「平和平和と語り伝える」
聖書箇所 マルコ10:46-52。497/371。
日時場所 2026年8月16日平安教会朝礼拝式
昨日は、8月15日、敗戦記念日でした。81回目の敗戦記念日です。昨日、午後10時からNHKスペシャル「少女たちの戦争」を見ました。わたしの友人が制作にかかわっているので、「ぜひ見てね」という連絡がありました。東洋英和女学院に残された戦時下の学級日誌から、戦争がどのように日常に忍び寄ってきたのかということを明らかにするというものです。キリスト教主義の学校が戦時下で変わっていく様子がリアルに感じられます。
戦時下になると、自由のない、相互監視の強い、窮屈な社会になってきます。戦争の時代ならないようにしなければならないと思います。
関西セミナーハウス活動センターが、『「戦争の時代」にしないために 非暴力・平和主義を求めて』という本を発行しています。関西セミナーハウス活動センターが行なった講演をもとに作っています。【ウクライナ、ガザ、台湾有事ー。不安が煽(あお)られる時代に、非暴力と平和主義の思想と実践を問い直す。日本クリスチャン・アカデミー 関西セミナーハウス活動センター 渾身(こんしん)の講演録】ということです。
この本の中で、岡本厚(おかもと・あつし)という人がこんなことを書いています。岡本厚は岩波書店元代表取締役社長だった人で、元『世界』という雑誌の編集長をしていました。国家は嘘で戦争を始めるというのです。【ベトナムに米国が介入した「トンキン湾事件」は嘘だった。湾岸戦争の時、国連でイラク兵の残虐ぶりを証言したクウェートの少女は実は1回もクウェートに行ったことのないクウェート大使の娘でした。ユーゴ内戦でセルビアが「民族浄化(エスニック・クレンジング)」を行っているという証言は、クロアチアに依頼されてアメリカの広告会社が作った嘘の映像でした。それから一番近いところでは、イラク戦争になる直前、イラクは大量破壊兵器を持っている証拠があると米国の国務長官が国連で発言しました。しかし実際には存在しませんでした。こうして嘘を言って米国は戦争を始めたのです。日本だってかつて柳条湖(りゅうじょうこ)事件、盧溝橋(ろこうきょう)事件で嘘をついて戦争を始め、拡大しました。戦争を始めたい側が嘘をつく、フェイクニュースを仕掛け、国内国外の人びとの感情を煽るというのが歴史の教訓だと思います】(P.37)。
わたしは高校生のときに、この柳条湖事件というのを授業で学びました。「1931年9月18日、満州の奉天郊外の南満州鉄道が爆破され、関東軍はそれを張学良軍の犯行として軍事行動を起こし、満州事変の発端となった。しかし戦後、これは関東軍が自ら仕組んだ謀略であることが明らかになった」(世界史の窓)。日本は嘘をついて戦争を始めたのかと、ちょっとショックでした。軍隊とか政府というのは、嘘をつくのかとびっくりしたわけです。でもその後、アメリカが行なった戦争などを見ると、「ああ、日本だけが嘘をつくのではなく、戦争を始めたい人はみんな嘘をつくのだなあ」と思いました。
戦争を始めたい人たちが不安をあおり、嘘をつくのです。日本政府もアジア・太平洋戦争ではたくさん嘘をついたのです。「大本営発表」と言います。AIによる概要によりますと、【大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、日中戦争から太平洋戦争にかけての1937年11月から1945年8月まで、日本軍の最高統帥機関であった「大本営」が国民に向けて行った公式の戦況発表のことです。戦争末期には実際の劣勢な戦況を隠し、虚偽の戦果や優勢を伝えることが常態化したため、転じて「自分に都合の良い、信用できない情報や発表」を指す言葉としても使われています。】。AIもそのことは知っているのです。
私たちの愛する国が、嘘をつき、人々をだまし、倫理観のない国家になってしまうというのは、とても残念なことです。ですから私たちはいつも愛する国に対して、そんなことにならないように、「戦争をしてはだめですよ」「世界の国々と平和に過ごしてください」と、声をかけ続けていきたいと思うのです。
今日の聖書の箇所は「盲人バルティマイをいやす」という表題のついた聖書の箇所です。イエスさまたちがエリコの町から出て行こうとしたとき、バルティマイという盲人に出会います。バルティマイは道端で物乞いをしていました。バルティマイはイエスさまだと聞くと、イエスさまに「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言いました。何度も何度も、バルティマイがそのように言うので、周りの人たちはバルティマイを叱りつけて黙らせようとしたほどでした。
