2025年1月18日土曜日

1月19日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「イエスさまに治していただく」

「イエスさまに治していただく」

聖書箇所 マタイ4:18-25。495/459。

日時場所 2025年1月19日平安教会朝礼拝式


1月17日は、阪神淡路大震災30年の記念の日でした。そのとき、わたしは新潟県の三条市というところで牧師をしていました。阪神大震災の前日、友人の牧師の結婚式があり、関西に来ていました。京都で地震の揺れを体験しましたが、その翌日、三条市に帰っていきました。いまもそのままとどまって、何かをしてから帰ったら良かったのではないかと思いが残っています。神戸におられて被災をされた方や、ご家族が被災をされた方もおられることと思います。

俳優の北川景子は、小学生のときに、神戸で被災をしています。日本経済新聞の2025年1月5日の記事に、「俳優・北川景子さん 神戸に咲いた、己(おのれ)と闘う表現者」という記事の中に記されてあります。北川景子の自宅が神戸市にあったので、学校での生活は一変します。学校が避難所になり、祖母の実家のある香川県で「疎開生活」をはじめることになりました。自宅や家族は無事でしたし、受け入れ先でも親切にされたわけですが、それでも「なぜ自分がこんな目に逢うのか、亡くなった人はどうして亡くならないといけなかったのか」。そうしたことを考えるようになり、とても気持ちが落ち込みます。

北川景子は数年後、大阪にあるキリスト教系の中学校である、大阪女学院に入学をします。【転機は中学時代。キリスト教系の大阪女学院に入学すると、震災以来の不安感や絶望感が次第に薄れていく。きっかけは言葉の力だった。今でも忘れられないのが、入学式後に教師から教えてもらった「置かれた場所で咲きなさい」という語句だ。ずっと「なぜ自分が」と狭い世界の中で思考を巡らせていたが、それぞれの環境で頑張ればいいと「腑(ふ)に落ちたというか、救い、気づき、導きになった」。他にも「神は乗り越えられる試練しか与えない」「人にしてもらいたいことをしてあげなさい」など、たくさんの言葉が思春期の心を支える】。

「置かれた場所で咲きなさい」というのは、カトリックのシスターで、ノートルダム清心女子大学の学長であった渡辺和子さんの言葉です。「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう」。「神は乗り越えられる試練しか与えない」というのは、コリントの信徒への手紙(1)10章13節の言葉です。新約聖書の312頁です。【あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます】。「人にしてもらいたいことをしてあげなさい」は、マタイによる福音書7章12節の言葉です。新約聖書の11頁です。【だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。】。

阪神淡路大震災のあと、なかなか前向きになることができなかった、北川景子を導いたのは聖書の言葉でした。北川景子は聖書の言葉、イエスさまの言葉によって、癒やされたのでした。北川景子はクリスチャンではないですが、おりにふれて、聖書の言葉に支えられて、励まされて、俳優であることを続けているようです。北川景子がそうであるように、聖書の言葉や、イエスさまの生き方は、人を励まし、その人生を支えます。そうした豊かさをもっているのが、キリスト教であるわけです。

今日の聖書の箇所は、「四人の漁師を弟子にする」「おびただしい病人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。マタイによる福音書4章18ー20節にはこうあります。【イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。】

イエスさまはガリラヤ湖で漁をしていたペトロとアンデレに、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけ、ご自分の弟子にされました。イエスさまのお弟子さんは、12弟子と言われます。聖書に記されている名前は、若干、いろいろですので、もともとの弟子が12人であったというわけでもないのです。でもペトロ、アンデレ、そしてあとヤコブとヨハネは有名なお弟子さんですが、彼らはみな漁師でした。12人のうち、4人が漁師であるわけですから、3分の1が漁師であるわけです。イエスさまは学問をしていた人を弟子として選ばれたわけではなく、ふつうに働いている人を弟子として選ばれました。

マタイによる福音書4章21−22節にはこうあります。【そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。】。

イエスさまの弟子選びは、イエスさまの方から声をかけ、そして声をかけられた人が、イエスさまに従うという形です。まあ「イエスさまについて行きたい」と思って、イエスさまのところにやってきたという人もいたのではないかと思います。でも基本形としては、イエスさまが招き、弟子が応えるというものです。ペトロ、アンデレがそうであったように、ヤコブもヨハネも、すぐにイエスさまに従って歩みはじめます。

マタイによる福音書23−25節にはこうあります。【イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。】

マタイによる福音書によりますと、イエスさまは「ガリラヤで伝道を始める」「四人の漁師を弟子にする」、そして「おびただしい病人をいやす」ということになっています。イエスさまは伝道・宣教活動を始められ、お弟子さんを選ばれました。そしてとくに、病の人々や苦しんでいる人のところを訪ねられ、そしていやしのわざを行われました。イエスさまの評判を聞いた人々は、病気の人たちをいやしてもらうと、イエスさまのところに連れてくるようになります。そして遠くから、イエスさまのところに大勢の人々が来るようになります。

イエスさまはとても魅力的な方だったのでしょう。イエスさまの一番弟子であるペトロやアンデレも、漁師をしていたわけですが、すぐに網を捨てて、イエスさまに従います。ヤコブもヨハネも、「すぐに」、舟と父親を残して、イエスさまに従っています。どちらも「すぐに」、イエスさまに従います。どちらも「網を捨てて」「舟と父を残して」というように、いままでもっているものを「捨てて」、イエスさまに従いました。

