係・恋愛関係などの場合が「あの人、いい人だけど・・・」とか「悪い人♡」とか、いい人だけどのあとに・・・があったり、悪い人の後に♡マークが使われるような感じで、いい人・悪い人という言葉が使われるわけです。「いい人だけど・・・」って、いい人だったらええやんと思いますが、人間、そういうわけでもないわけです。すべて合理的な判断で人間は生きているわけではありません。

イスラエルの王様で、ダビデ王という人がいます。ダビデ王には何人かの子どもがいますが、その一人がアブサロムという人です。アブサロムはダビデ王の子どもですが、ダビデ王に反旗をひるがえし、ダビデ王を殺そうとしました。旧約聖書のサムエル記下15章あたりに書かれてある話です。旧約聖書の503頁です。ダビデ王はアブサロムの兵によって都落ちすることになります。しかしのちにダビデ王は形勢を逆転させて、アブサロムの兵をやっつけ、アブサロムは逃げる途中に木に宙吊りになり、ダビデ王の部下のヨアブによって殺されます。ダビデ王はアブサロムによって大変な目に合わされたわけですが、自分の兵にアブサロムを殺すことのないようにと言っていました。ダビデ王は息子であるアブサロムのことを大切に思っていました。どんな目に合わされようとも、しかしアブサロムはわたしの愛する息子だと思っていました。

アブサロムが死んだということを聞いて、ダビデ王は嘆くのです。ダビデ王は家来に「若者アブサロムは無事か」と尋ねます。しかし家来は「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」と答えます。それを聞いて、アブサロムの死を知ったダビデ王は、「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」と嘆き悲しみます。

ダビデ王はアブサロムの死を嘆き続けます。それを見た部下のヨアブはダビデ王を諭すのです。【「王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました。この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう。】(サムエル記下19章6−7節)。 

ダビデ王がまったくの私人であったのであれば、息子のために涙を流しても、それはそれで許されることであったと思います。しかしダビデは王様でした。彼は王としての合理的な振る舞いをしなければなりません。とはいうものの、ダビデ王は息子アブサロムのことを愛していました。それはもう合理的な判断というよりも、ダビデ王のこころからわきでる気持ちとしかいいようがないのです。自分を殺そうとした息子であるわけですが、それでもダビデ王はアブサロムのことを愛さずにはいられないのです。ダビデ王のしていることはとても愚かなことであるのですが、しかしそれはダビデ王自身にとっては、どうしようもないことなのでした。

このダビデ王のアブサロムに対する気持ちは、私たちに対する神さまの気持ちに似ています。私たち人間は心の中に邪な思いをもったり、自分勝手な気持ちをもっています。傲り高ぶったり、また自分のことをだめな人間だと思い込んでみたり。互いに傷つけあったり、互いにうらやましがったり。神さまの前に立つには、私たち人間は罪深い者です。神さまに愛されるのに私たちはふさわしくないわけですが、しかし神さまは私たちを愛してくださっています。私たちを愛して、私たちを憐れみ、私たちを救うために御子であるイエス・キリストを私たちのところに送ってくださいました。神さまの振る舞いはどう考えても合理的なものではありません。神さまはろくでもない私たちを救うために、自分の大切な御子イエス・キリストを十字架につけられたのです。しかし神さまはだめな私たちを愛さずにはいられないのです。

今日の新約聖書の箇所は「弟子の条件」「塩気のなくなった塩」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書14章25−27節にはこうあります。【大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない】。

初期のクリスチャンはクリスチャンであるがゆえに迫害にあったりしました。ですからまさにイエスさまに付き従っていくということは、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹から恨まれることや、自分の命を危険にさらすことでありました。イエスさまは犯罪人として十字架につけられました。十字架という刑罰は極悪人が受ける刑罰でした。またローマ市民権をもつ人には適応されない残酷な刑罰でした。十字架につけられたということは、どうしようもない人間ということです。そのどうしようもな悪い人についていくということですから、まさに自分の十字架を背負ってついていくということでした。そうでなければイエスさまの弟子ではあり得なかったのです。

ルカによる福音書14章28−30節にはこうあります。【あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう】。

