2024年8月30日金曜日

8月25日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「光指す方へと歩む」

「光指す方へと歩む」 

聖書箇所 ヨハネ8:12-20。494/509。

日時場所 2024年8月25日平安教会朝礼拝式


長野県の諏訪湖は冬になると氷がはって、ところどころに「釜穴」と呼ばれる大きな穴ができます。湖の底からメタンガスがわき出で、そのため湖に凍らない部分ができるので、それが「釜穴」という穴になるようです。諏訪湖ではこどもがスケートを行なっているのですが、この釜穴に落ちるというようなことがあります。ちょっとおそろしい話ですが、釜穴に落ちたとき、どうしたらいいのかということが、科学実験データベースにのっています。

【私の子どもの頃、諏訪湖は年内に結氷しスケートが盛んでした。「釜穴」は諏訪湖が全面結氷したときに現れる円形の穴の呼び名でした。上諏訪側の湖中に温泉が間欠的(かんけつてき)に吹き出す穴が幾つもあり、そこは冬でも氷が張ることはありませんでした。子どもたちは下駄にスケートの刃をつけた下駄スケートで遊びましたが、滑りが良く、勢い余って「釜穴」に落ちる事が度々ありました。厚い氷の下に滑り込むのですから、それはとんでもない事故になりかねません。当地では子どもたちは「水中から見ると釜穴の出口は暗く見える。開口部は明るい方ではなく暗いほうだ」と口を酸っぱくして教えられました。そのときは「開口部は暗い方」と覚えていただけに過ぎませんが、大人になった今は、この理由を説明することができます。つまり、開口部の水面は水鏡と言われるように光が反射されますが、氷の部分はガラスと同じで光が水面に透過します。ですから、水中から見ると水面の方が暗く見えるのです】(https://proto-ex.com/column/615.html)。

みなさんももし諏訪湖で釜穴に落ちたら、水中から見ると水面の方が暗く見えるので、湖の底から暗く見えるほうに泳いで上ってください。まあ凍っている湖の中に落ちるというようなことは、ジェームズ・ボンドではないので、ないとは思います。ジェームズ・ボンドは、『スカイフォール』という映画のなかで、凍った湖に落ちています。でも出口が明るいほうではなく、暗いほうだというのは、なかなか精神的にきついものがあるなあと思いました。

今日の聖書の箇所は「イエスは世の光」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書8章12−13節にはこうあります。【イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」】。

イエスさまはご自分のことを、いろいろな象徴的なもので言い表されます。「わたしは命のパンである」、ヨハネによる福音書6章22節以下、新約聖書の175頁では、そのように記されてあります。「わたしは良い羊飼いである」、ヨハネによる福音書10章7節以下、新約聖書の186頁では、そのように記されてあります。今日の聖書の箇所では、「わたしは世の光である」と言われ、イエスさまに従って生きる人は、暗闇の中を歩むことがなく、誤った道を歩むことがないと言われました。それに対して、ファリサイ派の人々は、自分のことを「わたしは世の光である」というように、すばらしい人のようにいうのは、おかしなことだ。自分のことを誇っている。傲慢になっていると、イエスさまのことを批判しました。

ヨハネによる福音書8章14−18節にはこうあります。【イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」】。

あなたたちが指摘するように、たしかにわたしは自分のことについて語っている。しかしそれは誇っているとか、高慢になっているということではなく、真実なことである。わたしは自分がどこから来て、どこに行くのか知っている。わたしは神さまのところから来て、神さまのところに帰っていくのだ。しかしあなたたちはそのことを知らない。あなたたちはわたしを裁けるような人間ではないのだ。あなたたちはやたらと人を裁くけれども、わたしは裁かない。わたしはあなたたちのようにやたらと人を裁くことはしないけれども、わたしの裁きは真実なものである。あなたたちはわたしの証しが正しくないというけれども、わたしについてはわたしだけでなく、わたしの父である天の神さまがわたしを証ししてくださる。神さまがわたしをこの世にお遣わしになられ、そしてわたしは神さまの御心を証ししているのだ。そのようにイエスさまは言われました。

ヨハネによる福音書8章19−20節にはこうあります。【彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。】。

ファリサイ派の人々は、イエスさまに「あなたの父はどこにいるのか」と言います。ファリサイ派の人々は、「あなたはヨセフだろう、ヨセフはいまどこにいるのか。もうヨセフは死んでしまっただろう」というわけです。イエスさまは神さまがわたしの父であると言われるのですが、ファリサイ派の人々はそのことを信じようとはしません。ですからイエスさまはファリサイ派の人々に対して、あなたたちはわたしもわたしの父も知らないと言われます。イエスさまは神さまの御心を行なっておられる。そのためイエスさまはファリサイ派の人々を批判なさる。ファリサイ派の人々は、イエスさまが言っておられることを理解することはできない。ファリサイ派の人々は、イエスさまを捕らえて殺そうとします。しかしイエスさまが十字架につけられるときはまだ来ていません。そのためファリサイ派の人々は、イエスさまを捕らえることはできませんでした。

キリスト教はユダヤ教からの一つの派であったわけですが、ユダヤ教から独立をすることによって、イエスさまを慕っているユダヤ教から、キリスト教という一つの宗派になるわけです。ヨハネによる福音書9章22節には、【ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。】と記されています。新約聖書の185頁です。ヨハネによる福音書はそうした時代を背景にして書かれています。ユダヤ教はローマ帝国の公認宗教でしたので、そこから追い出されるということは、異端宗教になるということを意味しました。そのためキリスト教のなかに留まるのではなく、ユダヤ教に帰っていくという人たちも出てきました。そうしたことが背景にありますから、ヨハネによる福音書はイエスさまにつくのか、ファリサイ派の人々につくのかということが、ほかの福音書よりも、激しく問われているわけです。

公認宗教ではなく異端宗教になるわけですから、初期のクリスチャンたちは迫害を受けることになります。クリスチャンであるのか、ユダヤ教に戻っていくのか。ユダヤ教に戻っていくことのほうが、平穏無事な感じがしますと、その方(ほう)が光が指している道であるような気がします。しかし初期のクリスチャンたちは、イエスさまの「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」という言葉を信じて、イエスさまに従いました。イエスさまが神さまの御心を行ない、イエスさまが人々の悲しみや苦しみに寄り添ってくださる、神さまの御子であり、救い主であることに、初期のクリスチャンは気づいていたからです。イエスさまの言葉を信じ、こちらが光さす方(ほう)であると信じて、初期のクリスチャンは歩みました。