「捨てる」というのは、いろいろなことを考えさせられる言葉です。昔は「すべてを捨てて、イエスに従った」と言うと、美談のような話になったわけです。まあ、財産を捨ててというような意味合いが強かったのだと思います。しかし「舟と父を残して」と言っても、「残された父はどうなるんだ。父に対する責任を、他の兄弟や姉妹に対して押し付けるのは、いかがなものか」というようなことも考えられるようになりました。

しかし、人は人生において、「捨てる」ということをしなければならないというのも確かなことです。いつのまにかがんじがらめになっていて、ただただ同じことをするしかないというようなことがあります。まあ人は「前例がない」ことは、なかなかできにくいのです。前例があれば、「まあいいか」と思えます。わたしは大阪教区などで議長をしたりしましたから、とくに「前例がない」ことについては、とても慎重であるべきだという思いが強いような気がします。「あなたはもっと人にやる気を出させるようなものの言い方をしたほうがいいんじゃない」と言われたりしますが、まあやはりわたしは慎重なのだと思います。しかしいろいろな問題が増えていき、変えなければならないというときもあります。「捨てる」ということや、「手放す」ということをしなければ、新しいことを始めるということはできないというときもあるわけです。

私たちの教会は、教会建物改修ということに、これから取り組んでいくことになります。2月9日(日)の礼拝後に、臨時総会がもたれて、どれくらいの規模で教会建物の改修を行なうのかということを決めることになります。改修にともない、いままでとは変わることがあるでしょうし、またこれを機会に「捨てる」「手放す」というようなこともしなければならないだろうと思います。新しいことをするときには、「捨てる」「手放す」ということがやはり必要であるわけです。慎重にしなければならないと同時に、やはりしっかりと決断をしなければなりません。

「四人の漁師を弟子にする」という物語のなかで語られる、「すぐに網を捨てて従った」「すぐに、舟と父を残してイエスに従った」というときの、「捨てて」とか「残して」というのは、がんじがらめになっていたものから解き放たれていくというようなイメージなのだと思います。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネは、なんとなく自分でどうしたら良いのかわからず過ごしていたのだと思います。そんなとき、彼らはイエスさまに出会い、イエスさまから「わたしについてきなさい」と声をかけられます。彼らはかんじがらめになって、自分でもどうしたらよいかわからなかったけれども、イエスさまから声をかけられ、「この人についていこう」と思い、新しい歩みを始めます。

人はいろいろな意味で、病(やまい)をかかえて生きています。病名がつくような病にかかっている場合もあります。てんかんとか、中風とか、腰痛とか、皮膚病とか、四十肩とか、心臓の病気とか、甲状腺機能低下症といか、いろいろな病気があるわけです。しかしそうしたはっきりとした病(やまい)ではなく、イエスさまから治していただきたいというふうに思える事柄があるのです。

このわたしのこころのなかにあるどうしようもない邪な思いを治していただきたい。自分でもこの気持ちをどうにかしなければならないと思うのだけれども、どうしても断ち切ることができない。人の思いは複雑ですから、自分の思いでありながら、自分でどうすることもできないというようなこともあります。

私たちは自分ではどうすることもできないけれども、でもイエス・キリストは私たちを癒やしてくださり、私たちに新しい命を与えてくださいます。そして私たちに新しい力を与えてくださり、前を向いて歩んでいく力を与えてくださいます。

イエスさまが、私たちを招いてくださっています。イエスさまの招きに応えて、イエスさまに従って歩んでいきましょう。




  

(2025年1月19日平安教会朝礼拝式)

1月12日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「おぼろに見ている」

「おぼろに見ている」

聖書箇所 コリントの信徒への手紙(1)13章1ー13節

日時場所 2025年1月12日平安教会朝礼拝・きてみてれいはい


今日は成人祝福礼拝ということで、二十歳を迎える愛児園の卒園児を覚えて礼拝を守っています。また今日は、「きてみて・れいはい」です。この日はとくにわかりやすい話をすることにしています。

老眼鏡をかけるようになって18年になります。文字をみるときは、この老眼鏡をかけて、テレビを見る時は別の老眼鏡をかけています。なかなか不便です。食事をする時も老眼鏡をかけています。かけていないと、食べるものがぼやけて見えて、ちょっとさみしい気がします。食べるって言うのは口で食べるだけでなく、目でも食べているんだなあと思わされます。

いつ自分が老眼になったということがわかったのかというと、電車で本を読んでいる時でした。はじめは手から少し話したところで本を読んでいました。これはふつうですね。それがだんだんと手が身体から離れて来るわけです。これくらいになります。でもまだ自分が老眼だとは気がつきませんでした。それが、これくらい離れてきて、そしてこれくらいになり、どんなに手を伸ばしても本の文字がぼやけているということに気がついた時にはじめて、自分が老眼であるということに気がつきました。びっくりしました。

でも老眼鏡をかけてよかったこともあります。老眼鏡をかけるようになって一番よかったことは、みなさん、なんだと思いますか?。それは、いままで自分がはっきりと見えていたと思っていたことが、ぼんやりとしか見えていなかったということがわかったということです。これは思い込みが強く、自分が正しいと思い込みやすいわたしにとってはとても大きいことでした。老眼鏡をかけるたびに、自分は「おぼろに見ていた」ということを思い起こすことができます。(2008年2月17日高槻日吉台教会朝礼拝・受難節第2主日)。