これはイエスさまについていく、クリスチャンになったら途中でやめないということです。ときどき途中で建てるのをやめられた建築物というのがあります。いま中国では不動産市場が悪化して、工事が止まっているマンションがたくさんあるというようなニュースを、最近、聞きました。天津市に建設中の巨大マンションも、工事が止まっているようです。わたしが同志社大学の神学部にいた40年ほど前に、琵琶湖半に途中までしかたっていないホテルの建築物がありました。琵琶湖畔幽霊ホテルといわれたりしていました。費用がなくなったら建てることができなくなるわけですから、十分に考えて建てなければならないわけです。腰をすえてじっくりと考えなければならない。イエスさまについていくというのも、腰をすえて、じっくりと考えて、ちゃんとイエスさまに生涯つきしたがっていくことができるようにする。一度、イエスさまについていくと決心をしたら、ちゅうと半端な歩みではなく、生涯イエスさまに付き従っていく覚悟が必要だということです。

ルカによる福音書14章31−33節にはこうあります。【また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」】。

これも先ほどの「完成できない塔の話」とよく似ています。戦争をするときはちゃんと戦争をして勝つことができるかどうかということを判断して戦争をしなさい、勝つことができないのであれば、使節を送って和平をしなさいということです。日本も昔、戦争をしましたが、いまから考えると勝てるように思えないのに、戦争をしています。なかなかむつかしいのでしょうが、しかしはやり腰をすえてちゃんと考えてから戦争をしなければならなかったわけです。戦争をするには覚悟が必要なのです。勝てなければ殺されてしまいますし、また和平を結ぶにしても王は自分の命を差しだすということや、すべてのものを相手に明け渡してしまわなければならないかも知れません。そのようにイエスさまに付き従うということは、すべての持ち物を失う覚悟が必要だということです。

ルカによる福音書14章34−35節にはこうあります。【「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」】。私たちは「塩から塩気がなくなる」というのは、どうしてだろうと思いますが、当時の塩は製塩技術が未熟ですから、純粋な塩ではなく塩化化合物のようなものもあり、塩気がなくなるというようなことが起こりました。塩気がなくなると、もうその塩は捨てるしかなくなるわけです。イエスさまに従うということも、しっかりとした気持ちがなくなって、いい加減な気持ちだけになってしまったら、それはもう惰性になってしまい、信仰生活というものではないということです。

イエスさまは「弟子の条件」「塩気のなくなった塩」というたとえの中で、なかなかきびしいことを言われます。イエスさまの弟子になるためには、 1)自分の十字架を背負ってついてくる。2)途中でやめない。3)自分の持ち物を捨てる。そんなことを言われると、ちょっと「わたしには無理かも」というふうに思えます。とくにキリスト教に出会って、いまから洗礼を受けてクリスチャンになろうとしておられる方など、「弟子の条件」などと言われると、「これは無理だわ」と思います。なかなかイエスさまの弟子になる条件は高いのです。どうみても自分がこの条件を満たすことはできそうもありません。それではイエスさまのお弟子さんになることはできないのか。クリスチャンになることはできないのか。

そのように考えてみると、おかしなことに気がつきます。どう考えてもこの「弟子の条件」を満たしていると思えない人が、実際にクリスチャンになっているからです。周りをしげしげと見回してみて、「どう考えても、イエスさまが言われる条件を満たしているとは思えない」と思います。でも実際にクリスチャンになっています。なんかおかしいわけです。「おかしい???」。そして気づくわけです。「たぶんクリスチャンになるには裏口があるに違いない。じゃないと、この人がクリスチャンになることができるわけがないじゃないか」。

まさにそうです。わたしは裏口から入ってクリスチャンになりました。このイエスさまが言われた弟子の条件を満たしたからクリスチャンになったわけではありません。というか、だいたい多くのクリスチャンはイエスさまが言われた弟子の条件を満たして、クリスチャンになるわけではありません。イエスさまの言われた弟子の条件を満たすことができないからこそ、クリスチャンになるのです。自分はイエスさまが言われることはできないだめな人間だ。しかしだからこそ、イエスさまに付き従いたいと思うのです。イエスさまの言われる弟子の条件を満たすことができるほど、りっぱな人間であれば、別にイエスさまに付き従おうとは思わないのです。だめな人間だからこそ、イエスさまの言われることは到底できないけれども、イエスさまに付き従いたいのです。

使徒パウロは「人はイエス・キリストを信じる信仰によって義とされる」と言いました。ローマの信徒への手紙3章21節以下に、「信仰による義」という表題のついた聖書の箇所があります。新約聖書の277頁です。ローマの信徒への手紙3章21ー26節にはこうあります。【ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。】

人は何かできるから義とされるのではありません。何もできたくても、イエス・キリストを信じる信仰によって義とされるのです。何もできないけれども、神さまの愛と憐れみによって、私たちは罪赦され、そしてクリスチャンになるのです。この「人はイエス・キリストを信じる信仰によって義とされる」というのが、いわばクリスチャンになる裏口です。しかしこの裏口こそが、ある意味、表口であるのです。