フォトジャーナリストのユージン・スミスは、水俣病患者に寄り添い活動をしました。写真集『MINAMATA』に収録されている「入浴する智子と母」が代表作だと言われています。ユージン・スミスの写真でもう一つ、有名な写真は「楽園への道」といわれる作品です。庭で遊んでいる男の子と女の子が、光が差すほうへと歩み始めるという写真です。ユージン・スミスはアジア・太平洋戦争の時に従軍記者として沖縄に行きます。そして沖縄で砲弾にあい、全身を負傷し、左腕に重症を負います。そしてもう写真をとることはできないと思っていました。

【沖縄戦での負傷により入院後も自宅での療養生活を余儀なくなくされ、スミスは肉体的に写真家として復帰できないかもしれないという絶望の中にいた。しかい、それを救ったのが1940年に結婚した当時の妻カルメンとの間に生まれた子どもたちだった。裏庭で遊んでいた二人の子ども、ケヴィンとワニータが明るい場所へ歩みだそうとする瞬間をとらえたこの作品を、スミスは戦後はじめてシャッターを押した写真だと語っている。スミスが戦争での精神的ダメージから立ち直る第一歩、そして写真家としての復帰を記念する一枚となった】(「フォトジャーナリスト W.ユージン・スミスの見たものー写真は真実を語る」 2021年11月5日〜25日、フジフィルムスクエア)ということです。

【この「楽園へのあゆみ」は、そのころ世界最大の自動車会社だったフォード社の広告に使われて、アメリカじゅうの人びとの目にふれることになりました。暗いところから明るいところへ、まさにあゆみだそうとしている子どもたちの写真は、ユージンとおなじように、戦争へのいやな思い出をわすれることができずにいた人たちに、明るい未来を感じさせました】(土方正志『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』、偕成社)(P.32)。

私たちもまたいろいろな困難に出会うときがあります。気が滅入ってしまい、もうどうでもいいわと思う時もあります。光が差すとは思えないような気になる時もあります。しかしイエスさまは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」と言ってくださり、私たちを招いてくださっています。世の光であるイエスさまは、私たちの歩む道を照らしてくださり、私たちに良き道を備えてくださいます。世の光であるイエスさまを信じて、イエスさまが導いてくださる道を歩んでいきましょう。



  

(2024年8月25日平安教会朝礼拝式)


2024年8月21日水曜日

8月18日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「これからは、もう罪を犯してはならない」

「これからは、もう罪を犯してはならない」

聖書箇所 ヨハネ8:3-11。510/514。

日時場所 2024年8月18日平安教会朝礼拝


アジア・太平洋戦争において民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦は沖縄戦です。沖縄戦の日本側の死亡者は約19万人で、そのうち沖縄の住民は9万4000人だと言われています。日本軍にとって沖縄戦は本土防衛を考える上で、戦略的に重要な位置づけの戦いでした。またアメリカ軍にとっても今後の世界戦略にとって、とても重要な根拠地でありました。そのため沖縄戦は熾烈を極め、また戦後沖縄はアメリカ軍の管理下におかれることになります。そしていまも沖縄にはたくさんのアメリカ軍の基地があります。また沖縄の辺野古に新基地を日本政府は作ろうとしています。

沖縄には「チュニ クルサッテー ニンダーリーシガ チュクルチェー ニンダラン」、「他人に痛めつけられても眠ることはできるけれども、他人を痛めつけたら眠ることはできない」ということわざがあります。「チュニ クルサッテー ニンダーリーシガ チュクルチェー ニンダラン」、「他人に痛めつけられても眠ることはできるけれども、他人を痛めつけたら眠ることはできない」。ですから自分たちの苦しみの原因である基地を、他の県に移したらいいというふうにはなかなか言えないのです。こうした沖縄のやさしいこころを踏みにじるような形で、本土の私たちは沖縄に基地を押しつけてきました。そしてまた辺野古に新基地という重荷を負わせようとしています。

ある事柄について反省する場合、同じことを二度としないということが大切です。しかし日本の本土の沖縄に対する態度のように、何度も何度も同じことを繰り返してしまうということがあります。染み付いた体質というようなことがあるのでしょうか。しかしなんとかしてそうしたものから解き放たれて、新しく歩み直すということが大切です。

わたしは京都教区の沖縄「合同」特設委員会の委員長をしています。この委員会では2年に一度、沖縄へ現地研修に出かけます。2月の17日から20日にかけて行われます。みなさんのなかにも一緒に沖縄にいって研修のときをもちたいと思う方がおられましたら、ぜひわたしにお声をかけてくださればと思います。

今日の聖書の箇所は「わたしもあなたを罪に定めない」という表題のついた聖書の箇所の一部です。この話はヨハネによる福音書にだけ出てくる話です。〔〕がついているので、この話は後代の付加であると言われています。

ヨハネによる福音書8章3−6節にはこうあります。【そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。】。

律法学者たちやファリサイ派の人々が、イエスさまのところに女の人を連れてきました。この人は姦淫の現場で捕まった人でした。男の方はどこにいってしまったのだろうという疑問もわきますが、とにかく連れてこられたのは女の人でした。モーセの十戒にも【姦淫してはならない】(出エジプト記20章14節)とあります。この女性は姦通をしているときに捕まったのですから、現行犯逮捕であるわけです。なかなか言い逃れできそうにありません。律法学者たちは姦淫をした女の人をイエスのところに連れてきたら,イエスは「許してあげなさい」というだろうと思っていました。そしてそのことでイエスさまを訴えようと思っていました。しかしイエスさまはかがみ込んで、指で地面に何か書き始められました。イエスさまは律法学者たちを無視したわけです。(イエスさまが地面に何を書かれたのかということも、気になることですが、聖書には何も記されてありません)。

ヨハネによる福音書8章7−9節にはこうあります。【しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。】