今日の聖書の箇所は結婚式でよく読まれる聖書の箇所です。「愛は決して滅びない」なんて、とってもいい言葉だなあと思います。この聖書の箇所はイエスさまのお弟子さんのパウロさんという人が書きました。パウロさんという人は「信仰の人」と言われます。「信仰」、「神さまを信じる」ということがとっても大切だというふうに思っていました。そしてパウロさんは今日の聖書の箇所の最後のところでこう言いました。【それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る】。パウロさんは大切なことが三つあると言いました。一つは「信仰」。パウロさんは「信仰の人」と言われるくらいの人だったから、やっぱり一つは「信仰」だと言いました。そしてもう一つは「希望」。そして最後は「愛」です。「信仰と希望と愛がとても大切」。それでこの三つの中でもっとも大切なのは、何なのか。パウロさんは「信仰の人」だったから、「もっとも大切なのは信仰だ」と言ってもおかしくないような気がするんだけど、でもこう言いました。【その中で最も大いなるものは、愛である】。

パウロさんは自分が一番大切にしている「信仰」ではなくて、「最も大いなるものは、愛である」と言いました。それは「『愛』っていうのは、神さまから与えられるものだ。愛は神さまがくださるものだから、やっぱり一番大切だ」と、パウロさんは思っていました。信仰は大切だけど、それは人間のすることだから、一番にはならないとパウロさんは思っていました。やっぱり神さまが私たちを愛してくださっているってことが一番大切だと思っていました。

パウロさんは「人間ははっきりとものをみていない」と思っていました。「だからたとえ自分が絶対正しいと思っていても、やっぱり間違っているかもしれない」と思っていました。パウロさんは【わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている】と言っています。

人はしっかりと物事をみているようで、実はいい加減に見ていることが多いです。たとえばファッションに興味のない人は、いちいち人が着ている服を見ていたりはしません。ファッションに興味のない男の人に、「今日、あなたのおつれあいはどんな服を着ていましたか?」と聞いてみてくだしあ。たぶん答えることができないと思います。

みなさんは「自分のことは自分がよく知っている」と思っていると思います。お母さんと喧嘩などして、「わたしのことはわたしが一番よくわかってる!」というふうに言ったりすることがあること思います。そんなことないですか?。でもみなさんは自分の赤ちゃんのときのことを知っているわけではありません。(たぶんお母さんは知っています)。あるいは自分が寝ているときどんなふうであるのかということも知っているわけではありません。(たぶんお母さんは知っています)。あるいは自分の背中がどんな背中であるのかも知りません。(たぶんお母さんは知っています)。

「自分のことは自分がよく知っている」というのであれば、自分の顔がどんな顔かはっきりと見ていてもいいような気がしますが、私たちは自分の顔を直接見ることはできません。私たちは自分の顔も「鏡に映ったものを見ています」。【鏡におぼろに映ったものを見ている】のです。みなさんは自分がどんなふうに笑うか見たことがありますか。自分が心から笑っている顔を見ようとして、鏡をのぞき込んでも、もうそこには心から笑っている自分の顔はありません。自分の笑い顔を観察しようとしている自分の顔が鏡に映っているだけです。わたしが心から笑っている顔は、わたしの友人やわたしの家族が知っているわけです。わたしが知っているわけではありません。まあ最近はビデオというものがありますから、少しはそうしたものを見ることができるかも知れません。でもそれはビデオを通してであって、直接ではありません。

笑っている顔や幸せそうにしている顔であれば、ビデオや写真でみることができるかも知れません。では自分が怒っているときの顔はどうでしょうか。楽しいときの笑顔をビデオでとられるということは、いまの時代ですからあるでしょう。家族で旅行した時のビデオだとか。でもよっぽどのことがない限り、自分が怒っている顔をビデオで見たという方は、そんなにはおられないのではないかと思います。わたしも残念ながら自分の怒っている姿をビデオで見たことはありません。

私たちは意外に自分のことを知りません。周りの人のほうがはるかにわたしのことを知っているということがあります。みなさんのお母さんは、みなさんがどんなにかわいらしく笑うかを知っています。みなさんのお父さんは、みなさんがどんなに気持ち良さそうに眠っているのかを知っています。みなさんの友だちは、みなさんがどんなにやさしい顔を友だちにむけてくれるのかを知っています。みなさんの恋人は、みなさんがどんなにすてきな瞳で自分をみつめてくれるかを知っています。(恋人はちょっと早すぎますか?)。

パウロさんは「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」と言いました。わたしはこの聖書の言葉は、とても大切な聖書の言葉のような気がします。パウロさんは私たちの知っていること一部でしかないと言いました。私たちが知っていることは一部であり、そして私たちが見ているものは、「鏡におぼろに映ったもの」であるということを、しっかりと心に留めておかなければならないと、パウロさんは言いました。「私たち人間が見ているものは、鏡におぼろに映ったものにすぎない」のです。私たちは自分の顔でさえも「鏡におぼろに映ったもの」としてしか見ることはできません。

だから私たちはお互いに謙虚にならなければなりません。私たちが真理を振りかざして人を問いつめようとしたり、人を裁こうとするとき、自分が絶対に正しいと思い込んでいるとき、私たちは自分たちが見ているものが「鏡におぼろに映ったものにすぎない」ということを思い起こさなければなりません。

パウロさんは自分が大切にしていた「信仰」ではなくて、神さまがくださる「愛」がもっとも大切なものだ、最後に残るのは人間に関することではなくて、神さまの愛なんだと言いました。