イエスさまのお弟子さんたちはすべてを捨ててイエスさまに付き従いました。その点においては、イエスさまが言われた弟子の条件に当てはまるところもあります。しかしイエスさまが十字架につけられたとき、弟子たちはみんなイエスさまから逃げ出してしまい、イエスさまを裏切ってしまいました。イエスさまの弟子たちはイエスさまを裏切るだめな人間でした。しかしだからこそ、弟子たちにはイエスさまに惹かれ、イエスさまに付き従おうとしたのです。

そして神さまはだめな人間のために、イエス・キリストを私たちの世に送ってくださったのです。神さまは私たちを愛してくださるのです。それは合理的な考えではないでしょう。愚かでわがままな私たちを神さまは愛されるのです。イエスさまの言われることに聞き従うことのできない弱い私たちを神さまは愛してくださるのです。神さまの前にふさわしくない私たちを神さまは愛してくださるのです。

そして弱さや高慢さのゆえに罪を犯す私たちのために、イエスさまは十字架についてくださり、私たちの罪をあがなってくださったのです。イエスさまは「自分の十字架を背負ってついてきなさい」「途中でやめてはだめです」「自分の持ち物を捨てて、わたしについてきなさい」と厳しいことを言われます。でも結局、イエスさまは私たちに言われます。「だめな人だけど、でもいいよそれで」「わたしのところにやってきなさい」。

イエスさまの招きに応えましょう。イエス・キリストこそわたしの救い主と告白し、そして神さまの深い愛によって祝福され、こころ平安に歩んでいきましょう。


(2023年9月10日平安教会朝礼拝)

2023年9月8日金曜日

9月3日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)

「幸いなあなた。こちらへどうぞ」

 

聖書箇所 ルカ14:7-14。402/518。

日時場所 2023年9月3日平安教会朝礼拝式   


【もしリーマン・ブラザーズがリーマン・シスターズだったらなら、あのような形での金融危機は起こらなかったはずだ、と当時のフランスの財務大臣を務めていたクリスティーヌ・ラガルド[もと国際通貨基金(IMF)専務理事。2021年現在、欧州中央銀行総裁]は言った】(P.9)。

カトリーン・マルサルが書いた『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(河出書房新社)にそのように書かれてあります。この『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の始めには「経済と女性の話をしよう」とあります。経済理論や社会システムが、いかに女性を外に置くことによって作られてきたのかということについて書かれてあります。

アダム・スミスは『国富論』を書いた経済学者です。経済学の父と言われます。【アダム・スミスは生涯独身だった。人生のほとんどの期間を母親と一緒に暮らした。母親が家のことをやり、いとこがお金のやりくりをした。アダム・スミスがスコットランド関税委員に任命されると、母親も一緒にエディンバラへ移り住んだ。母親は死ぬまで息子の世話をし続けた。そこにアダム・スミスが語らなかった食事の一面がある。肉屋やパン屋や酒屋が仕事をするためには、その妻や母親や姉妹が来る日も来る日も子どもの面倒を見たり、家を掃除したり、食事をつくったり、服を洗濯したり、涙を拭いたり、隣人と口論したりしなければならなかった。経済学が語る市場というものは、つねにもうひとつの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた。

毎朝15キロの道のりを歩いて、家族のために薪(たきぎ)を集めてくる11歳の少女がいる。彼女の労働は経済発展に欠かせないものだが、国の統計には記録されていない。なかったことにされるのだ。国の経済活動の総量を測るGDP(国内総生産)は、この少女の労働をカウントしない。ほかにも子どもを産むこと、育てること、庭に花や野菜を植えること、家族のために食事をつくること、家で飼っている牛のミルクを搾ること、親戚のために服を縫うこと、アダム・スミスが『国富論』を執筆できるように身のまわりの世話をすること、それらはすべて経済から無視される。一般的な経済学の定義によると、そうした労働は「生産活動」にあたらない。なにも生み出さないことにされてしまう。見えざる手の届かないところに、見えない性がある。・・・。アダム・スミスが答えを見つけたのは、経済の半分の面でしかない。彼が食事にありつけたのは、商売人が利益を求めて取引きしたためだけではない。アダム・スミスが食事にありつけたのは、母親が毎日せっせと彼のために食事を用意していたからだ】(P.26-29)。