イエスさまは律法学者たちを無視していたのですが、彼らはしつこくイエスさまに問いかけてきました。そこでイエスさまは彼らに「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。そしてまたイエスさまは身をかがめて地面に何かを書き続けられました。律法学者たちやファリサイ派の人々がうるさいのに対して、イエスさまは静かです。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と、一言、言われただけでした。人は自分の側に正義があると思えるとき、うるさく騒ぎ立てます。しかしイエスさま静かでした。ただ一言、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。この静かな一言がよかったのでしょうか、年長者から始まって、一人また一人と立ち去っていきました。

この「年長者から始まって」というところがいいところですね。日本でも戦争を知らない政治家たちが、威勢のいいことを言ったりします。しかし保守的であると言われていた年長の政治家の人たちが、「戦争を賛美するようなことを言っていけない」と言ったりします。実際に戦争や戦後を経験した政治家たちは、それでもやはり戦争でどれだけ人々が苦しみ悲しみ、みじめであったかということを見ているからでしょう。

ヨハネによる福音書8章10-11節にはこうあります。【イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕】。

幸いなことに、姦通の罪を犯した女性を裁いていた人々はみんないなくなってしまいました。人を裁くということは、自分が裁かれるということでもあります。イエスさまは【人を裁くな】と言われ、【あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる】(マタイ7章2節)と言っておられます。「まあそれではだれが人を裁くことができるんだ」ということもありますけれども、ただやはり人を裁くということは自分に返ってくることであり、誠実に裁かなければならないということです。

姦通の罪を犯した女性の周りには、この女性を裁く人がいなくなったわけですが、しかしだからと言ってこの女性がしたことが消えてなくなるということでもありません。罪は罪として残っているわけです。まして周りにいた人々は、彼ら自身の罪に向き合って、彼女を裁くことなく去って行ったのです。自分だけ「裁かれなくて、よかった」というわけにはいきません。この女性も悔い改めて、新しく歩み始めなければなりません。そんな女の人に対して、イエスさまは言われました。【「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】。

罪を悔いるということは、新しく生き直すということです。同じ過ちを犯さないようにするということです。そこには心からの決意が必要です。まあこれがなかなかむつかしいわけです。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)という本の中に「ラク町のお時」という話が出てきます。敗戦後に生活のために身を売るしかなかった女の人の話です。

【もうひとつは、『毎日新聞』にこの投書がのった一九四六年九月と、『星の流れに』が発売された一九四七年一〇月の中間に、NHKが一九歳の街娼(がいしょう)とのインタビューを放送して聴衆にショックをあたえたことである。《このインタビューは売春という裏の社会について、それまでとは違う見方を提供した。一九四七年四月、隠しマイクで録音されたインタビューで、「ラク町のお時」ー街娼が多かった有楽町のお時ーという名前で紹介された彼女は、その界隈の娼婦たちのあねご株という話であった。インタビューした男性アナウンサーは、彼女を目に浮かぶような言葉で紹介した。背が高く、顔立ちは端正で、水兵風の濃紺のズボンと薄紫のセーターを身につけ、髪は黄色のバンドで流行風に束ねている。顔はとても美しく、肌は透き通るように白く、眉毛は濃く、唇は真赤に塗っている。しかし話をすると、やくざのような口元を曲げて話す感心できない癖があった。当時のおときの写真は、その唇のゆがみをとらえている。おときの言葉は、彼女の外見よりもさらに強烈な印象を与えた》。

そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もないワタシたちはどうして生きていけばいいの・・・・・好きでサ、こんな商売している人なんて何人もいないのヨ・・・・・それなのに、苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は、アイツはパン助だって指さすじゃないの。ワタシは今までに何人も、ここの娘をカタギにして送り出してやったわヨ。それが・・・・・みんな(涙声になる)いじめられ追い立てられて、またこのガード下に戻ってくるじゃないの・・・・・世間なんて、いいかげん、ワタシたちを馬鹿にしてるわヨ・・・・・

この放送から九ヶ月たったころ、インタビューした男性は、お時から一通の手紙を受け取った。それは堕落と救済の完璧な物語のようであった。その手紙には、ラジオから流れる自分の声を聴いて私はショックをうけました。その声はまるで「悪魔のよう」で、それがきっかけで私は通りに立つのをやめて職をみつけました。世間の風はやはり冷たく、しょっちゅう挫けそうになるけれど、がんばろうと思っていますと書いてあった】(P139)(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』、岩波書店)(『「文藝春秋」にみる昭和史』第二巻、文藝春秋、1982年、59-62頁)。

《【それから九ヶ月、ボクは、お時さんのことを、忘れるともなく忘れていたが、その年の暮も押しせまった頃、西田時子という見知らぬ女性からの達筆の手紙をもらった。それは、思いがけぬお時さんからの便りであった。

ー女だてらに思い上がって、パン助たちに姐さんと呼ばせ親分と慕われて、いい気になっていた私は、何という馬鹿な女でしょう。あの晩、藤倉さんに威張ったように「らく町」の女を一人でも多く更生させるためには私自身がヤクザの足を洗い現実の社会に飛び込み、その苦しみを味わわなければと東京を去り、市川市のある会社に勤めました。ずいぶん堅い決心でカタギの生活に入りましたが、浮世の風は冷たく、決心も時にはくずれそうになります。そんな時、フイと思い出すのはあの晩の藤倉さんの言葉です。「あなたの力で一人でも多く、ここの娘たちを更生させて下さい・・・・・」これを思い返して私はまた心をかため、強くなろうとしておりますー。】(P.62)(藤倉修一「らく町お時の涙」『「文藝春秋」にみる昭和史』第二巻、文藝春秋)。

らく町のお時はラジオから聞こえてきた自分の声が、まるで悪魔のようであったことにショックを受けて、その道から足を洗うことにしました。そしてカタギの生活に戻ったけれども、世間は冷たく、決心も崩れそうになることもあった。しかしNHKの記者の「あなたの力で一人でも多く、ここの娘たちを更生させて下さい・・・・・」という言葉に励まされて、やっぱりしっかりと生きておこうと思い直したのでした。だめな自分に気がつき、新しく出直すことの尊さということがあります。

日本基督教団は1967年3月26日に、当時の日本基督教団総会議長の鈴木正久の名前で、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出しました。【「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります】。

8月6日の広島原爆記念日、8月9日の長崎原爆記念日を迎え、そして先週の木曜日に、8月15日の敗戦記念日を迎えました。姦通をした女の人に「これからは、もう罪を犯してはならない」と言われたイエスさまは、私たちにもまた「これからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。