大切なことは神さまが私たちを愛してくださっているということです。このことが一番大切なことであると、パウロさんは言いました。自分がりっぱであるとか、自分がりっぱでないとか、そういうことが大切なのではない。神さまがわたしのことを愛してくださっているということが大切なのだと、パウロさんは言いました。

私たちは大きな神さまの愛のなかに生かされています。神さまが私たちを守ってくださっています。私たちのことを愛してくださる神さまにより頼んで、神さまの愛に感謝して歩んでいきましょう。


(2025年1月12日平安教会朝礼拝・きてみてれいはい)


1月5日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「神さまの導きに従って」

「神さまの導きに従って」

聖書箇所 マタイ2:13ー23。267/268。

日時場所 2025年1月5日平安教会朝礼拝式・新年礼拝

    

クリスマスに救い主イエス・キリストをお迎えし、そして2024年を終え、2025年を迎えました。新しい年も皆様のうえに、神さまの恵みと平安とが豊かにありますようにとお祈りしています。

毎年、わたしは年賀状に、聖書の言葉を書くことにしています。ことしは、アモス書5章14節のみ言葉を選びました。「善を求めよ。悪を求めるな。 お前たちが生きることができるために(旧約聖書 アモス書5章14節)」「私たちの世の中が、奪い合いではなく、わかちあいの世の中であることを信じて歩みます」。

私たちの世の中、倫理的なことがだんだんと大切にされなくなってきているような気がします。私的なことに重きをおく社会になり、公のことに重きを置くことが少なくなってきているからでしょうか。とくに政治の世界ではそうで、「倫理的でないけれども、仕事がよくできる政治家と、倫理的だけれども、仕事ができない政治家と、どちらが良いですか」というようなことが言われたりします。でも私たちは「ふつうの倫理観をもって、仕事もよくできる政治家がいい」としか言いようがないわけです。

私たちは倫理的といっても、自分の家財をなげうって政治を行なってくださいというようなことを言っているわけではありません。せいぜい、裏金をつくるようなことはしないでほしいとか、権力でもって女性をだますようなことをしないでほしいというようなレベルの倫理的なことをお願いをしているわけです。政治家が女性をだますようなことをしていると、こんどは検事が女性をだますようなことをするようになり、そうすると「まあ、政治家も検事もやっているのだから、私たちもやっていてもいいのではないか」というような社会になっていきます。世の人々はそうした社会になってはいけないと思うので、政治家の人たちに「もうすこし倫理的な大切にして政治を行なってほしい」とお願いをしているということです。

預言者アモスは、「善を求めよ。悪を求めるな。 お前たちが生きることができるために」と言いました。不正や不信仰が満ちている社会のなかで、アモスは「みんな神さまの御心に反して生きている。それはよくない」と言いました。神さまの御心にしたがって、善を求め、悪を遠ざけ、私たちの社会が良き社会になるようにしていこうと、人々に呼びかけました。やはり、善を求め、悪を求めず、こころやさしいわかちあいの社会になってほしいと思うのです。

今日の聖書の箇所は「エジプトへ避難する」「ヘロデ、子供を皆殺しにする」「エジプトから帰国する」という表題のついた聖書の箇所です。

マタイによる福音書2章13ー15節にはこうあります。【占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。】。

占星術の学者たちは、ユダヤの王としてお生まれるなる、イエスさまを探して旅をしていました。ユダヤの王であれば王宮に生まれるに違いないということで、ヘロデ王のところを訪ねます。ヘロデ王は自分に代わって王となる人が生まれたということで、その赤ちゃんを見付けて殺そうとします。そのため、占星術の学者たちにその赤ちゃんを探させようとします。占星術の学者たちに、「わたしも行って拝もう」と嘘をつき、みつけたらどこにいたかを報告してほしいと頼みます。占星術の学者たちは、イエスさまたちにお会いすることができました。そのあと「ヘロデのところに帰るな」と夢でお告げがあったので、ヘロデのところに帰ることなく、自分たちの国へ帰っていきました。

主の天使はヨセフのところにも現れ、ヘロデ王がイエスさまを殺そうとしているので、イエスさまとマリアを連れてエジプトに逃げるようにと、ヨセフに言います。ヨセフはイエスさまとマリアと一緒に、エジプトにに逃げていきます。

マタイによる福音書2章16−18節にはこうあります。【さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」】。

ヘロデ王は自分が占星術の学者たちにだまされたと知ります。正確にイエスさまがおられる場所がわからないので、ベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男の子を殺させます。しかしヨセフがイエスさまとマリアを、エジプトに避難をさせたので、イエスさまは無事でした。

マタイによる福音書2章19−23節にはこうあります。【ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。】。

ヘロデ王がなくなったと、主の天使はヨセフに、イエスさまの命をねらっていた人たちがいなくなったので、イスラエルに帰っても大丈夫だと告げます。ヨセフはイエスさまとマリアと一緒に、イスラエルの地に戻ります。しかしヘロデ王のあと、アルケラオ王がユダヤ地方を治めているということを聞いて、ユダヤ地方は怖いので、別のところにしようと思います。そのときヨセフに夢でお告げがあります。ヨセフたちはガリラヤ地方のナザレという町に住むことになりました。