1990年代にフェミニスト経済学が登場し、経済学においても、いままでの学問体系のなかで抜け落ちていたことに対する問い直しがなされています。この『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』を訳した、高橋璃子さんは「訳者あとがき」にこう記しています。【フェミニスト経済学は、市場経済の外にあるものを含めて、社会全体がどう維持・運営されるかを考えます。私たちが生活できるのは、そして食事を食べられるのは、アダム・スミスのいう「自己利益の追求」のためだけではありません。家事労働があり、人とのふれあいがあり、ケアがあってはじめて、社会は機能するのです。経済人が目を背けてきた「依存」や「分配」にここで光が当てられます】(P.267)。

イエスさまも一般的に社会で考えられていることとは違うことを言われます。人は自分の都合とか、自分の利益ということで物事を考えるということがあります。しかしイエスさまは「神さまはどう思われるかな」という視点で、物事を考えられて、そして私たちに生きる道を教えてくださいます。

今日の聖書の箇所は「客と招待する者への教訓」という表題のついた聖書の箇所です。ルカによる福音書14章7−11節にはこうあります。【イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」】。

わたしは大学生の頃、茶道のサークルに入っていました。ときどきお茶席に行くことがありましたが、イエスさまが言われているような感じのことに出くわすことがありました。お茶席では正客という、立ててもらったお茶を一番に飲む人の席があります。正客がそのお茶席を整えるというような役割を担わなければならないので、なかなか大変なのです。やはり正客にふさわしいお客が正客にならなければならないわけです。だいたいみんな正客になるのを断りつつ、まあ仕方がないなあと思って、みんなに勧められて、だれかが正客になるわけです。しかし正客の席についた人のあとから、もっと正客にふさわしい人が現れたりして、その人に席を譲るというようなことが行われたりします。

イエスさまの時代の婚宴でもそうしたことが行われていたのでしょう。お茶席は「わたしが正客になる」という高慢な思いで正客になるというわけではないでしょうが、でも人は自分が偉い人として評価されたいというような思いもあります。ですから婚宴で上席につきたがるというようなこともふつうにあったのだろうと思います。「ははは、わたしが上席につくことができた」と思っても、もっと偉い人が後から現れて、末席につくようなことになることがあるから、あらかじめ末席の方に座りなさい。そうすれば招いた人が来て、「もっと上席に来てください」と言ってくれるから、そのほうがよいだろうと、イエスさまは言われました。

ルカによる福音書14章12−14節にはこうあります。【また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」】。

イエスさまが婚宴に招いてくれた人に言われました。こうした婚宴や昼食会や夕食会などを催すときには、友人や兄弟、親戚や近所の金持ちを招いてはならない。その人たちはあなたを招いてお返しをしてくれるだろう。だから宴会を行なうときは、貧しい人や体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招いたほうがよい。その人たちはあなたにお返しをするということができない。でもあなたは幸いだ。神さまがあなたに報いてくださる。世の終わり・終末のときに、正しい者たちが復活するときに、あなたも一緒に復活することができるだろう。

イエスさまは話された「客と招待する者への教訓」という話は、まあそんな大した話でもないわけです。前半の話など、ちょっと処世術ぽい話で、「現代マナー講座」というような話で出てきそうな話です。「これくらいのこと、イエスさまに言われなくても、わたしでも思いつく」というふうに思われた方もおられるのではないかと思います。

食べられるものが同じであれば、まあ上席だろうが末席だろうがどちらでも良いというふうに思う、一般庶民と違って、メンツを重んじる人たちもいるわけです。そうした人たちにとっては、やはり上席・末席の問題はなかなか大きな問題であったのでしょう。処世術ぽい話はともかくとして、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」ということに気をつける必要があったのだと思います。

イエスさまの時代、お金持ちのほうが神の国に入り安いというふうに考えられていました。マルコによる福音書10章23ー26節にはこうあります。新約聖書の82頁にあります。【イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。】。

イエスさまが「金持ちが神の国に入るのは、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」と言われると、弟子たちはとても驚きます。金持ちが救われないのなら、だれが救われるというのだろうかと、弟子たちは互いに言うわけです。イエスさまの時代はお金持ちのほうがたくさん献金をすることができたりするので、貧しい人よりもお金持ちのほうが、神の国に入りやすいと考えられていたわけです。しかしイエスさまはそうした考えを否定されました。人はお金持ちのほうが、神の国に入りやすいと思っているけれども、神さまはそう思っておられないと、イエスさまは言われるのです。