戦後79年という月日がたち、戦争や平和をめぐる状況は、大きく変わりました。しかし以前として変わらないこともあります。戦争によって多くの人々が悲惨な目にあい、悲しみが憎しみをつくり出し、憎しみが暴力を生み、暴力が新たな憎しみを生み出していきます。

79年前に敗戦を経験した私たちは、「もう罪を犯してはならない」というイエスさまの言葉をしっかりとこころにとどめたいと思います。神さまの平和がきますようにと、お祈りいたしましょう。


(2024年8月18日平安教会朝礼拝)


2024年8月15日木曜日

8月11日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師) 「あなたがすべてをご存じです」

 「あなたがすべてをご存じです」

日時場所 2025年8月11日平安教会朝礼拝・きてみてれいはい

聖書箇所 ヨハネによる福音書21章15ー19節。470/493。


わたしが初めて教会で働き始めたのは、岡山教会という教会でした。そこで牧師になる前の伝道師という仕事をしていました。岡山教会での思い出と言いますと、わたしはわたしが教会でしたいろいろな失敗を思い出します。いろいろとご迷惑をおかけいたしました。まあもう35年も昔のことですので、昔話になっています。

むかし、むかしのことじゃった。それは小笠原牧師が、岡山教会で伝道師をしておったときのことじゃった。小笠原牧師は、その教会でいろいろな印刷物をつくっておったそうな・・・・・。教会では週報とか月予定表とか、行事の案内とか、その他いろいろ印刷物を作ります。そのときは、伝道所の週報というのもつくっていました。なかなかたいへんでした。そうした印刷物というものは、ワープロで打ち込んで、そのあと一生懸命に、間違いがないか探すわけです。これがなかなか大変です。自分がつくった印刷物というのは、意外に誤りが見つかりません。だいたい私たちはひとの間違いを探すのはとてもうまいのですが、自分の間違いを探すのは得意でないからです。わたしはよく印刷物が間違っていて、怒られていました。男の人に、「姉」とつけたり、集会の日時や曜日が違っていたり、集会の時間が間違っていたり、人の名前が間違っていたりするわけです。そうすると、いろいろと言われるわけです。言われてあたりまえですけど。「小笠原伝道師は印刷物の間違いが多すぎる」。

たしかに多いのです。まあ男の人に、「姉」と付いていたら、その人は怒るかも知れませんが、まあそれでも特別おおごとにはならないのです。しかし集会の日時や時間が違っていたら、これはたいへんなことになります。「今日は祈祷会だれもこんなー」と思っていると、1時間、時間を間違えて週報に書いていたりしました。まあそんなこんなで、いろいろとご迷惑をかけていたわけです。ほんとうに申し訳ないことでした。そんなことが毎週のように続いたことがありました。こちらとしては一生懸命に間違いを探しているわけですが、それでも、印刷物には間違いがでてしまうのです。それでひどく怒られたり、苦情が殺到したりしました。

「これではだめだ」と思って、その次の週。ワープロの原稿を念入りに調べました。そしてこれで間違いがないだろうと思って、原稿を印刷機にかけ印刷しました。やっとできあがったと思って、ひょいと目を印刷物に目を通すと、間違いがあるのです。だいたい間違いというのは、原稿の段階で見つかるのではなく、印刷の直後に間違いがあるのがわかることが多いのです。たいした間違いではありませんでした。しかしこのところ印刷物の間違いが続いていました。「ありゃー、どうしよう」。もう200枚ほど印刷してしまっています。あたりを見回しました。だれも見ていない。しかたない。この200枚は没にして、また刷り直そう。急いで、わたしは間違いを直して印刷物をすり直しました。しかし間違った印刷物をこのままこの部屋に置いていると、「小笠原伝道師が、また間違った」とわかってしまいます。そこでわたしは自分のかばんをもってきて、証拠隠滅を謀りました。

200枚の印刷物というと、なかなか厚みがあります。それを無理矢理にカバンに押し込んで、ぱんぱんになったカバンを抱えて、事務室から出てきたときに、主任牧師に会いました。「小笠原、なんか重そうなカバンだね」。わたしは「はー、いろいろと本とか入ってますので」と言いながら、そそくさと事務室をあとにしました。「そんなこんなで、小笠原さんの家には、メモ用紙がいつもいっぱいありました。めでたしめでたし」。ではなくて、200枚の印刷物というと、メモにするには多すぎます。それでわたしはパソコンで試しに印刷するときに使っていました。試し印刷をするとき、いつもその紙を見ながら、思い出すのです。「ああ、これは、わたしが印刷を間違えて、こそこそと持ち帰った印刷物じゃないか」。それでその「紙」を見るたびに、毎回反省するわけです。「わたしが悪かった。わたしが悪かった」。「人は知らないけど、この紙は知っている」。「人は知らないけど、神は知っている」。「人は知らないけど、神さまはご存じだ」。おあとがよろしいようで・・・。まあ、かと言って、その後、印刷物の間違いがなくなったのかというと、やっぱりよく間違えていました。

そのほかにもいろいろと失敗をしました。失敗をして怒られることもありますが、またかばってもらえることもあります。わたしが失敗をしたときに怒った人が、また別の失敗をわたしがしたときに、かばってくれたりします。とてもありがたいことだと思いますし、教会はこうした温かさのなかで生き生きと息づいているということを知らされたりしました。

こんなわたしが牧師をしていられるのも、キリスト教が失敗者の宗教だからです。キリスト教の大きな特色は、それは失敗者が、イエス・キリストを宣べ伝えたということでした。イエスさまの弟子たちはみな、イエスさまを裏切りました。なかでも使徒ペトロはそうでした。しかしそのペトロが初期のキリスト教で、大切な働きをしました。ペトロは、初期の教会のかしらとして用いられたのです。