実際に、ヘロデ王が【ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた】というような幼児虐殺が行なわれたのかということについては、史実としてはなかったのではないかと言われています。ヘロデ王がとても残虐な王さまであったと言われています。自分の代わりに王になろうとする人たちに対して、ヘロデ王は容赦がなかったと言われています。それが自分の身内の者であろうと、そうであったと言われています。ローマ皇帝アウグストゥスは「ヘロデの息子であるよりも豚の方がまだ安全だ」と言ったということです。

イエスさまの誕生のときに行われたとされる事柄は、悲しいことですけれども、いまの時代でも行われていることであるわけです。イスラエルの攻撃によって、パレスチナの病院は爆撃を受け、多くの病気の人たち、子どもたちがケガをしたり、亡くなりました。自分たちの住んでいる土地を追われて、外国へ避難をしていく人たちがたくさんいます。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」。そうしたことが、時を超え、場所を変えて、行われているのです。

イエスさまはお生まれになられたあと、ヘロデ王から命をねらわれ、そしてエジプトに難民となって逃げることになりました。そのときヘロデ王による幼児虐殺が行われ、人々は王の圧政に苦しみます。そうした大変な出来事が記されてあるわけです。しかし聖書は同時に、そうした大変な出来事の中で、神さまの導きがあり、イエスさまたちが守られたということが記しています。

また悲しい出来事も「預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」と、マタイによる福音書は記しています。これは悲しい出来事を神さまが行われたのだということを言っているのではありません。悲しい出来事が起こったけれども、しかし神さまはそのことを知っていてくださるのだということです。神さまが知っていてくださり、そしてそののち、神さまの御心が行われていくのだということが記されているのです。

私たちは生活のなかで、いろいろな出来事に出会います。うれしいこともありますが、悲しいこともあります。とても受け入れれがたい出来事だと思えるような出来事をも、私たちは拳々します。しかしそうしたなかにあっても、私たちは神さまの導きがあると信じて歩んでいます。

イエスさまの誕生の物語の後半は、イエスさまが大変な出来事に出会うという物語です。しかしそうしたなかにあっても、【主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった】【預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した】【預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった】と記され、預言者たちをとおして示されている神さまの御心が行われていくことが記されてあります。

神さまは私たちを愛してくださり、私たちを導いてくださいます。新しい年も、神さまの愛のうちを、お迎えしたイエスさまと共に歩んでいきたいと思います。


  

(2025年1月5日平安教会朝礼拝式・新年礼拝)


12月29日平安教会礼拝説教要旨(山下毅牧師)「新しい生き方としてのクリスマス」

「新しい生き方としてのクリスマス」    山下 毅牧師

マタイによる福音書第2章1節—12節、ヨハネの黙示録22章16節


朝祷会のメンバーの中に、京都大学医学部教授の高橋裕子先生がおいでになります。先生の手記によりますと、復活されたイエス・キリストに会われたのです。「私は、2014年2月3日、——あなたに、命を与え、60年間育ててきたのは私である。私はあなたを医者にして、今の立場を与えた。私はあなたを私の計画に用いる。だから、私に従いなさい」という声を、体の中に爆発したように言葉が入ってきたのです。——今までクリスチャンでなかった高橋先生は、それから本当に熱心なキリスト者になり、現在活躍しておられます。

私は毎週高橋先生にお会いし、祈りを共にさせていただいている中で、復活されたイエス・キリストは私どもと共に生きておられると、本当に確信するようになりました。

クリスマスには二つの意味があります。一つはイエス・キリストが馬小屋で生まれ、学者達が東方から来た、神さまの愛の「しるし」として、見えない愛が、見える形として現れました。

もう一つはヨハネの黙示録の中でイエス自ら「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」と証しされ、復活された、イエス・キリストが私たちと共に生きていると言われます。

第一の視点では、ユダヤ人にとっては、敵国であり、占い師の学者達、星の導きを頼りに、本当の人生を求めて、イエス・キリストに出会う姿は、私たちが信仰を求め、荒野をさ迷う姿に似ています。イエス・キリストに出会い、喜びにあふれ、違う人間に変えられた私たちの姿を映しています。

第二視点では、ヨハネの黙示録の中で「わたしイエス」はというふうに、イエスご自身が今も生きていたもう、そしてなまの自己紹介を、わたしたち一人一人に語りかけておられるのです。「わたしイエスは、輝く明けの明星」と述べられるのです。 そこには暗い夜が明けて朝がくるのです。

私たちの生き方は、「この世で勝利する生き方」自己中心、自己愛ではなく、「この世に勝利する生き方」に招かれています。神中心から始まり、地の塩、世の光、存在そのものに価値を見出し、成長への希望、完成への喜びを見いだす生き方です。キリストの復活は、私たちの生き方そのものを根本から変えてくださり、たえず祈りへと導いてくださいます。


12月22日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「よかったね。ヨセフさん」

「よかったね。ヨセフさん」

聖書箇所 マタイ1:18-23。261/26。 聖霊によって守られている

日時場所 2024年12月22日平安教会朝礼拝式・クリスマス礼拝


クリスマスおめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕をこころからお祝いいたします。

わたしの娘たちは、キリスト教主義の幼稚園、保育園に入園していましたので、クリスマスには、クリスマスページェントという、イエスさまの誕生物語の劇の役割をしていました。わたし自身も今治教会の付属幼稚園のめぐみ幼稚園という幼稚園でしたので、クリスマスページェントをしました。マリアさんやヨセフさん、ヘロデ王や占星術の学者さん、天使や羊飼い、羊さんなどの役がありました。わたしは年中のときは、羊でした。年長のときは物語をすすめていくナレーターという役割でした。わたしはぼんやりとして幼稚園児でしたので、羊さんというのはぴったりだと思います。ぼんやりとした幼稚園児だったのに、よく「ナレーターになーれたー」と思います。