イエスさまはその様子をみられ、立ち止まりました。そしてバルティマイを呼んでくるようにと人々に言いました。人々は叫んでいるバルティマイに声をかけ、「安心しなさい。さあ立ちなさい。イエスさまが呼んでおられるから」と言いました。バルティマイは上着を脱ぎ捨て、とっても喜んで、イエスさまのところにやってきました。イエスさまはバルティマイに、「何をしてほしいのか」と尋ねました。バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えます。イエスさまはバルティマイに「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われ、バルティマイをいやされました。バルティマイはすぐに目が見えるようにあり、イエスさまに従っていきました。
イエスさまはバルティマイに「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言われました。バルティマイはイエスさまからほめられました。バルティマイにはしっかりとした思いがありました。イエスさまに目をいやしていただきたいという思いです。この方がわたしをいやしてくださるという強い思いをもっていました。そしてバルティマイはあきらめることなく叫び続けました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。わたしは大したものではないけれども、わたしのことを愛してくださり、わたしを見捨てることなく、わたしを憐れんでくださる方がおられるということを、バルティマイは知っていました。そうしたバルティマイの信仰を、イエスさまはほめてくださり、バルティマイを祝福してくださいました。
このバルティマイの物語を見ていると、やはりしっかりと願いを心においてあきらめないということは大切なことだと思います。私たちは現実的ですから、すぐにあきらめてしまいます。世界を見まわすと、いろいろなところ戦争が起こっています。核兵器をもち、たくさんの兵器をもった国が、力の弱い国を攻撃します。国際法を無視して、勝手なことを大国が行ないます。そうした大国に従うしかないと、ぺこぺことその国の大統領を持ち上げる国もあります。そうした様子をみていると、平和を願う私たちの祈りは叶えられることのない祈りではないのかというような弱気な思いも出てきます。
世界は複雑になり、私たちにはわからないことが多いですから、なかなかこうしたら良いというようなことを語りにくいというようなこともあります。「あなたは何もわかっていない」と言われると、「そうだなあ」とも思います。国際情勢など私たちにはわかりかねることであるわけです。そして「国家の安全保障に関することなので、その件については発言を差し控えます」というように、戦略的なことは秘密にされているので、私たちにはわかるはずがないのです。秘密にされているわけですから。ですから「あなたは何もわかっていない」と言われても、あまり気にすることなく、「わたしは平和が良い」「戦争には反対いたします」と私たちの願いを語っていけばよいのだと、わたしは思っています。
暴力的な私たちの世界にあって、私たちはいま、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」というバルティマイの叫びを思い起こしたいと思います。戦争を終わらせることのできない、みじめな世界に、私たちは住んでいます。イエスさまの憐れみによって、私たちの世界を変えていただきたいと思います。私たちは人間の力により頼んで生きているのではなく、神さまの愛に依り頼んで生きています。そして神さまが神さまの愛に満ちあふれる世界にしてくださることを、私たちは信じています。
神さまの義と平和に満ちあふれた世界になりますように。暴力ではなく、神さまの愛によって、私たちの世界が整えられますように。互いに尊敬しあい、互いに助け合う私たちの世の中でありますように。そうした祈りを神さまに献げながら、平和を祈りつつ歩んでいきたいと思います。
(2026年8月16日平安教会朝礼拝式)
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