ふつう公的な書物には、失敗したことはあまり出てきません。岡山教会の創立120周年記念誌を、ひさしぶりに読みました。するとわたしについてのことも書かれてあります。23頁に書かれてありました。「牧会最初の経験ー山崎伝道所にてー」。そこで、わたしは伝道所の活動を支える若々しい伝道者として書かれています。だれがこんなふうにいいように書いてくれているのかと、名前を見ると、わたしでした。写真も載せてくださっていて、とてもこの好青年が、印刷物の間違いの多いとんでもない伝道師で、その失敗を隠した卑怯な伝道師には見えません。わたし自身、せっかくの記念誌なので、やっぱり自分のした失敗を載せるよりも、すこしは働いたということを載せたかったのでしょう。自分で言うのもおかしいですが、まあそれが人情というものです。しかし聖書は違います。いろいろな人が失敗したことがのっています。旧約聖書もそうですし、新約聖書もそうです。りっぱな人たちのことがのっているのではなく、いろいろな人の失敗がのっています。それはキリスト教が失敗者の宗教だからです。

今日の聖書の箇所で、イエスさまからペトロは【「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」】というふうに言われました。そしてペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」というふうに答えています。ここで大切なことは、ペトロが自分の判断で、イエスさまを愛しているということを証明しようとしているのではないということです。ペトロは「あなたがご存じです」と言い、イエスさまにその判断を委ねています。「わたしの愛の深さは、海よりも深い」というふうに、自分はこんなにもイエスさまを愛しているということを述べません。ペトロはイエスさまにその判断を委ねているのです。

そのあと、イエスさまはまた、ペテロに同じ質問をします。そしてペトロも同じ答えをして、イエスさまから一度目と同じように「わたしの羊の世話をしなさい」と命じられます。

そして、そのあと、またペトロに「わたしを愛しているか」という同じ質問をします。それに対して、ペトロは心を痛めます。ペトロが心を痛めたのにはわけがあります。それはイエスさまが十字架にかけられるまえに、ペトロがイエスさまのことを三度知らないと答えたことに関係しています。

ペトロがイエスさまから「わたしのことを三度知らないと言うであろう」と言われる話は、ヨハネによる福音書13章36ー38節にあります。新約聖書の196頁です。またじっさいにそのように行ったことが述べられるのは、ヨハネによる福音書18章15ー18節と、18章25ー27節です。新約聖書の204,205頁です。

ペトロは自分がイエスさまのことを知らないと三度言ったことを、イエスさまから「わたしを愛しているか」と三度尋ねられたことによって思い起したのです。ペトロはイエスさまが十字架につけられるときに、イエスさまから逃げ、そしてイエスさまのことを知らないと三度言ったのです。そのことを思い出して、ペトロの心は痛んだのでした。

イエスさまがペトロに対して、三度「わたしを愛しているか」という質問をするという、今日の箇所は、ペトロにとってとてもつらい話であるというふうに、わたしは思います。イエスさまはペトロに対して、ここまでしなくてもいいのではないかというふうに思ってしまいます。

しかしイエスさまがペトロの裏切りに触れることなしには、ペトロはやはりほんとうの意味で、イエスさまに従っていくことはできなかっただろうと思います。イエスさまから過去の触れられたくない出来事を思い出させる、三度の「わたしを愛しているか」という質問をされることによって、ほんとうの意味で、ペトロは心の傷がいやされたのだと思います。イエスさまは、ペトロがイエスさまを裏切ったという出来事に対して、ペトロを直接しかるということをなさいませんでした。しかるのではなく、ペトロ自身にそのことをしっかりと心に刻みながら、これからの歩みをするようにと促されたのでした。

キリスト教は失格者が広めた宗教であります。私たちの世の中、とくに日本の社会では、ふつう失敗というものが許されません。受験に失敗するとか、会社で失敗するということは、すぐに評価に跳ね返ってきます。しかし初期のキリスト教はそうではなく、失敗した者が許されることによって、宣べ伝えられたものでした。イエスさまを三度知らないと言ったペトロは、ふつう私たちの社会では通用しないだろうと思います。生半可な失敗でなく、ペトロが犯した失敗というのは徹底した失敗であり、とりかえしのつかない失敗であるからです。私たちの社会の常識ですと、ペトロは一生そのことを気にしながら、キリスト教とは関係のないところで生きていくということを余儀なくされるというのがふつうです。しかしイエスさまは、ペトロを信頼できない失格者として退けられたのではなく、彼をゆるし、新しい告白へと導き、ペトロに新しい力を与えられたのでした。

ペトロはイエスさまによって許されたとき、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われています。ペトロは許されたとき、イエスさまによって与えられた仕事は、もっとも大切な仕事でありました。ふつうは失敗した後に与えられる仕事というのは、「とりあえずこの仕事をやってみろ。その様子と頃合をみて、ほかの重要な仕事に参加させるから」というのが、私たちの世の中です。しかしイエスさまはそうではなく、ペトロを許し、そしていちばん重要な仕事をペトロに命じられたのでした。

イエスさまによって許され、そして同時に大きな役割を命じられたことによって、ペトロは新しく生きる決心ができたと思います。それは自分の力を信じて生きていくのではなく、神さまに委ねて生きていくと生き方です。それは「神さま、あなたは何もかもご存じです」という生き方です。すべてを知っておられる神さまにすべてを委ねて歩んでいくということです。「わたしが知っている」ということが大切なのではなく、「神さまがすべてを知っておられる」ということが大切なのです。自分の失敗を他人が知っており、蔑んでいるということが大切なのではないのです。神さまが知っておられ、神さまが許してくださるということが大切なのです。

神さまが私たちの罪を知っておられるのと同時に、私たちの悲しみや苦しみをも知っておられるのです。私たちにとって、それは大きな希望です。神さまは私たちの苦しみや悲しみを知っておられるのです。神さまは私たちを裁くためにおられるのではなく、私たちの悲しみや苦しみを知り、その悲しみや苦しみを共にしてくださるかたなのです。私たちは私たちの罪をすべて知っておられ、また私たちの悩みや苦しみや悲しみをすべて知っておられる神さまに自らを委ねることが大切なのです。

神さまは私たちを大きな愛で包み込んでくださり、私たちの嘆きや悲しみをいやしてくださるのです。すべてを知っていてくださる神さまの、大いなる赦しと、祝福の中に、私たちは生かされています。このことに希望を置いて歩んでいきましょう。




(2025年8月11日平安教会朝礼拝)