松田明三郎(まつだ・あけみろう)という旧約学者・詩人に「星を動かす少女」というクリスマスの詩があります。

「星を動かす少女  松田明三郎」

クリスマスのページェントで、

日曜学校の上級生たちは

三人の博士や

牧草者の群や

マリヤなど

それぞれの眼につく役を

ふりあてられたが、

一人の少女は

誰も見ていない舞台の背後にかくれて

星を動かす役があたった。

「お母さん、

私は今夜星を動かすの。

見ていて頂戴ねーーー」

その夜、堂に満ちた会衆は

ベツレヘムの星を動かしたものが

誰であるか気づかなかったけれど、

彼女の母だけは知っていた。

そこに少女のよろこびがあった。


星をうごかす役はページェントを観ている人たちからは見えません。でも少女はあらかじめお母さんに「お母さん、私は今夜星を動かすの。見ていて頂戴ね」と言っているので、見にきているお母さんにはわかるのです。

「その夜、堂に満ちた会衆は

ベツレヘムの星を動かしたものが

誰であるか気づかなかったけれど、

彼女の母だけは知っていた。

そこに少女のよろこびがあった。」

母と少女にはしっかりとした絆があり、少女はそのことに喜びを感じています。「わたしがいて、あなたがいる」。そのことをただ喜ぶことができるというのは、とても幸せなことだと思います。世の中、いろいろなことがあります。「・・・だったらなあ」と思うこともあります。「マリヤだったらなあ」「博士だったらなあ」、「もっと才能があったらなあ」「もっと人からほめられたいなあ」「もっとお金持ちだったらなあ」。たしかにそうしたことはあるわけです。才能や名誉やお金があればなあと、私たちはよく思います。しかしそういたものがあれば幸せかというと、そういうことでもないわけです。やはり「わたしがいて、あなたがいる」ということや「わたしのことを知っていてくださる」ということは、とてもかけがえのないことであるのです。それはとても大きな喜びなのです。

クリスマス、イエス・キリストは私たちのところにきてくださいます。私たちのかけがえのない友として、私たちのところにきてくださいます。イエスさまは私たちのことを知っていてくださり、私たちを愛してくださっています。私たちはイエスさまの愛のうちに生きています。

今日の聖書の箇所は「イエス・キリストの誕生」という表題のついた聖書の箇所です。マタイによる福音書1章18−19節にはこうあります。【イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。】。

イエスさまはマリアとヨセフの子どもとして生まれます。マリアは聖霊によってみごもります。マリアは聖霊によってみごもるわけですが、ヨセフは自分との間の子どもではないと思い、マリアのことを離縁しようと思います。表ざたになると、マリアが姦淫をしているということで、石打ちの刑になるので、ヨセフは「ひそかに縁を切ろうと」決心をします。ヨセフが正しい人であるというのは、ユダヤ教の法律である律法に対して、正しい人であるということです。律法に従うと、マリアを石打ちの刑にするのが、正しいのです。ただヨセフはやさしい人でしたので、マリアがそのようなことになるのは嫌なので、表ざたにしないで、ひそかにことを進めていこうと考えたのでした。

マタイによる福音書1章20−21節にはこうあります。【このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」】。

いろいろと考え、迷いの中にあるヨセフの夢に、主の天使が現れます。そして天使はヨセフに、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と言いました。マリアは聖霊によってみごもり、マリアから生まれる子は特別な男の子である。名前をイエスと名付けなさい。この子は世の人々を、罪から救う救い主なのだから。そのように主の天使は夢のなかで、ヨセフに語ります。

マタイによる福音書1章22−23節にはこうあります。【このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。】。

主の天使は、このような形でイエスさまがお生まれになられるのは、神さまのご計画なのだと言います。それは聖書に記され、預言されたことなのだと言います。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この言葉は、イザヤ書7章14節からの引用です。イザヤ書7章14節にはこうあります。旧約聖書の1071頁です。【見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ】。イエスさまは、神さまが共におられるということを表わす出来事として、私たちのところに来てくださるのだと、主の天使はヨセフに言いました。

マリアとのことを悩んでいたヨセフのところに、主の天使が現れます。世の中、すべてのことが白黒はっきりつくということでもありません。一般的に正しいことをしたからと言って、それで悩まないということでもありません。「正しいことをしたから、それでいいじゃないか」「自分のできるだけのことをしたのだから、それでいいじゃないか」と思っても、でも「もっと、なにかできたのではないか」「自分にはやさしさがたりないのではないか」。そんな気持ちになり、悩むことが、私たちにはあります。ヨセフもそうだったと思います。「どうしたらいいのだろう」というゆれる思いを抱えているヨセフのところに、主の天使が現れ、そしてヨセフに良き道を備えてくださいました。

「どうしたら良いのだろう」と悩むヨセフのことを、神さまは知っていてくださいました。神さまがヨセフと共にいてくださり、ヨセフに良き道を備えてくださり、ヨセフはイエスさまのお父さんになるという、大きな祝福を得ることができました。

「よかったね。ヨセフさん」。ヨセフはイエスさまのおとうさんであるわけですが、ヨセフはそんなに聖書の中に出てくるわけではありません。イエスさまをヘロデ王から守り、エジプトへと、イエスさまとマリアとともに逃げていくということを、ヨセフはしています。しかしイエスさまの誕生の物語に出てきたあとは、名前が数回出てくる程度です。マリアのように「聖母マリア」というような感じで、ほめたたえられるというわけでもありません。

