2026年7月8日水曜日

6月14日平安教会礼拝説教(小笠原純牧師)「自分の家に帰りなさい」

 「自分の家に帰りなさい」

聖書箇所 マルコ5章1-20節。69/509

日時場所 2026年6月14日平安教会朝礼拝・きてみて合同れいはい


わたしが保育園の園長をしていたときに、よく読まれた本に、佐々木正美さんという方の『子どもへのまなざし』(福音館書店、1785円)という本があります。絵本やこども向けの本をたくさん出している福音館書店から出ています。保育園で、佐々木正美さんの講演会をしましたが、近くの公立の保育園の先生方も聞きに来られたりと、なかなか人気の先生でした。

その佐々木正美さんの『子どもへのまなざし』には、こんなことが書かれてありました。【ある保育園で勉強の会がありましたとき、夕方、出入り口のみえる職員質で、お母さんやお父さんのおむかえの様子をみていました。ときどき、「おんぶして」とかいっている子どもがいるのですね。・・・。いつもは、ちゃんとさっさと歩いて帰る子どもが、「おんぶして」というような日は、たいていは、ちょっと悲しいこととか、つらいことがあった日のことが多いのです。・・・。家までずっとおんぶしていけと、いっているのではないのです。おんぶをちょっとしてあげれば気がすむことなのです。気持ちをいやしたいだけなのです。これは大人にもある感情でして、会社で仕事がうまくいかないことがあった、上司に怒られた、とてもいやなことがあった、取り引きで失敗したなどということがあったときに、家に帰って奥さんにいやされるご主人は、さっさと帰っていきます。帰ってもそれが期待できない場合は、寄り道してバーのママさんなんかに、なぐさめられていくのです。】(P302)。

わたしは大阪教区の仕事で、自宅がある高槻市から、大阪教区事務所がある大阪市の玉造によく通っていました。若い頃はよく買い物をして変えるとか、そういうことをしていたのですが、だんだんと年をとってくると疲れてきて、一刻も早く家に帰りたいと思い、いちもくさんに家に帰っていました。家に帰ると、ホッとするというのは、それはとても幸せなことです。

今日の聖書の箇所は「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」という表題のついた聖書の箇所です。「自分の家に帰りなさい」という説教題は、マルコによる福音書5章19節にあります。イエスさまが悪霊に取りつかれていた人に言われた言葉です。

イエスさまはゲラサの地で、汚れた霊に取りつかれた人に出会われます。この人は墓場を住まいとしていました。夏の暑いときなどは、「墓場は涼しくていいかなあ」などと思ったりもしますが、ふつう人は好きこのんで、墓場に住もうとは思いません。鎖を用いてつなぎとめておくことはできなかったというわけですから、無理矢理、墓場に住まわせられているわけです。家族や身内、町の人たちから捨てられたのです。だれもこの人に関わりたくないと思っていました。そしてこの人自身ももはや家族や身内の人々のところに帰ろうとは思っていませんでした。しかしこの人は大きな悲しみを抱いていました。そして叫ばずにはいられませんでした。また自分で自分を傷つけずにはいられませんでした。そうした悲しみを抱えた人が、イエスさまのところにやってきました。

この人に取りついている汚れた霊は、イエスさまのことをよく知っています。「いと高き神の子イエス」と言っています。汚れた霊のほうが、ファリサイ派の人々や律法学者たちよりも、イエスさまのことをよく知っているというのも、なかなか皮肉なことです。もしかしたら私たちよりも、汚れた霊のほうが、イエスさまのことをよく知っているかも知れません。まあとにかく悪霊はイエスさまがやってきたのであわてるわけです。そして悪霊はもうそのときにすでに、自分たちがイエスさまにかなわないということを知っているのです。ですからイエスさまに命令するのではなくて、懇願するわけです。「後生だから、苦しめないでほしい」と、お願いするわけです。

この男に取りついている悪霊は、「レギオン」だと言います。レギオンというのは、古代ローマの軍隊の単位です。4200人から6000人の兵士からなります。ですから悪霊は「大勢だから」と言っているわけです。「名を、名を名乗れ」と言われて「赤銅鈴之助だ!」と答えられたり、「君の名は」と言われて「後宮春樹」(あとみや・はるき)とか「氏家真知子」(うじいえ・まちこ)と答えられたらいいのですが、まあ名の知れた大した悪霊であるわけではないのです。ただ数が多いのです。