2024年8月9日金曜日

8月4日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「神さまの平和を求める」

「神さまの平和を求める」

聖書箇所 ヨハネ7:1-17。417/425。

日時場所 2024年8月4日平安教会朝礼拝式・平和聖日


今日は私たちの属する日本基督教団が定めた「平和聖日」です。金曜日、土曜日、平安教会では朝7時から早天祈祷会がもたれて、平和のために祈りを献げました。

私たちの国は8月15日に、79回目の敗戦記念日を迎えます。アジア・太平洋戦争において、私たちの国はアジアの諸国に対して侵略戦争を行ないました。8月はテレビなどでも、戦争や平和についての番組があります。しかし以前に比べて、私たちの国がアジアの諸国に対して侵略戦争を行なったということについての反省の番組というのは、少なくなったような気がします。戦争で大変な苦労をした、悲しい思いをしたという内容の番組のほうが多くなったような気がします。

私たちの教会が属しています日本基督教団は、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」という信仰告白を行なっています。(https://uccj.org/confession)。私たちの教会の「交読文」の後ろに方にのっています。

【わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。1967年3月26日 復活主日 日本基督教団総会議長  鈴木正久】。

平和聖日に、日本基督教団の「戦争責任告白」を思い起こしつつ、平和を求める歩みでありたいと思います。

今日の聖書の箇所は「イエスの兄弟たちの不信仰」という表題のついた聖書の箇所です。ヨハネによる福音書7章1−9節にはこうあります。【その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。】。

イエスさまはユダヤ人たちに、「わたしは命のパンである」と言われ、イエスさまを信じる人たちに永遠の命を与えられると言われました。しかしユダヤ人たちはイエスさまを信じようとはせず、イエスさまを殺そうとします。ユダヤのお祭りである仮庵祭が近づいていました。イエスさまの兄弟たちはお祭りのときに、エルサレムに行って、自分の考えを人々に広めたら良いだろうと、イエスさまに言います。しかしユダヤ人たちがいるエルサレムは、イエスさまにとってとても危険な場所です。イエスさまを殺そうとねらっているのです。

イエスさまは「わたしの時がまだ来ていない」と言われました。イエスさまの時というのは、イエスさまが十字架につけられる時ということです。イエスさまの十字架は、神さまが定められた出来事です。しかしまだその時はきていない。そのため、イエスさまはイエスさまの兄弟たちに、「わたしはこの祭りには上っていかない」と言われました。

ヨハネによる福音書7章10ー14節にはこうあります。【しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。】。

イエスさまは「祭りには行かない」と、兄弟たちに言われたのですが、しかし兄弟たちのあとから、隠れるようにして、祭りにいきました。案の定、ユダヤ人たちはイエスさまを探しています。「あの男はどこにいるのか」。祭りだから来ているに違いない。どこかで自分の考えを教え始めるのではないのか。群衆もまたイエスさまのことを噂します。「あの人はいい人だ」。「いやいや、群衆を惑わしている」。しかしイエスさまについてみんなの前で話をしていると、ユダヤ人たちがやってきて、「おまえはイエスの仲間か」と問いただされるので、ひっそりとイエスさまについてうわさ話をしていました。祭りも半ばにさしかかってきた頃、イエスさまは神殿の境内で、人々に教え始められました。

ヨハネによる福音書7章15−17節にはこうあります。【ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。】。

イエスさまが人びとに教えておられた話を聞いたユダヤ人たちは驚きます。私たちについて学問をしたわけでもないのに、どうしてイエスはこんなに聖書についてよく知っているのだろうか。まあイエスさまの時代は、私たちの時代と違って、本がたくさん出版されているというようなことがありません。なにか調べようとしても、独学で勉強するというようなことがむつかしい社会です。聖書のことについて知りたければ、やはりだれかユダヤ教の教師について教えてもらうというようなことが必要でした。しかし自分たちの仲間が教えたということがないのに、イエスは聖書のことをすごく知っている。まあそれでびっくりするわけです。しかしイエスさまは、わたしはわたしをお遣わしになった神さまの御心を伝えているのだから、驚くようなことではない。あなたたちも神さまの御心を行なっているのであれば、わたしが間違ったことを言っていないことがわかるだろう。わたしは自分勝手に話をしているのではなく、神さまの御心を伝えているに過ぎないのだ。そのようにイエスさまは言われました。

ユダヤ人はイエスさまを殺そうとねらっています。人々もイエスさまについて公然と語ることはできません。自由にものを言うことができない雰囲気が社会に漂っているわけです。そうした雰囲気のあるなかで、声をあげて自由に話をするということは、とてもむつかしいことであると同時に、とても大切なことであるわけです。

戦争へ向かっていく途中、「戦争反対」の声をあげることができるときがあったわけですが、しかしだんだんとそういた声をあげることはむつかしくなっていくわけです。それはどこの国でもそうでしょう。いざ戦争状態になってしまうと、「戦争反対」と声をあげることはとてもむつかしいことになるわけです。

『島森路子インタビュー集2 ことばに出会う』(天野祐吉作業室)という本の中で、評論家の鶴見俊輔が、京都の進々堂のパン屋の専務だった續満那(つづき・まな)の戦争中の体験について書いています。(続木満那ではないのか?)。

【海老坂武(えびさかたけし)が、南京大虐殺のときに日本人の中にも虐殺や暴行、凌辱(りょうじょく)を加えなかった兵隊がいただろう、その人が重大なんだ、と言っていたことがあるけれど、それはその通りで、われわれのこれからの模範とすべきは、小林多喜二よりもむしろ、そういう状態でもじっと立っていられる、それだけの制御ができる普通の人間なんです。実際にもそういう人はいて、京都に進々堂というパン屋があって、そこに續満那(つづき・まな)という専務が社内報に書いた話があるんです。彼は招集後すぐに中国に連れていかれて、そこで現地訓練を受けた。その訓練というのが、林の中につないであるスパイを銃剣で突き殺せ、というものだった。その夜、彼は一晩寝ないで考えた、訓練に出ることを拒否するかどうかって。で、現場までは行く、しかし殺さない、という結論に達した。裁判もなにもないままスパイだと決めつけられている人間を、自分はとても殺せない。「續!」と中隊長に名前を呼ばれても、彼は動かなかったそうです。中隊長がつかつかっと寄ってきて、銃の台尻(だいじり)でダンっと尻を殴っても動かなかった。帰ったら兵営で、「おまえは犬にも劣るやつだ。軍靴(ぐんか)をくわえて四つん這いで一周しろ」と命令された。その通りにやってんだけど、同じ中隊にもう一人同じことをやった人間がいて、それは丹波篠山の禅宗の坊さんだったんです】(P.61-62)。