困難な世の中にあって、「正しい人」としてヨセフは生きようとしていました。ヨセフは良き人として生きようとしていました。ヨセフはマリアのように、ほめたたえられる人にはなりませんでした。しかし神さまはヨセフのことを見ていてくださり、ヨセフを豊かに祝福してくださいました。「神さまがわたしを見ていてくださる」「神さまがわたしと共にいてくださる」。ヨセフはそのことに感謝をして、その生涯を歩みました。

ヨセフは「星を動かす少女」のようです。

【その夜、堂に満ちた会衆は

 ベツレヘムの星を動かしたものが

 誰であるか気づかなかったけれど、

 彼女の母だけは知っていた。

 そこに少女のよろこびがあった】。

神さまはヨセフを知っていてくださり、そしてヨセフはそのことに喜び、感謝して、神さまに対して良き人でありたいという思いをもちつつ、その生涯を歩みました。

ヨセフのことを知っていてくださった神さまは、私たちのことも知っていてくださいます。私たちの悩みや悲しみ、苦しみ、私たちの喜びを、神さまは知っていてくださっています。神さまは私たちと共にいてくださいます。

【「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。】。私たちと共にいてくださる神さまがおられます。クリスマス、新しい年も、私たちを守り導いてくださる神さまと共に歩んでいきましょう。



  

(2024年12月22日平安教会朝礼拝式・クリスマス礼拝)


12月15日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「マリアから生まれた御子」

「マリアから生まれた御子」 

聖書箇所 ルカ2:1-7。241/242。

日時場所 2024年12月15日平安教会朝礼拝・アドヴェント3

 

アドヴェントも第三週を迎え、クランツのロウソクも3つ、火がともっています。

今日は「きてみて・れいはい」です。この日はとくにわかりやすい話をすることにしています。

イエスさまは馬小屋でお生まれになれました。ルカによる福音書2章1節以下に、イエスさまが生まれた時のことが記されてあります。

ルカによる福音書2章1−2節にはこうあります。【そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。】。

ローマ皇帝アウグストゥスから、「ローマ帝国の領土に住んでいる人たちは、みんな自分の生まれ故郷に帰って、住民登録をしなさい」という命令がなされました。住民登録というのは、正確に税金を納めさせることを目的になされるわけです。私たちの世の中では税金はみんなが共に生きていくために集めるという面があります。でもイエスさまの時代のユダヤの人たちが納めた税金は、自分たちのために用いられるというよりは、多くはローマ帝国の人々のためにもちいられます。

ルカによる福音書2章3−5節にはこうあります。【人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。】。

イエスさまのお父さんのヨセフさんと、イエスさまのお母さんのマリアさんは、住んでいたガリラヤのナザレからヨセフさんの生まれ故郷のベツレヘムに行くことになりました。もうそのとき、マリアさんのお腹の中には、イエスさまがおられました。マリアさんは身重であったのに、たいへんな旅をさせられたわけです。ナザレからベツレヘムまで約100キロぐらいでしょうか。大阪から姫路あたりの距離でしょうか。いまの日本ならば電車に乗っていけばいいわけですが、イエスさまの時代にはそんなものはありません。歩くとなると、やっぱりちょっと大変でしょう。

ルカによる福音書2章6−7節にはこうあります。【ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。】。

マリアさんはベツレヘムにいるときに、産気づいて、急にイエスさまを産むことになりました。【マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである】と聖書に記されてあります。【宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである】とありますから、できれば宿屋で生まれた方がよかったということでしょう。やっぱり馬小屋よりは宿屋のほうが快適に過ごすことができるでしょう。

しかしイエスさまが馬小屋でお生まれになるということは、それは神さまが定められたことでした。馬小屋で生まれると、どんないいことがあるでしょうか。イエスさまは馬小屋に生まれたので、お祝いにきたい人はだれでもお祝いにくることができたのです。王宮に生まれたのであれば、だれでもがイエスさまの誕生のお祝いにくることはできなかったでしょう。馬小屋だからこそ、だれでもイエスさまの誕生のお祝いにくることができたのです。

イエスさまの誕生の知らせを聞いて、一番最初にやってきたのは羊飼いだと言われています。

《ルカによる福音書2章8−20節にはこうあります。【その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。】

羊飼いは夜、野宿をするという生活をしていました。ですからあまりきれいな格好をしていたわけではありません。羊飼いはあまりきれいな格好をしていなかったので、人々から嫌われていました。そんな羊飼いでありましたが、イエスさまは馬小屋で生まれたので、イエスさまの誕生のお祝いにくることができました。人間だけではありません。イエスさまは馬小屋で生まれたので、動物たちもイエスさまの誕生をお祝いにくることができました。イエスさまは馬小屋で生まれたからこそ、だれでもイエスさまの誕生をお祝いに来ることができたのです。

そしてイエスさまはマリアからお生まれになりました。「身分の低い、主のはしため」であるマリアからお生まれになりました。占星術の学者たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになられた方は、どこにおられますか」と、ヘロデの王宮を訪ねました。王としてお生まれになった方は、王宮で生まれただろうと、占星術の学者たちは思ったからです。しかしイエスさまは王妃からお生まれになったのはなく、マリアからお生まれになりました。

