「暗きの力には負けない」
聖書箇所 マタイ12:43-50。403/377。
日時場所 2025年8月31日平安教会朝礼拝式
森まゆみの『暗い時代の人々』(朝日文庫)は、戦争中に「精神の自由」を掲げて戦った9名の人々について書かれてあります。【〈満州事変勃発から太平洋戦争終結にいたるまでの、あの「暗い時代」。その時、人々は何を考えていたのか、どこが引き返せない岐路だったのだろうか。この本の中でわたしが書いたのは、最も精神の抑圧された、1930年から45年の「暗い時代」に、「精神の自由」を掲げて戦った人々のことである〉(本書まえがきより)】。
森まゆみは、『暗い時代の人々』(朝日文庫)のなかで、画家の竹久夢二をとりあげています。竹久夢二は大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」と言われる人でした。多くの美人画を残しています。
『暗い時代の人々』には、竹久夢二が京都で過したときのことが記されています。【同年、夢二は京都へ逃げた。最初は御所西の友人・堀内正の家に世話になる。富士登山で知り合った人だそうだ。どうでもいいことであるが、この人はどうもわたしの祖父と同じ頃の東京歯科医専の学生らしい。のちにイリノイ大学に学び、歯科医になった】(P.142)とあります。以前、教会員の堀内弥枝さんからお家に竹久夢二が出入りしていたというような話をお聞きしたことがありましたので、堀内弥枝さんに確認をいたしました。「御所西の友人・堀内正の家」という記述の「堀内正」というのは、「堀内清」のことで、堀内弥枝さんの夫の堀内寬さんのお父さんです。堀内清さんは平安教会員です。暗い時代の竹久夢二を、私たちの教会の人たちが支えているということです。
竹久夢二は関東大震災がおこったあと、まもなくして絵入りのルポルタージュの『東京災難画信』を『都新聞』に連載します。
竹久夢二は「自警団遊び」をしている子どもたちの姿も描いています。【「万ちゃん、君の顔はどうも日本人じゃないよ」と豆腐屋の万ちゃんを掴(つか)まえて、一人の子供がそう言う。郊外の子供達は自警団遊びをはじめた。「万ちゃんを敵にしよう」「いやだあ僕、だって竹槍で突くんだろう」万ちゃんは尻込みをする。「そんな事しやしないよ。僕達のはただ真似なんだよ」そう言っても万ちゃんは承知しないので餓鬼大将が出てきて、「万公! 敵にならないと打殺(ぶちころ)すぞ」と嚇(おど)かしてむりやり敵にして追かけ廻しているうちに真実(ほんとう)に万ちゃんを泣くまで殴りつけてしまった。子供は戦争が好きなものだが、当節は、大人までが巡査の真似や軍人の真似をして好い気になって棒切(ぼうぎれ)を振りまわして、通行人の万ちゃんを困らしているのを見る。ちょっとここで、極めて月並みの宣伝標語を試みる。「子供達よ。棒切を持って自警団ごっこをするのは、もう辞止めましょう」】。
明日は関東大震災から102年の日になります。関東大震災では自警団による朝鮮人や外国人に対する虐殺が行われました。そうしたことがなかったかのように言う政治家も出てきました。しかし竹久夢二は「自警団遊び」の子どもたちの姿を描きながら、自警団をつくって外国人を竹槍で突く人たち、またその風潮を批判をしています。
今日の聖書の箇所は「汚れた霊が戻ってくる」「イエスの母、兄弟」という表題のついた聖書の箇所です。マタイによる福音書12章43−45節にはこうあります。【「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」】。
人はなかなか悔い改めることができないものです。イエスさまの教えを聞いて、一度は悔い改めるわけです。しかしそう長く続くこともなく、「まあいいか。神さまはやさしいから少々悪いことをしても許してくださるに違いない」というような思いになり、いいかげんになってしまいます。そして以前よりも悪い人間になってしまうということがあります。これを汚れた霊の側から見ると、イエスさまの譬えのようになるわけです。汚れた霊はイエスさまによって追い出されて、いろいろなところを一時期さまようけれども、また帰ってみると住みやすい人間になっていて、「これはいい」ということで、仲間の汚れた霊を連れてきて、その人の中に住み込むというわけです。
イエスさまの時代、暴力的な王さまがいなくなったと思って喜んでいると、そのあとの王さまがもっと暴力的などうしようもない王さまで、人々はとても苦しい思いをして生きていかなければならないというようなこともありました。汚れた霊に取りつかれたような王さまがいなくなったけど、そのあとまたもっとすごい汚れた霊に取りつかれた王さまが現れるというようなことがあるわけです。そうしたことがありますから、イエスさまの時代の人々は国家もそういうことがあるから、人間の場合もたしかにそうしたことがあるよなあと思いながら聞いていただろうと思います。
私たちの国であります日本は、アジア・太平洋戦争のあと、いろいろな苦労もありましたが、それでも経済発展をとげ、アジア・太平洋戦争よりも前の時代よりも、自由で思いやりのある社会を作り出すことができました。しかし戦争のあと、あまりうまくいかない国というのもあります。独裁者が支配していた国が滅んだけれども、そのあとあまり国の運営がうまくいかず、軍隊によって治められるような国になったり、過剰に宗教的な支配体制になってしまい、不自由な国になってしまうというような場合もあります。
悪い時代の雰囲気というのは、なかなか恐ろしいもので、取りつかれると、そこに生きている人々が、みんな「まあ、いいか」「しかたがないか」と思っているうちに、ますます悪いようになってしまうということがあります。