そして人がどのように見ているのかということではなく、「神さまがどのようにご覧になっておられるのか」ということを大切にしなさいと、イエスさまは言われるのです。私たちはこの世のことだけに目が向きがちです。もちろん人間の世界で、「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」というような出来事にも出くわします。イエスさまが婚宴の食事の席の話をされたようなことです。あまりに高ぶっている人は結局、人々から尊敬されることはありません。人間の世界でもそうですけれども、それ以上に「神さまがどのようにご覧になっておられるのか」ということを考えた時に、高ぶっている人は絶望的です。

謙虚な思いになって、いろいろなことを見直してみるということは大切なことです。「わたしはわたしのちからで、だれにも迷惑をかけずにいきているのだ」と思いながら生きているわけですが、しかしやはりそうでもないわけです。経済学の父であるアダム・スミスがそうであったように、アダム・スミスもお母さんの助けによって生きていました。『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』にあるとおりです。いろいろな人の支えによって、私たちは生きています。

イエスさまは婚宴を催すことのできる幸せな人たちに、人はわかちあって生きていくことが大切だと言われました。婚宴を催すことができるというのは、とても幸いです。その幸いをみんなでわかちあっていくことできれば、それはもっと幸いなことだと、イエスさまは言われます。宴会を催すときは、貧しい人、体の不自由な人を招きなさい。その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。神さまがあなたにお返しをしてくださる。この世のことばかりを見るのではなく、神さまがどのように考えておられるのかということを考えなさい。どうしたら神さまが喜んでくださるか。そのことに思いをはせなさい。

私たちはついつい、この世のことだけに目がいってしまいます。しかし私たちによきものを備えてくださるのは、神さまです。イエスさまは「あなたは幸いだ。こちらにどうぞ」と、私たちに良き席を整えてくださっています。この世のことだけに目がいってしまい、上席と言われるその席に居座っていると、とんでもないことになるから、こちらにどうぞ。あなたの謙虚でやさしい振る舞いを、神さまはみておられるから、こちらにどうぞ。「あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる」。

神さまの愛のうちを、謙虚に歩んでいきましょう。神さまは私たちを祝福し、私たちに良きものを備えてくださいます。



(2023年9月3日平安教会朝礼拝式・CS振起日礼拝)

8月27日平安教会礼拝説教要旨(金鍾圭牧師)

 「私たちにもサマリア人はいるのか」

金 鍾圭牧師

ルカによる福音書 10:25-37節


イエスの「善きサマリア人のたとえ話」は、イスラエル人とサマリア人の深い対立を背景にしている。北イスラエル王国滅亡後、首都サマリアでは、アッシリアの政策による雑婚が行われた。その結果、サマリアを含む元北イスラエル王国の人々は、血統の純粋を失い、誤った信仰を歩み始めた。さらにサマリア人は、200年後バビロン捕囚から戻った南ユダヤ人たちのエルサレム神殿再建を妨害しながら敵意を表し、ユダヤ人たちもこのようなサマリア人を嫌うようになったのである。これをきっかけで、ユダヤ人はサマリア人を差別し、両者の歴史的な対立が根深く続いていた。イエスは、このたとえ話を通じて「隣人愛」の範囲を問い直しているのではないのか。

このたとえ話は、ある律法の専門家がイエスに「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねたことをきっかけに語られる。イエスと律法の専門家の問答は、律法を軸に展開される。そして「では、わたしの隣人とはだれですか」との律法の専門家の問いかけに、イエスは「善きサマリア人のたとえ話」を語り始めた。たとえ話では、襲われた人を助けたのは、ユダヤ人が憎んでいたサマリア人だ。律法を厳守していた祭司やレビ人は、襲われた人を無視して通り過ぎたことが描かれている。

普段サマリア人を見下していたユダヤ人は、このたとえ話に衝撃を受けたに違いない。この話は、律法の専門家だけでなく、イエスの弟子たちにも向けられていると思う。ルカによる福音書9章51節を見ると、弟子たちはイエスと共にエルサレムに向かうため、サマリアを通ろうとした際に、村人に歓迎されず、別の村に行ったと記されている。この経験によって、弟子たちはサマリアに対する怒りを感じていた。イエスは、このたとえ話を通じて、目の前にいる律法の専門家のみならず、ご自身の弟子たちにも「隣人愛」の真の意味を理解させようとしたのではないかと考えられる。

イエスは「自分側の人」だけでなく、他者や敵に対しても愛を表すべきであることを示している。イエスの十字架の死は、すべての者に対する神の慈しみ深い愛である。私たちも「隣人愛」を振り返り、自分の隣人は誰なのかを考え直す良い機会と捉えるべきなのだ。差別や偏見に囚われず、イエスの教えを実践することで、より豊かな人間関係と愛の共同体を築いて歩んでいきたい。




12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》