黒人霊歌に「Mary had a baby」という歌があります。


Mary had a baby


Mary had a baby   マリアはみどり子を授かった

Mary had a baby, sweet child   マリアはみどり子を授かった、美しい子を

Mary had a baby   マリアはみどり子を授かった

Mary had a baby   マリアはみどり子を授かった

Mary had a baby, sweet child.   マリアはみどり子を授かった、美しい子を


Where was he born ? manger       どこで生れた、馬小屋で

Where was he born ? manger          どこで生れた、馬小屋で

Where was he born ?         どこで生れた、

Why in a manger              馬小屋で

Mary had a baby, sweet child.         マリアはみどり子を授かった、美しい子を


What did they call him ? Jesus        何と名づけた、イエスという名を

What did they call him ? Jesus        何と名づけた、イエスという名を

What did they call him ?         何ていう名をつけた

Called him Jesus everlasting father  永遠の父イエスと名づけた

What did they call him ?         何と名づけた


Mary had a baby   マリアはみどり子を授かった

Mary had a baby   マリアはみどり子を授かった

Mary had a baby         マリアはみどり子を授かった

How long did he live ?            その子はどれだけ、生きた

He lives now.                        今も生きている。


アメリカの黒人たちは自分たちと同じような、ふつうの少女であるマリアからイエスさまがお生まれになったことを喜びました。御子イエス・キリストが王宮ではなく馬小屋に生まれ、そしてマリアというふつうの少女からお生まれになったことを喜び、そして「Mary had a baby  マリアはみどり子を授かった」という黒人霊歌をつくりました。そしてイエスさまが苦しみ、悩み、呻いている自分たちのところにきてくださったことを喜びました。

クリスマスの物語に出てくる人たちの多くは、力をもたない人たちです。マリアさんは少女ですし、羊飼いも人々から嫌われていた人たちでした。年をとった人たちや力をもたない人たちが多く、クリスマスの物語の中に出てきます。小さな者たちが互いに寄り添いながら生きているところに、神さまはイエスさまを送ってくださいました。

イエス・キリストは弱くともしい私たちのところに来てくださいました。悩み、苦しみ、弱り果てる私たちのところに、イエス・キリストは来てくださいました。私たちがどんなに弱く小さな者であったとしても、イエスさまはいまも生きて、私たちに働いてくださっています。共に救い主イエス・キリストのご降誕を心からお祝いいたしましょう。


(2024年12月15日平安教会朝礼拝・アドヴェント3)


12月8日平安教会礼拝説教要旨(菅根信彦牧師)「人知をはるかに超える愛」

説教要旨「人知をはるかに超える愛」(2024年12月8日) 

聖書:エフェソ書3章12~21節       同志社教会牧師 菅根信彦


★『新島襄と同志社教会』(加藤延雄・久永省一著・1987年)には、「1876年(明治9年)9月に海老名・宮川・徳富らの熊本バンド30名余りが同志社英学校に転校してきて、校内は俄かに活気を呈し、生徒の数も70名に達した」。「新島はここで機運がいよいよ熟したとみて、教会創立に踏み切ったのである」と記されています。そして、1876年11月26日にラーネッド教師宅において、市原盛宏を仮牧師として「西京第一公会」が誕生。次いで12月3日に新島宅において、新島襄を仮牧師にて「西京第二公会」(同志社教会)が設立します。さらに、同年12月10日に東竹屋町ドーン教師宅を借りて、本間重慶を仮牧師に「西京第三公会」(平安教会)が発足します。新島の「自由教育・自治教会両者併行」という理念が結実した時(カイロス)となりました。

★新島襄は、1864年、21歳の時に脱藩。アメリカに密航しハーディー家の支援で、フィリップ・アカデミー、アーモスト大学、さらに、アンドバー神学校で学んでいきます。10年後(明治7年)に31歳で帰国。日本にキリスト教主義大学の設立を使命と感じて、翌年1875年11月29日に同志社英学校を開校します。その後も教会や学校経営のためにその生涯を駆け抜けていきます。心臓病を患いながら、体に無理を重ねて、腹膜炎を併発し大磯の百足屋旅館に滞在、1890年1月23日に46歳と11ケ月で神のもとに召されていきました。

★新島が自分の死期をさとり、遺言を伝えた後、その日エフェソの信徒への手紙3章を小崎弘道に読んでもらいます。そして、最後の3章20節にきたときに、もう一度12節と20節を読むようにと指示します。そして、新島は「唯だこの力である。この力ある神によりて御業をなせ」と強く言ったとあります。自分の亡き後、人知を超える神の力によって全てを行って欲しいとの思いを伝えたと言われています。その胸中は漢詩「庭上の一寒梅」にも表れています。

★人知を超えた神の力を知ることとは「キリストの愛」を知ることです。その愛は私たちの考えを遥かに超えるものです。その愛を知る時に「大胆に神に近づくこと」(12節)が許され、最後の祝福のように、神の力に支えられ、栄光を神に帰していくことができるのです。新島もまたゴルゴダの丘のあの一本の十字架の極みにある「無償の愛」を知り、その恵みに応えて時代を駆け巡り、最後は神に栄光を帰す生涯を終えていったのだと思います。新島の「愛以てこれを貫く」との志しを私たちも引き継いでいきたいと存じます。

 

 


12月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「暗闇の中で輝く光、イエス・キリスト」 

               ティツィアーノ・ヴェチェッリオ               《聖母子(アルベルティーニの聖母)》