(『パン造りを通じて神と人とに奉仕する 進々堂百年史』、「二等兵物語」P110-111)

続木満那は【自由学園の男子部第一回生として創立者羽仁もと子・羽仁吉一(はに・よしかず)夫妻の薫陶を受けたキリスト者です。満那は1952年、食パンをスライスした状態で包装して販売し始めました。商品名は「デーリーブレッド」。もちろん、これは主の祈り「私たちに日々の糧(our daily bread)を今日もお与えください」から取られています。当時の社内報によると、満那はその名に「私どもの造るパンが神に祝福され、人類の健康と幸福に役立ちますように」との祈りを込めたとのことです】(続木創「パン造りと真摯に向き合う」、信徒の友2020年9月号、P.26)。

「私どもの造るパンが神に祝福され、人類の健康と幸福に役立ちますように」との祈りを込めて、「デーリーブレッド」を造った続木満那は、戦争中、裁判もないままスパイだと決めつけられた人を殺せというおかしな命令に従うことのないまっとうな人でした。ぜひ今日、平和聖日に、教会の帰りに、進々堂によって「デーリーブレッド」を買って食べてあげてください。

私たちは主の祈りで「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈ります。そして私たちは主の祈りで「御国を来させたまえ」と祈ります。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。

神さまの国がきますように。神さまが求めておられる平和な社会に、私たちの社会がなりますように。そうした祈りを大切にして、神さまの御心に従って歩んでいきたいと思います。


(2024年8月4日平安教会朝礼拝式・平和聖日)

2024年8月1日木曜日

7月28日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「イエスさまのツイッター禁止令」

「イエスさまのツイッター禁止令」 

聖書箇所 ヨハネ6:41-59。433/504。

日時場所 2024年7月28日平安教会朝礼拝式


教会もいろいろな情報発信をしていかなけばならないということで、平安教会もいろいろと努力をしています。ホームページがあったり、Facebookがあったり、Instagramがあったり、Twitterがあったり、YouTubeがあったりと、なかなか充実をしています。こうしたものを、ソーシャル・ネットワーキング・サービスと言って、略した言葉で、SNSと言います。みなさんがよく使われる、LINEというのも、SNSの一つです。

わたしはいろいろなSNSをするのですが、SNSの中で一番わたしが使っているのは、Twitterです。Twitterは買収をされて、名前が「X(エックス)」に変更されているのですが、やっぱりわたしはTwitterと呼び続けています。Twitterは「さえずる」とか「つぶやく」という意味の言葉です。

アメリカの政治家は、Twitterを効果的に使います。【米国のジョー・バイデン大統領は7月21日、11月の大統領選挙から撤退する意向を表明した。自身のX(旧Twitter)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに、大統領候補者としての指名を受けず、残りの任期を大統領としての職務に全力を注ぐと投稿し、カマラ・ハリス副大統領を自身に代わる大統領候補者として支持すると述べた】。【トランプ前米大統領は24日、南部ジョージア州の拘置所に出頭した後、拘置所で撮影された自身の写真をX(旧ツイッター)に投稿した。トランプ氏が旧ツイッターに投稿するのは約2年半ぶりで、昨年11月にアカウントが再開されてから初めて。来年の大統領選に向けた候補者選びが本格化するなか、8600万人超のフォロワーを持つアカウントを再始動させた。】。

Twitterは情報が早いので、災害の時などには役に立ちます。先日も、山形県の大雨の様子なども、Twitterに上がっていました。おかしな話やおもしろい投稿、可愛い小猫の動画なども流れてきます。「太宰府名物、マイケル・ジャクソンのBeat itで踊る盆踊り」は、なかなか愉快でした。

Twitterは、自分が投稿した言葉に対して、その感想のようなものを他人が下に付け加えることができるような形がとられています。ですから自分の投稿に対して、激しく反対の意見を述べてくるようなことがあります。Twitter上で激しいやり取りがなされたりして、読んでいて「ちょっとどうなんだろうねえ」という気持ちになる時もあります。Twitterは、ほかのSNSと比べて、激しいSNSです。ときどき、Twitterをしている自分がいやになって、「やっぱりしばらくTwitterをやるのはやめにする」という人が出てきます。FacebookやInstagramというようなSNSに比べて、Twitterは悪意の投稿が多い気がします。悪意のある投稿を読んでいると、自分自身の心の中にも激しい怒りが起こってきたりするわけです。わたしもときどき「やめたほうがいいかなあ」と思う時があります。

今日の説教題は「イエスさまのTwitter禁止令」にしました。今日の聖書の箇所に「つぶやき合うのはやめなさい」とあるからです。今日の聖書の箇所は、「イエスは命のパン」という表題のついた聖書の箇所の一部です。イエスさまはヨハネによる福音書6章35節で、【「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない】と言われ、また6章40節では【わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである】と言われました。それを受けての今日の聖書の箇所となります。

ヨハネによる福音書6章41−46節にはこうあります。【ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。】。

ユダヤ人たちは、イエスさまの話を聞いて、つぶやき始めます。つぶやくというのは、「小さい声でひとりごとを言う」ということです。ですからすべてが悪いことというわけではありません。たとえば好きな女の子がいる男の子もつぶやくのです。「きのうケメ子に会いました。星のきれいな夜でした。ケメ子と別れたそのあとで、小さい声でいいました。好き好き。僕はケメ子が好きなんだ」(「ケメ子の歌」)。好きな子の名前をつぶやくわけです。

好きな男の子がいる女の子もつぶやくのです。「あなたに逢いたくて、逢いたくて、眠れぬ夜は、あなたのぬくもりを、そのぬくもりを思い出し、そっと瞳(ひとみ)閉じてみる。愛していると、つぶやいて」(「あなたに逢いたくて」)。「愛している」と、松田聖子はつぶやくのです。「Happy Merry Xmas。あつい想い届けて。一番好きな人に、そっとつぶやく」(「遠い街のどこかで」)。「Happy Merry Xmas」と、中山美穂はつぶやくのです。「じっと手を見る」は石川啄木で、「そっとつぶやく」のは中山美穂だったのかと思いました。