豚は私たちにとっては、おいしいごちそうですが、ユダヤ人にとっては汚れた動物です。汚れた動物に、汚れた霊が入るのであればまあいいかということで、汚れた霊は人から出て行って、豚の中に入りました。すると二千匹ほどの豚の群れが、崖をくだって湖になだれこむという壮絶なことが起こります。そして二千匹ほどの豚は、湖の中でおぼれ死んでしまいました。

どうやら豚は飼われていた豚のようです。豚飼いたちは、この出来事をみて、恐ろしくなります。そして町や村の人にこの出来事を知らせました。人々はいったいどんなことが起こったのだろうとやってきました。するとイエスさまのところに、自分たちが墓場に追い出した悪霊にとりつかれた人が、正気になって座っているのに、気づきました。目撃者によると、どうやら悪霊にとりつかれていた人から出た悪霊が、豚に入って、豚が崖から湖になだれこんで、豚がおぼれ死んだという壮絶な出来事が起こったということがわかります。原因はどうやら、このイエスという男にあるようだ。ちょっと恐ろしいけど、やっぱりこのイエスっていう男に、この地方から出ていってもらったほうがいいみたいだ。「ちょっとおまえ、イエスに出ていてくれって言いにいってこいよ」「えっ、おれが・・・」「そんなこと言いに行って、豚に入ってどっかいった悪霊を呼び戻されて、こんど、『おまえに入れ!』とか言われたら、どうするんだよ」。というような話になったのでしょう。

結局、イエスさまはこの地方から出ていくことになりました。村や町の人たちは、ほっとしたことだと思います。「やれやれ、もうイエスたちがここに居座ると言われたら、どうしようかと思ったよ」と言っていたことでしょう。悪霊に取りつかれていた人は、イエスさまと一緒に行きたいと、イエスさまに言いました。それに対して、イエスさまは「自分の家に帰りなさい」と言われました。この悪霊に取りつかれていた人にとっては、イエスさまについていくということのほうが、とてもうれしいことだったと思います。いままで家族からも、身内からも、そして町や村の人々からも捨てられていたわけです。もちろん、この人自身もいろいろなことでそうした人々に迷惑をかけたりすることもあっただろうと思います。おまけに豚が二千匹あまり死ぬというような事件も起こっています。ここはきれいさっぱりこの地方から去って、自分を救ってくださったイエスさまにお仕えするというほうが、この人にとってはとてもうれしいことだっただろうと思います。

しかしイエスさまはこの人に、「自分の家に帰りなさい」と言われました。そして「身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と言われました。この人にとっては、それはとても大変なことだったと思います。しかしイエスさまによって救われたこの人は、イエスさまが自分にしてくださったことを、一生懸命に宣べ伝えました。

イエスさまが悪霊にとりつかれた人に「自分の家に帰りなさい」と言われたのは、なかなかきびしい言葉であると思います。しかしたぶん、この人にはこの人を迎えてくれる人たちがいたのだと思います。「いままで辛い思いをさせてすまなかったねえ」と言って、この人を迎えてくれる家族がいたのだと思います。もちろん、「すまなかったねえ」ということではすまないようなことであったわけですが、それでもこの人が家に帰ってきたことを喜んでくれる人がいたのだと思います。

イエスさまは「自分の家に帰りなさい」と言われました。そして「そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と言われました。私たちは幸せなことに、イエスさまによって救われたことを知ることができました。私たちはここに帰れば安心だ。ここに帰ればホッとするという家をもっています。つらいとき、かなしいとき、私たちは帰るべきところをもっています。私たちを慰め、いやしてくださる方を、私たちは知っています。

イエスさまは私たちの慰め主として、いつも私たちを招いてくださっています。このことをしっかりとこころにとめて、よき小さなわざに励んでいきましょう。


(2026年6月14日平安教会朝礼拝・きてみて合同れいはい)


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