マタイによる福音書12章46−50節にはこうあります。【イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」】。
イエスさまはファリサイ派の人々や律法学者たちと対立をしていました。そのことでイエスさまの家族の人たちは心配をしていました。イエスさまのことも心配ですし、またイエスさまがファリサイ派の人々や律法学者たちと対立しているために、自分たちもまた危険にさらされるかも知れないという心配がありました。それでイエスさまをお家に引き戻そうと思って、イエスさまのお母さんのマリアさんや、イエスさまの兄弟たちがイエスさまのところにやってきました。
ある人が、イエスさまに「お母さんや兄弟たちが、外にたっておられますよ」と教えました。そのときイエスさまは「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言われます。そして弟子たちの方を指さし、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言われました。弟子たちもうれしかっただろうと思います。そしてイエスさまはファリサイ派の人々や律法学者たちを恐れて、自分を家に連れ帰ろうとしている家族たちではなく、自分と一緒に、神さまの御心を行う人たちが、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだと言われました。
イエスさまは血のつながりではなく、神さまの御心を行なうということで、私たちはつながっているのだと言われました。血のつながりであれば、それはもう決まったことですから、どうしようもないわけです。しかしイエスさまと同じように、神さまの御心を行なうか、行なわないかということであれば、もしかしたら自分もイエスさまの家族になることができるということです。イエスさまの周りには、いろいろな事情で家族からやっかいものとされている人たちもたくさんおられました。そうした人たちも、大好きなイエスさまの家族となることができるわけですから、とてもうれしいことだと思います。
まあただ、「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」ということですから、神さまの御心を行う人にならなければならないわけです。ちょっとハードルが高いなあということもあるかと思います。自分の生活を振り返った時に、「ちょっとわたし自信ないなあ」とわたしなどには思えます。
イエスさまの弟子たちは、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」とイエスさまから言われて、とてもうれしかったと思います。しかしそれではイエスさまの弟子たちが、いつもいつも神さまの御心を行う人であったのかと言いますと、そういうことでもありませんでした。イエスさまの弟子たちは、イエスさまが十字架につけられたとき、みんな逃げ出してしまいます。イエスさまを裏切ってしまいました。そういう意味では、イエスさまの弟子たちは、いつもいつも神さまの御心を行う人ではなかったわけです。
イエスさまの弟子たちも、私たちも人間ですから、いつもいつも神さまの御心に適う人であることはできないかも知れません。誘惑に負けて、「ああ、だめな人間だなあ」と思うようなことをしてしまうことがあるかも知れません。もっといい人間として歩めたらいいのになあと思いながらも、でもまあそんないい人間になることは実際できないよという思いをもつことが多いと思います。
はじめは「悔い改めなければ」という思いで歩むわけですが、そうそう心の清い思いは続かず、いつのまにかあきらめてしまって、以前よりも悪い状態になってしまう。汚れた霊が離れさったけれども、しばらくしてまた仲間をたくさん連れて住み込んでしまうのです。そうしたこころの弱さを私たちはもっています。
それでも、少しでも神さまの御心に適った者でありたいと思うのも、私たちです。なるべく神さまの御心に適った生き方をしたい。神さまの御心に適うことができないにしても、神さまから残念に思われるような生き方はしないようにしたい。少しは神さまから「あなた、いいね」といわれる生き方をしたい。そのように思います。
イエスさまは「この悪い時代の者たちもそのようになるだろう」と言われました。かつて私たちの信仰の先達は、「暗い時代」を生きました。クリスチャンであることのゆえに、治安維持法によって、刑務所に入れられるという「暗い時代」です。こんど、10月5日に韓日教会合同礼拝が、京都復興教会でもたれます。京都復興教会の前身の京都朱雀(すじゃく)教会は迫害を受けた教会です。クリスチャンにとってだけでなく、その時代は多くの人々にとって、「暗い時代」でありました。アジア・太平洋戦争の時代は、治安維持法という悪法がまかり通る「暗い時代」でありました。そうしたなかにあって、「精神の自由」を掲げて戦った人たちがいました。
イエスさまの弟子たちがそうであったように、私たちはそんなに勇敢な人間でもないですし、なにかあると逃げ出してしまいそうになる弱さをもっています。それでもこころの中に、「暗きの力に負けない」という気持ちをもっていたいと思います。神さまの御心を行う人でありたいという気持ちをもっていたいと思います。私たちのプロテスタント教会の始まりである、宗教改革者のマルティン・ルターもまた「暗きの力に負けない」という気持ちをもって歩んだ人でした。そのあと歌います、讃美歌21-377番「神はわが砦」は、マルティン・ルターがつくった讃美歌です。
私たちは弱い者でからこそ、神さまにたよって歩んでいきたいと思います。神さまが私たちの砦であり、神さまが私たちの盾であることを、こころのなかにおいて歩んでいきたいと思います。
(2025年8月31日平安教会朝礼拝式)