しかしここでユダヤ人たちがつぶやいているというのは、こそこそと相手のいないところで非難をしているというようなことであるわけです。イエスは天からきたとか言うけど、私たちが知っているヨセフの息子じゃないか。親戚だってみんな知っている。何を言っているんだ。というふうに、こそこそと仲間内でイエスさまの非難をしているということです。

それに対して、イエスさまは「つぶやき合うのはやめなさい」と言われます。そしてご自身が、神さまから遣わされた者であること、そして自分が神さまの御心を行なっていること、イエスさまを信じる者に永遠の命を与えられることを告げるのです。

ヨハネによる福音書6章47−52節にはこうあります。【はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。】。

イエスさまは「わたしは命のパンである」と言われ、自分を信じる者は永遠の命を得ることができると言われました。イエスさまは出エジプトの出来事の話をされます。旧約聖書に出エジプト記というところがあります。「マナ」という表題のついた聖書の箇所が、出エジプト記16章、旧約聖書の119頁にあります。昔、昔、エジプトで苦しんでいた民が、モーセに導かれてエジプトから脱出することができたことがあった。あなたたちの先祖の話だ。そのときは神さまは荒れ野で食べ物を欲しがる人々に、天からマナをふらせて、人々に食べるものを与えられた。しかしマナを食べた人々も寿命があるので死んでしまった。しかしわたしはわたしを信じる人たちに、永遠の命を与える。わたしを信じる者は、神さまからの祝福を受けて、永遠の命につながるものとされる。イエスさまはそういう意味で、ご自分のことを、「わたしは命のパンである」と言われました。しかしユダヤ人たちはそうしたイエスさまの話を聞こうとせず、言葉尻をとらえて、「イエスは自分の体を私たちに食べさせるというのか」というような話をするわけです。

ヨハネによる福音書6章53ー59節にはこうあります。【イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。】。

たしかにイエスさまは「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と言っておられます。また「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」と言っておられます。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」とイエスさまが言っておられるわけですから、まあユダヤ人たちが「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」というふうに言うのも、それも無理はないという気もいたします。しかしここで言われている、「わたしの肉」「わたしの血」というのは、やはり比喩であるわけです。のちに初代のクリスチャンは、この「わたしの肉」「わたしの血」というものを、聖餐という形に整えていくわけです。私たちも聖餐式を行います。私たちはパンとぶどうジュースを用いて、聖餐式を行ないます。【これは、わたしたちのために裂かれた主イエス・キリストの体です。あなたのために主がいのちを捨てられたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の中にキリストを味わうべきであります】【これは、わたしたちのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が地を流されたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心のうちにキリストを味わうべきであります】。

神さまは私たちのために、御子であるイエスさまを私たちの世に送ってくださいました。イエスさまは十字架についてくださり、私たちの罪をあがなってくださいました。神さまはイエスさまの十字架と復活によって、私たちを神さまの民としてくださり、私たちを永遠の命に連なる者としてくださいました。私たちはそのことを信じて、感謝をもって、イエスさまの肉と血である聖餐に預かります。

ユダヤ人たちは、イエスさまのことを理解することができませんでした。そして「イエスのことでつぶやき始め」ます。イエスさまは「つぶやき合うのはやめなさい」と言われます。しかしユダヤ人たちは「互いに激しく議論し始め」ます。【互いに激しく議論を始めた】というのは、なかなか印象的な言葉です。この様子はまさに、Twitterの世界だなあと思わされます。インターネットのなかのTwitterという小さな世界のなかに閉じこもり、激しく議論をすると、だんだんと暴力的になったきます。小さな世界のなかで議論をしているにも関わらず、そのことに気がつかず、自分が世界の中心にいるかのように錯覚してしまうのです。

ユダヤ人たちも自分たちの世界のなかで、激しい議論をしていくうちに、自分たちのメンツや名誉というようなことが大切なものになってしまい、神さまのことが忘れ去られていくのです。神さまのことについて議論をしていながら、神さまのことは忘れ去られていくのです。神さまの律法でもって人を支配し、神さまの言葉でもって人を傷つけていくのです。そうした暴力的な激しい議論をしているユダヤ人たちに対して、「つぶやき合うのはやめさない」と、イエスさまはTwitter禁止令を出されたのでした。

私たちは自分の考えが正しいと思いがちです。そして自分の考えの正しさを、周りの人々に認めさせようとして、互いに激しく議論を始めます。こうしたことは、わたし自身にも思いあたることです。わたしも若い人たちのしていることを見ると、「ああ、それはやめたほうがいいのではないのか」というふうに思って、ついつい「やめたほうがいいよ」とアドバイスをしようとしてしまうときがあります。でもまあ、一方で自分が正しいと思っていることも、それもまあわからないことだなあとも思います。失敗して大切なことがわかるということもあるし、あんまり若い人にいろいろと言うのはよくないことだなあと思い直します。

プロテスタントのキリスト教は、そもそもその起こりが、「プロテスト」、「抗議する」ということから始まっているわけですから、なんとなく「議論好き」です。それが良いところもあるわけですが、しかしあまりに議論をし過ぎると、周りの人たちは萎縮してしまい、教会全体としてはあまり良い雰囲気にならないというようなこともあります。

イエスさまは議論好きなユダヤ人たちに対して、もっと大切なことがあるだろうと、「Twitter禁止令」を出したのです。そんな議論ばかりして、自分の正しさばかりを主張するのではなく、もっと大切なことにこころを向けなさいと、イエスさまは言われました。いイエスさまは「わたしは命のパンである」と言われました。私たちが神さまの憐れみによって、永遠の命に連なる者であるということが大切なのだと、イエスさまは言われます。そうした神さまの愛のなかに、私たちが生かされているということが大切なのだと、イエスさまは言われます。

神さまの愛の中に生きている。神さまが私たちを愛して、愛して、愛してくださっている。だから私たちは愛された者として、神さまの御心を受けとめて、感謝をもって、隣人と共に生きていく。そのことが大切なのだと、イエスさまは言われました。

神さまが私たちを愛してくださっています。安心して、神さまの御心に従って歩んでいきましょう。

  

(2024年7月28日平安教会朝礼拝式)


12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》